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3.食べるということ

「とりあえずちゃんと食べさせてください」

父がそういったのも無理はない。私は衣食住の食を完全に断っていた。今思えば、夏なのにぶ厚い生地のハーフパンツを着ていたので、衣の部分も放棄していたのかもしれない。外に出るためには裸では出歩けないという理由のみで服を着ていたのかもしれない。衣に対する意欲がなくなったように、食べたいという気持ちは私の心の中には完全に皆無だった。父が私が何も食事をしていないのを気づいたのはいつだったんだろう。もしくは、一応気づいてはいたがそこまで食べていないとは思っていないというのが真実かもしれない。だからこそ、看護師さんにそう伝えたのはせめてもの親心なのかもしれない。

私は職場の人間関係に悩んでいた。人間関係というよりは、仕事ができない自分を極限にまで自分自身で責めていたように思う。職場で働いていたのはほとんどが女性だったが、女性ならではのねちねちとしたいじめにあっていたわけではない。ただ、私は所属している部署は職場を仕切っている女性がいて、その女性に私は手下のように扱われていたように思う。可愛がられてたといえば聞こえはいいが、傍から見れば何でも言うことを聞く忠犬のように見えていたのだろう。働き始めた当初は特に問題はなかったのだが、ある日私はふと察してしまったのだ。

私は一生この立場にいるのだろうか。

私の上司的立場だった女性は、私が働き始める前に何人か辞めさせているということを何となく聞かされていたが、私は仕事は仕事、プライベートはプライベートと割り切っているタイプだったので、仕事で悩むことはほとんどないと思っていた。それなのに、何故かいきなり察してしまったのだ。

私はもう、この女性から逃れられないんじゃないか。

そう思った途端、私はこの仕事を辞めたいと思うようになった。教えられていたことが頭から徐々に消えていくような感じがして、今までできていたことがスムーズにできなくなってきた。すると、上司の女性はどんどん私に対して嫌悪感を露わにするようになった。職場で絶対の権力を持っている女性だったので、同僚の人達もどんどん私に対して態度が変わっていった。最終的には、一番面倒だと思われる仕事は全て私のデスクの上に積み重ねて置かれるようになった。これをいじめと呼ぶのならばそうなのかもしれないが、私は自分が一番悪い、自分が仕事ができないから、自分が全て原因なんだと思うようになっていた。職場を逃げるように退職届を出したのは、嫌悪感の標的になってから4週間目のことだった。

「お前が悪いんじゃない、職場にも責任があるからな」

仕事を辞めて3日経った頃、父は少しずつ私に話しかけるようになった。仕事を辞めた当日はほとんど意識をしないまま家に帰ってきたので、そんな私に話しかけるのは億劫だったのかもしれない。今思えば、話をかけてくれるだけでも優しかったのかもしれない。その数日後には、私を腫れ物のように扱い続けるのだから。

「食べる終わる頃にまた来ますね」

私の前に広がった料理の数々。白いご飯、お味噌汁、麻婆茄子、きゅうりの漬物、プリン。全体的に少し多めの量で、白いご飯はどんぶりに入っているかと思うくらいだった。麻婆茄子は大好きなメニューだった。プリンだって美味しそうに見えた。それでも私はほとんど手を付けれなかった。食べ始めて30分くらい経ったと思う。時間がわかったのは、私の部屋にあった置き時計が枕元にあったからだ。服を入れた記憶はあるが、時計を入れた記憶はなかったので、おそらく父が鞄に入れてくれたのだろう。確かに量は多いのは重々承知ではあるが、30分経ってもほとんどの料理に手を付けられないという状況は前の私では考えられなかった。

食べることは、私はとても大好きだったから。料理をするのも好きだったし、洗い物も苦にならないし、自分で料理をして美味しいものを食べることは、私にとっては生きることの中で楽しみの一つだったんだと思う。それなのに、この空間にいる私は、この瞬間の私には、食べるということは無に等しいもので、食べるくらいなら別なことをしたい、何をしたいかわからないが、今したいことは食べることでないと断言できるくらい食への関心がなかったのだ。見るからに美味しそうに見えるプリンですら、私の興味を刺激することはできなかったのだ。


次のお話は、【4.食べない決意をした夜】です。ここまで読んでいただきありがとうございます。

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