Akane

人のことが好きですが、人付き合いは苦手です。生きている素晴らしい世界のことを書いていま…

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人のことが好きですが、人付き合いは苦手です。生きている素晴らしい世界のことを書いています。

最近の記事

生産的という言葉の呪い

産休に入ってから、特に出産を終えてから、細切れに空白の時間がやってくるようになった。仕事をしていた時は、ある程度次の日の予測がついて、自分がどんな動きをするだろうな〜というのがわかっていたし、産前もたっぷり昼寝をしたり、読書をしたり映画を見たりして過ごしていた。 しかし、子どもが生まれてから、まとまった時間を確保することが本当に難しくなった。まだまだ子どもはリズムが掴めない日もあるし、うまく眠ったとしても3~4時間ごとに授乳。その3~4時間の間には自分の食事やお風呂の時間で

    • 陣痛の切れ間、熱量の中にある幸せ

      2024年5月5日、子どもを生んだ。 4月から産休に入って、どんなふうにお産が始まるだろうかとワクワクして、youtubeやネット記事でお産レポを漁った日々が懐かしい。陣痛から何十時間も経っても出産に繋がらず帝王切開した人や、初産なのに病院に着いたら分娩台に乗った途端生まれたとか、割といろんな出産を知って、自分もそうなるかもしれないと物理的にも心理的にも割とありとあらゆるパターンに備えて準備していたつもりだった。が、似たり寄ったりはあれど、全ての出産経験は一つ一つがユニーク

      • 幽霊は糖質か、はたまたシグナルか?

        最近、浜田山にある古着屋兼カフェ兼読書スペース?にたまに行くようになった。大学の先輩が開いたお店で、とっても居心地が良い。東京で暇になるといつの間にか浜田山に足が向いている。この前、そのお店でした話が面白かったので記録。 ことの始まりは、その場に居合わせた人の突然の「幽霊は糖質だと思う。」という発言だった。 「幽霊は糖質だと俺は思ってる。だから怖くない。」 その人(めんどくさいのでこれ以降はAさんとする)曰く、思考や意識の伝達で重要な成分である糖質を、多かれ少なかれ幽霊も持

        • 未練タラタラの亡霊は成仏しないことこそが心の底からの成仏かもって思った話

          ええと、なんでこうしてまた書き始めているかというと、端的に言えばまた演劇の再公演が決まったからです。↓↓↓ ■ 公演日程 2023年2月18、19日 @中野 スタジオあくとれ -2月18日:★11:00(プレビュー公演)/15:00/18:30 -2月19日:13:00/16:30 さて〜と、以前の投稿でも書いた通り、端的に言えば自分の情熱が演劇で生きていくほどの覚悟にはならなかったことがショックすぎて演劇から数年離れていました。情熱は今の自分でも驚くほど大きかったと思いま

        生産的という言葉の呪い

        • 陣痛の切れ間、熱量の中にある幸せ

        • 幽霊は糖質か、はたまたシグナルか?

        • 未練タラタラの亡霊は成仏しないことこそが心の底からの成仏かもって思った話

          未練タラタラの私を成仏させるの巻

          こんばんは。ご存知の方も多いと思うが、実は、あれほど懐かしんでいた(未練タラタラだった?)演劇を最近またやり始めた。大学のサークルで一緒だった先輩たちが、卒業後今度は東京で集まって社会人劇団をやっていて、役者として出演させてもらえることになった。夢にまで見た舞台。5年ぶりの役者。あの時の私はどうやってセリフを覚えていたんだっけ?あの時の私の集中力はどこに行った?あの時の私の燃えていた情熱をなぜ恥ずかしいような冷ややかなような気持ちで思い出してしまうんだろう?あの頃の自分の延長

          未練タラタラの私を成仏させるの巻

          【気まぐれ読書】チェーホフ『三人姉妹』 〜まつりのあとを生きる人たちは人生をどう彩るべきか〜

          チェーホフの三人姉妹という本を読んだので感想を。久々に、堅苦しい本から逃れて戯曲なるものを読みました。 あらすじ まあ、こんなような話だ。全体の感想としては、チェーホフ、いつものごとく皮肉がとてもよく効いている、だろうか。一幕では「働けば、つまらない今の生活から抜け出せる」なんて言ってるのに、ニ幕では「ああ、仕事が辛い。仕事のせいで老けたし、痩せたし、いいことなし!」とまあこんなところだ。憧れていたものを手に入れたとて、そこには生活があり、生きているなりの苦しさがある。そ

          【気まぐれ読書】チェーホフ『三人姉妹』 〜まつりのあとを生きる人たちは人生をどう彩るべきか〜

          いつか死ぬ。でも今生きている。

          最近全然文章が書けてなかった。考えることが少なくなったのかな、とも思う。人との関わりを減らしたから、自分の周りで起こる出来事が減ったのかもしれない。それでも心の中に残ってることがあるから、書いておく。 はっきり言って、2018年以降、老後の人生を生きている。あの頃、演劇がやりたかった自分。「私はアートの力を信じる」なんて独りよがりの言葉ではなく、誰もがわかる論理的かつ具体的な言葉または行動でアートの力を説明したかった自分。表現者でもなく、アートオタクではない、第三者の視点か

          いつか死ぬ。でも今生きている。

          便利さの先

          今日も、私は何かにお金を払って生活している。食べるもの、飲むもの、着る物、使う物、居る場所、誰かとのコミュニケーション…。何気なく生活しているようでありながら、私たちの生活は消費に溢れている。私個人のことを言えば、生活の中で消費者であることの方が断然多い。確かに日々文章やコンテンツを作成=生産しているといえるが、どんなに頑張っても、1日3本〜5本の記事が書けるか書けないかで、クタクタに疲れ果ててしまう。文章を書いたところで、それを読んだ人に何か物を与えている訳でもないし、(も

          便利さの先

          23歳、もうすぐ24。3年半ぶりにフリー。

          3年半ほど一緒にいた恋人と別れた。あっけなかった。先週の今ごろは別れる予感なんて微塵もなくて、六本木でデートしていたよね。でっかいケーキを食べて、「次来るときは2人で1個だね。」とか話していたんだ。 だけど、2人で1個のケーキを食べる日は来ない。 別れた当日は強がって、涙の一つも出なかったのに、数日経ってみたら仕事が全く手につかない。彼から送られてきた最後の荷物を解いて、それがなかなか片付けられない。楽しい思い出ばかりが蘇って、「あんなに楽しかったのに、なんで別れることに

          23歳、もうすぐ24。3年半ぶりにフリー。

          「絶対いいことありますよ!」かけてくれた言葉、そっくり返せなかった自分が憎い

          9月最後の金曜日、クタクタに疲れて帰路についた。華金、なんて言葉が流行ったりもしたけど、心配事が多いこのご時世、大したリフレッシュもなく、過ぎていく金曜日。「仕事やだなあと思う日曜日を想像してさらに落ち込む金曜日」なんて、一句。トホホ。 そんなことを思いながら長い階段を息を切らしながら登って、駅を出ると、人から声をかけられた。 「すみません、お姉さん」 お姉さんなんて言ってくる人は、だいたいよからぬ勧誘だ。しかも私は人見知りで疲労困憊モード、よし、無視を決め込もう。そう思

          「絶対いいことありますよ!」かけてくれた言葉、そっくり返せなかった自分が憎い

          交換が見えなくなっている現代〜消費者には値段くらいしか見るものがない〜

          私たちは日々交換の中で生きている。今日食べたハンバーグも、誰かが育てた牛をいろいろな人がお金と交換して加工し、私たちも消費者としてお金を払って食べている。今日起きて、つけた電気もお金を払って、誰かが作ってくれたもの。ものだけでなく、私たちは情報も交換しあっている。「今日は午後から雨でしょう」そんな情報を受信料、または広告会社という仲介を通してお金を払ったり、または、私たちの個人情報を払ったりして受け取っている。何もかもが交換で成り立っているこの世界。しかし、ふと考えてみた。人

          交換が見えなくなっている現代〜消費者には値段くらいしか見るものがない〜

          占います?

          clubhouseというSNSをご存知だろうか?完全招待制で、コミュニケーションは全て音声のみ。誰かが話しているのを盗み聞きすることもできるし話したいと思ったらハンズアップ機能を使って、スピーカーたちがいいよ〜と言えば会話に飛び込むこともできる。「声のSNS」。このアプリが爆発的に流行り始めた時にはこんな風に言われていた時もあった。 ある時、『占います?』というトークルームを見つけた。 「あ、あかねさんこんばんは〜話せますか?」 ルームに入った途端に、スピーカにあげられ

          占います?

          資本主義と暇

          あなたの生活において、暇だと感じる時はどのくらいあるだろうか?そして、その暇を退屈だと思うときはどのくらいあるだろうか? 私個人において考えてみた時、暇だと思う時、ほとんど退屈している。何もやることがなくて、やりたいことがどこにあるのかわからない。そんな瞬間を見つけるたびに私は不機嫌になる。 「何かするために生まれてきたはずであるのに、何もやることがないなんて!?」 やりたいことを見つけるためにはどこを探していいかわからない。とそんなことを思っている間に、楽しさとは提供

          資本主義と暇

          私たちの受動的ナルシシズム

          「人間らしい生活をしたい」これが私の夢だ。 でも人間らしい生活ってなんだろう? いろいろな意見があると思うが、今私が思っている人間らしい生活とはこうだ。 人間らしい生活とは自分の生活に関わっている人、もの全てを把握し、自分の元にそれらが流れてきていることに礼節を持って生きること。そして、いつか他の人の元に流れていくそれらを愛を持って見送ること。 私たちの生活はあまりにも豊かになりすぎて、今持っているものがどこから来て、どこへいくのか知らない。関わる人たちもそうだ。私た

          私たちの受動的ナルシシズム

          私のかなこ

          よく、夢をみる。不思議に夢にはインターネットの世界はない。全てのコミュニケーションがアナログで、いつも見るよりも原風景的な何かが広がっている。いつも私の大好きな季節で、梅雨に入る直前くらいの5月のある日。葉っぱには露が滴っていて子供たちが田んぼで遊んでいる。 そんな世界で、私は会いたい人に会いに行っている。いつも。毎日の夢は会いたい人に会いに行くプロセスの一部を切り取っている。切り取るシーンはさまざまだが、私の夢のテーマは変わらない。「会いたくて会いたくてたまらないあの人に

          私のかなこ

          風の谷のナウシカから人類としての私を考える

          今思ってみれば、私が生きていることや社会に出ることに疑問を感じ始めたのは大学受験が終わった夏休み風の谷のナウシカを読んだ時からかもしれない。 私は大学には高校を卒業して半年のギャップイヤーを経て入学したので、夏休みは誰と遊ぶでもなく、実家で引越しの準備と勉強に追われていた。時間はあったので、風の谷のナウシカの原作漫画を某通販サイトで安く買って、読むことに夢中になっていた。 風の谷のナウシカといえば、映画が有名だが、原作は漫画である。映画以上に多い情報量を処理しながら、宮崎

          風の谷のナウシカから人類としての私を考える