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1.終わりの始まり

「とりあえず荷物をまとめてくれ、それくらいはできるだろ」

父にそう言われた時、私は夏にしては暑すぎるぶ厚い生地のハーフパンツと今にも被れそうな黒のキャミソールを着ていた。頭が混乱したのを今でも昨日のことのように覚えている。その日はおそらくだが、私が自分の命を止められなかった35回目の朝だったと思う。

「同じような服ばっかり持ってるな、買ったものもわからないのか」

同じような黒のキャミソール、同じような黒の靴下。これは当時勤めていた受付事務の仕事をしている時のマストアイテムだった。「仕事で使うんだから、同じものを持ってると洗濯しなくて済むでしょ」その言葉を発することができるほど、私は父に信用されていなかった。なぜなら、これから私は父に連れられて精神科の病院に入院することになるのだから。

「県外の病院だから、少し時間がかかるけど大人しくしとけよ」

父の口調は日頃から優しいものではなかった。でもそれは、機嫌が悪いから口調が強いということではない。機嫌が良くても悪くても、父の口調は基本的には強めなのだ。でもその時は、物凄い怒られているような気がした。今自分が助手席に座っていることですらも、悪いことをしているのではないかと思うくらいだった。

車の窓を全開にして、外に広がる大きな山々を凝視し続けた末、県外の精神病院にようやく着いた。ようやくなのか、すぐなのか、その時はどっちなのかわかってなかったが、風がとにかく強かったのは今でも肌に感じるくらい覚えている。おそらくだけど、高速道路を走っていたんだと今になって思う。

「とりあえずここに座ってて、受付済ませるから」

精神病院に入院することになったのは、昨日父に連れて行ってもらったメンタルクリニックで、「今でも死にたいですか?」の問いに、「死にたいです」と答えたことによって、強制入院の指示が出たからだ。その時は、本当に死にたいと思っていたし、死ぬために夜中家を抜け出して、朝までひたすら死ぬにはどうすればいいのかをじっくり悩むというルーティーンを続けていた。考えるだけではなくて、実際に自分の命を止める行動も実行しようとしていた。でも、最後の一歩が踏み出せないのだ。私はここで死ぬことによって、周りに迷惑がかかるのでは、もし死ねなかったらまた生き続けることになる、そうなるくらいならもっと良い人生の締めくくり方があるのではないか。そんな風に熟考し続ける私に、毎回のように止めに入るのは朝日だ。朝がくることで、私は何故か冷静になる。「今日もだめだった」と自分を責め、生きていることを責め、自分の家に戻るのだ。自分の家の鍵を持っている時点で、私は自分で自分の命を止める勇気がなかったのかもしれない。

「また会いに来るから、大人しくね」

父が私に声をかけた時、私はぶ厚いガラスの壁の中にいた。ちなみに、ぶ厚いガラスの壁というのは、私がいる精神病棟ゾーンと看護師さんがいる受付ゾーンの境目にある壁のことだ。普通に声は聞こえるが、自分の力で壊せるようなガラスでないことは確かだし、自分で壊すと考えるほど攻撃性を持っているわけではなかった。何が言いたいかというと、父のいるガラスの壁の外の世界に、私は自分の意志では行くことができないということだ。私を少しだけ見つめて、その場にいる看護師さんに挨拶をして、父は去って行った。父の姿はすぐに見えなくなった。私はガラスの壁の中から見つめることしかできなかったし、今日からここで暮らすことをまだよくわかっていなかった。

タイトルに【1.終わりの始まり】とつけたのは、精神病院に入院したことによって、人生が終わったとか、自分自身が終わった、ということではない。私はその時に、自分の命を止める行動をすることを止めたのだ。止めたというよりは、できないと言った方がいいのかもしれない。自分の意志で行動を決めることができない空間に強制的に入ったのだ。36回目の朝のルーティンを終わらせることができた。それでもまだ、自分の命を止める行動をしたいという気持ちは私の中で一番強い感情だった。


次のお話は、【2.ここはどこ】です。ここまで読んでいただきありがとうございます。


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