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絵本 de 金子文子『(何が私をこうさせたか)東京へ!』

作画:茜町春彦
原作:金子文子


東京へ!東京へ!

志を立てて自分の生活を開拓せんとするものにとって、特に、学問で身を立てようとするものにとって、東京ほど魅力のある誘惑はない.


家に巨万の富があって、多額な学資の仕送りを受け得る青年子女は言うまでもない.

私のように旅費さえ充分でない極貧のドン底にあるものまでも東京へ、東京へと、東京に引き寄せられる.


東京の生活はそんなにも望ましい理想的なものであろうか.

私はそれを知らない.けれど、まだ何も知らぬ青春の子女にとっては、東京こそはその望むところの一切を与えてくれる地上の楽園ででもあるように思われるのである.

東京へ!東京へ!


ああ憧れの東京よ、お前は私に、私の望む私自身の真実の生活を与えてくれるであろうか.

私は信ずる.必ずお前がそれを与えてくれるであろうことを.たといどんな苦労が私に課せられるにしても、そんな試練が私を待っていようとも、お前はきっとそれを私に与えてくれるに相違ない.


生まれ落ちた時から私は不幸であった.

横浜で、山梨で、朝鮮で、浜松で、私は始終苛められどおしであった.私は自分というものを持つことができなかった.けれど、私は今、過去の一切に感謝する.私の父にも、母にも、祖父母にも、叔父叔母にも、いや、私を富裕な家庭に生れしめず、至るところで、生活のあらゆる範囲で、苦しめられるだけ苦しめてくれた私の全運命に感謝する.

なぜなら、もし私が、私の父や、祖父母や、叔父叔母の家で、何不自由なく育てられていたなら、恐らく私は、私があんなにも嫌悪し軽蔑するそれらの人々の思想や性格や生活やをそのままに受け容れて、遂に私自身を見出さなかったであろうからである.


だが、運命が私に恵んでくれなかったおかげで、私は私自身を見出した.

そして私は今やもう十七である.私はもう自立のできる年齢に達しているのだ.そうだ、私は私の生活を自分で拓り開き、自分で創造しなければならぬ.そして、東京こそはまことに、私の生活を打ち建てるべき未墾の大曠野なのだ.

東京へ!東京へ!
〈了〉

参考文献:何が私をこうさせたかー獄中手記(2017年12月15日第1刷発行 金子文子著 岩波文庫)
使用画材:ArtRage 3 Studio Pro(アンビエント社)Photoshop Elements 10(アドビシステムズ株式会社)
初出:パブー(2018年3月17日) パブー投稿作品を修正して移植しました.