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創作備忘録③いつまで書き続けるか

プロの作家を目指して小説を書き始めて三年が経過した。厳密に言えば、初めて小説を書いたのが八年前のことなので、小説家になりたいと思ってから丸八年が経ったということになる。

この八年で「了」の字を打って完成させた作品は長編三篇、短編八篇。そう考えると少ないなと思うと同時に、でも本格的に書き始めたのは三年前だからな、という言い訳も浮いてくる。どっちみち別に多くない。今年公募勢サークルに入って、自分とは比べ物にならないほどの執筆量の仲間を何人もお見かけして、自分は遅筆なのだと思った。それでも、この三年で長編二篇、短編七篇を書けたのは我ながら上出来だと思う。どんどん書けるようになってきている自覚もあって、創作が楽しくなってきた頃合いである。

思えば、プロ作家を目指して書き始めた八年前は随分と尊大で、既存の作家に対してやたら上から目線で、この程度なら自分でも書ける! と息巻いて駄作を二篇作った。その二篇とも公募で一次審査も通らず落選し、あまりのショックでそれから五年間小説が書けなくなった。あまりにも矮小なプライドは、たった二回落選した程度でへし折られたのだった。非常に恥ずかしい反面、微笑ましくもある。

また小説を書きたいと思ったのは子供を産んだ後だった。仕事に家事、育児で奔走する自分の人生に、自分が本当にしたいことを問うた結果、また小説を書きたいと心から思えたのだ。

初めに小説を書こうと思ったきっかけは、人生の目的を見失った頃、夫から「君の文章は良いものを持っている。だから小説を書いたらどうか」と勧められたことだった。

自分のことを一番よく見てくれている人が褒めてくれたことだから、きっと私の長所は良い文章を書く能力に違いない。だから、プロ作家にならなければならない。

初めて小説を書いた年は、そんな使命感にも似た妄想に取り憑かれながら書いたのがいけなかったと思う。自分の才能を信じて投稿したのに、二作とも箸にも棒にも引っかからず、自分に才能はないのだと絶望したのだった。

才能という言葉には、三年前にまた小説を書くようになってからも、つい最近まで振り回された。三年間、書けたり書けなかったりだった。コンスタントに書けるようになったのは、この半年くらいだ。ぐずぐずしていた頃は、自分には才能なんてないんだと自分を決めつけ、勝手にまた絶望しようとしていた。

その度に、才能なんてものはないんだよ。と夫が私に喝を入れた。才能という言葉に逃げるなと。

公募勢サークルの雑談で、いつまで小説を書き続けるか期限は決めているかという問いがあった時、私の答えは「続けられるまで続けたい」というものだった。

一度筆を折った原因は、自分の才能に絶望したからだった。でも、才能なんていうものは幻想で、結局は楽しんだもの勝ちなんだと思う。一つのことに熱中し、頑張っているとも思わず、努力しているとも思わず、ただひたすらより高みを目指した者が一番強いのだと思った。

だから、私は自分の才能に絶望して筆を折ることは今後ないと思う。もしまた筆を折るとしたら、それは飽きた時だろう。他にやりたいことができたら辞めてしまって良い。それくらカジュアルに気楽に構えていたい。書きたいから書く。好きだから書く。モチベーションはそれくらいシンプルが良い。

今は小説を書きたい。小説を書いている限り、自分は作家なのだと自分を信じられる。まだプロではないけれども、自分は作家なんだ。そういう自分の在り方を素直に承認できるようになって、初めて肩の荷が降りたような気がした。今までどんだけ肩肘張って作品作りをしていたのだろう。

そう思えるようになったのも、いつも私の作品を一番に読んでくれる夫のおかげで、今年入った公募勢サークルの仲間の存在が大きい。小説を書く作業は孤独だから、伴走したり一緒に励まし合う仲間が「自分は作品を作っていて良いのだ」と承認してくれたような気がする。一人、また一人と応援してくれる人が増えたことが心強かった。

作品を作って一番嬉しかったのは、読んでくれた人が「面白かった」と言ってくれたことだった。今は、より多くの人に面白いと言ってもらえる作品を書くことが目標だ。創作意欲が尽きるまで、ずっと書いていたい。今そう思えることが実に幸せだと思う。

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