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ネガティブ心なのにポジティブ顔の物語
『ネガティブな仏顔』
私はネガティブ人間だった。
何事にも不満を持ち、自分の人生に絶望していた。
しかし、私の顔は違った。
普通にしても元気いっぱいな笑顔みたいな顔なのだ。
ネガティブのネ文字もない仏顔なのだ。
そのせいで、周りの人々は私をポジティブ人間だと勘違いしていた。
私はよく相談された。恋愛や仕事や家族など、様々な悩みを持つ人々が私に助けを求めてきた。
私は正直に自分の考えを言った。それはそれはネガティブなことばかりだった。
しかし、相手はそう捉えないのだ。
なぜなら私は仏顔だから。
「どうせ私なんて……」と言ったら、「その割によくできている」という自虐的な謙遜だと思われた。
「失敗ばかり」だと言ったら、「今後は失敗しないはず」という前向きな反省だと思われた。
「あの人は仕事ができない」と言ったら、「あの人も大変なんだ」という同情的なフォローだと思われた。
「どん底」だと言ったら、「これはチャンス」という逆境に立ち向かう姿勢だと思われた。
「苦手」「嫌い」と言ったら、「得意ではない」という素直な自己評価だと思われた。
「めんどくさい」と言ったら、「とりあえず、目の前のことだけやろう」という現実的な対処法だと思われた。
なぜか?
全て仏顔で言うからだ。
そして、結果的に、私は相手を助けてしまっている。
相手は私の言葉に勇気づけられて、悩みを乗り越えていった。相手は私の言葉に感謝して、笑顔で別れていった。相手は私の言葉に影響されて、ポジティブに変わっていった。
私はそれが嫌だった。自分がネガティブ人間であることを認めてほしかった。自分がポジティブ人間であることを否定してほしかった。自分が不幸であることを共感してほしかった。
でも、誰もそうしなかった。誰も私の本当の気持ちを理解しなかった。
誰も私の本当の顔を見なかった。
しかし、私は気づいたことがある。
自分のネガティブが周りの人々に幸せをもたらしていると。
自分のネガティブが周りの人々に力を与えていると。
不思議だった。
自分がこんなに不幸なのに、どうして他人が幸せになれるのだろうか?
自分がこんなにネガティブなのに、どうして他人がポジティブになれるのだろうか?
私は考えた。
もしかしたら、自分は特別な存在なのではないか?
もしかしたら、自分は周りの人々に必要とされているのではないか?
私は感じた。自分には価値があると。自分には意味があると。
私は思わず笑ってしまった。
自分が少しポジティブになったと。
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