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ヒロインが全員イカを貪っている以外は普通のラブコメ


「おはよう。聡太……ジュルルルッジュボッ」

 俺の耳に、透き通った声と、イカを貪り食う音が響く。
 重いまぶたを開けると、マリーが俺のベッドの上で活きのいいイカを貪っていた。

 マリーは、俺より一つ歳上の許嫁だ。


「ああ、おはよう……って、いきなり何するんだ?」
「ん。おはようのキス」

 マリーは俺に馬乗りになると、端正な顔立ちを近付けてくる。イカの独特な臭みが鼻腔をくすぐった。

 ヌチャァア……と、彼女の口からはみ出したイカの青臭さが顔の全体を覆う。
 これじゃあキスじゃなくてイカだ。ここでのキスは魚のキスのことで……などと言っている場合ではない。

「顔がベチャベチャだ……飲み込んでからキスしてくれよ」
「ごめん……ジュルッジュルルルル」

 それでもイカを音を立てて食べ続けるマリーの姿は、いつ見ても愛おしかった。

「朝ごはん作った。一緒に食べようジュブブブブ」
「サンキュー。着替えてから行くよ」
「分かったジュルッジュブブブ」
「……」
「……ジュルジュルッ」
「あのー、マリーさん?着替えるんだけど?」
「知ってる。クッチャクッチャ。着替え、手伝うゴクンッガブゥッジュボボボボ」
「いらないから!先に降りててくれっ!」
「聡太、うぶ。ジュルルッジュボッ」

 マリーはイカを頬張りながらそそくさと部屋を出ていく。
 やれやれ、相変わらず過干渉な奴だ。

🦑

「ジュルルルッジュボボボッ」
「ジュブブブブジュッポジュッポ」

 着替えてから一階に下りると、リビングから2つのイカを貪る音が響き渡る。

「舞、おはよう」
「……ジュルジュルッ」

 妹の舞はこちらを一瞥すると、プイッと目線を逸らし、テーブルに盛られたイカをひたすらに食らう。

 舞はいわゆる義理の妹というやつで、父が再婚した際に出会ったのだが、まだお互いの距離感が掴めていない現状だ。「仲良くするように」と言われてはいるものの、こんなの、どうすりゃいいんだか。

 テーブルに置かれた朝食は、味噌汁と白米に卵焼きに、魚の塩焼きといった、オーソドックスなものだった。

「最近、聡太のために日本食も、勉強してるのジュボボボッ。気に入ってくれるといいのだけどクッチャクッチャ」

 俺が席に着くと、マリーはフォークで卵焼きを刺す。

「聡太。あーんジュボボボッ」

 マリーはイカを片手で食べながら、もう片方の手で卵焼きを差し出してきた。
 卵焼きは、ほんのりとした甘みがあり、やや塩辛のようなしょっぱさの感じられるものだった。

「どう?美味しい?ジュルルッ」
「うん、とっても」
「……不潔。ジュブブブ」

 舞は俺たちのやり取りが気に入らないのか、こちらを睨みつけてくる。

「お前も食うか?美味いぞ」
「……ゴクンッ。学校行く」

 イカを食べ終えた舞は、冷蔵庫からイカを3匹取り出して、2匹は学生鞄に入れると1匹は口に咥えて、そそくさと出て行った。

「悪いなマリー、舞のやつ、反抗期みたいで」
「いいのジュブブブッジュルルルル」

 マリーは吸い上げるようにイカを食べ、顔をイカの粘液まみれにしながら、ふわりと微笑んだ。

🦑

「転校生だ。自己紹介を」
「冬野由紀ですクッチャクッチャ。よろしくお願いしますジュブブブッ」

 転校生の冬野さんは、生きたイカを丸ごと貪っていた。

 今は受験期真っ只中の高校3年生だというこの時期に転校だなんて、随分とおかしな話だ。
 受験期といえば、このあと進路の相談があるんだった。
 俺はHRが終わると、重い足取りで進路相談室へと向かった。

🦑

「どうだ?ジュブブブッ受験勉強は捗っているかジュボボボボボ」

 進路指導の宮崎先生は豊満な胸を揺らし、おおよそ教師とは思えないラフな格好でイカを貪っていた。

「実は、模試の判定が悪くて」

 正直に打ち明ける。
 俺の受験は、うまくいっていない。

「そうかジュブブブッ。まあ、落ち込むな。まだ時間はあるジュババババクッチャクッチャ」
「そうですけど、どうしてもマリーと同じ大学に通いたいんです」

 この高校の卒業生のマリーは今、俺の第一志望であるIKA大に通っている。
ここにきて、別々の道を辿るなんて御免だ。

「まあ、そう焦るなジュッポジュッポ。IKA大に通うことだけがジュルルル人生じゃなクッチュクッチュ」
「ですが……」
「私もお前と同じように考えていたことがジュブブブッあったよ。でもな、別々の道を行くこともクッチャクッチャ大事だってズリュリュリュこともあるんだ」

 考えられなかった。
 マリーと別々の道を生きる人生なんて。
 彼女と初めて出会った日のことを思い出す。
 まだ何も知らないガキだった。
 いきなり、未来の婚約者だとか意味分かんないこと言われて、最初は戸惑ったし、嫌だった。
 外国の女と一緒に歩いてると、周りにバカにされた。
 よく喧嘩もしたし、いがみあった。
けど、2人で頑張って登った山のてっぺんで見た星を忘れられない。

『見て聡太!ジュルッジュルッ。綺麗な流れ星だよ!クッチャクッチャ』

 あの時のマリーの顔は一生忘れられない。
 この子とずっと一緒にいたい。
 心の中で3回、そう願った。

「いいかズボボボボッ。私は先生である前に、人生の先輩の言葉だ。よく聞け」

 宮崎先生は、こちらをまっすぐ見据えて言う。

「生きていく上で大事なのはジュボボボボグジュルルルルだ。時には迷ったりグチュウッズリュリュリュしていって人は成長してズルルルルルルいくもんだ」
「先生……」

 言葉の一つ一つが心に染みる。
 宮崎先生は格好や性格こそPTAに怒られそうだが、こういう教師が進路指導に相応しいんじゃないかとさえ思える。

「ありがとうございます。とにかく、今やるべきことに取り組みます」

 俺の言葉に、宮崎先生は満足気にイカの足を飲み込む。

「ああ、頑張れよ。それより、どうだ?溜まってるなら、先生が相手してやろうか?」
「生徒を誘惑しないでください!マリーに殺されます!」

🦑

「ただいまー」

 玄関の扉を開けると、さっそくイカを貪り食う音が耳に届く。

「舞、もう帰っていたのか……っ!?」

 リビングの扉を開けた俺は絶句する。

「……なに?お兄ちゃんジュブブブッ」


 妹は、イカになっていた。

 目をぐしぐしとして、もう一度舞を見る。
 舞の髪はイカの足のようになっており、それを自らで貪り食っていた。

「舞、どうしたんだよ。その髪」

 舞の頭に触れると、ぬるぬるとした粘液が絡みつく。

「……ひゃああっ!?」

 同時に、ものすごい勢いで反応し仰け反る舞。

「おいおい、触っただけだろ。そんなに邪険にしなくてもいいだろ」
「お兄ちゃん……いきなり、こんなとこ、触っちゃダメだよぅ……」

 舞は目元に涙を浮かべながら、顔を真っ赤にして疼くまる。

「どうした?体調、悪いのか?」
「うぅ、違うよぅ」
「それに、この髪。医者に見せたほうがいいんじゃないか?」
「だめぇええええっ!そこ、敏感だからぁあっ!」

 少し触れただけなのに、舞は嬌声を上げる。この反応は、やはりおかしいんじゃないだろうか。

「おかえり、聡太ジュルルルルルッ」
「ああ、マリーか。聞いてくれ、舞の様子が……」

「舞がどうしたの?グチュックチャクチャ」
「……」

 マリーはもはや、完全にイカに侵食されていた。
 髪も目の色も、すっかりイカに染まっている。

「マリー、舞。今すぐ、イカを食べるのをやめるんだ!」
「ねぇ、そんなことより……」

 マリーは自らの頭から生えたイカ足を弄りながら、近付いてくる。

「私のこと、食べてほしい」
「え……」
「マリーさん。抜け駆けは許さないよ」

 ふらりと舞が立ち上がる。
 息遣いは荒く、目は獣のように爛々と光っている。

「お兄ちゃん。もう疼いて仕方ないよ。責任を取ってよね」

 2人の頭に生えたイカをテラテラさせながら、俺に迫り来る。

「お兄ちゃん、舞のぐちょぐちょになったここ、食べて」
「聡太。早くむしゃぶりついてきて」

🦑

「うわぁあああああああああああああああああああああああっ!!」

 ベッドから激しく起き上がる。
 あたりを見渡し、ほっと一息つく。

「夢か……」

 そりゃそうだ。
 あんなおぞましいものが、現実のはずがない。

「おはよう、聡太」
「おぉ……マリー」

 ベッドの上には、いつも通りのマリーの姿があった。
 当然だが、イカなど貪っていない。頭からイカの足なども生えていない。いつもの美しい絹のような金髪だ。

「どうしたの?すごい汗」
「変な夢を見てな」
「変な夢?」
「ああ……」

 マリーに夢の内容を話す。
 話せば話すほど、おかしな夢だと思う。
 マリーや舞をはじめとした、みんながイカを常に貪り食っているなんて、実にバカバカしい夢だ。

「……なにそれ」

 マリーの無表情が僅かに崩れる。

「……面白い夢」
「ありゃあ、鳥肌もんだぞ」

 不思議なことに、あんな夢でも、目が覚めるまでは違和感がないんだよな。

「いやぁ、いつも通りのマリーの姿を見て安心したよ」

「良かった……ジュルルルルルッ」

 そうだよな。普通、タコだよな。

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