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嘘の醜さと美しさ~映画「怪物」を観て~

ある映画を良いと感じるとき。
余韻の広がりが大きなものを良いと感じることが多い。
観た瞬間のインパクトは大切だけれども、
映画館を出て日常に戻ったあと、何度も何度も心に何かが広がる。
余韻で泣いてしまうことすらある。
「感動」を劇場限りにせず、時限装置にする。その衝撃にも感動を覚える。

カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した「怪物」を観てきた。

怪物だーれだ?

映画のポスターにもあるキャッチコピー。
怪物は、誰だったんだろう。

ネタバレを最小限に留めるが、この映画は3つの視点で描かれていく。
視点が切り替わる度に、理解できない「怪物」が美しいものへと切り替わる。

ヒトは嘘をつく。
それが嘘だということだけしかわからないと、とても気味悪く映る。
何故そんなオカシイことをするんだと思う。
醜い嘘となる。

ヒトは価値観を守るために、怒りを発する。
だとすれば、嘘も価値観を守るため、なのかもしれない。

嘘で守ったものが見えてくるとき、
世界は美しく並び変わる。
醜い嘘が、美しい嘘へと転換した。

その転換を感じる瞬間に、感動を覚えるのではないだろうか。
良い映画には、それが沢山凝縮されており、観た瞬間に全てには気づけない。
劇場から日常へ戻り、物語りを反芻するとき、誰かと語らうとき、ハッと気づき、転換される。

そんな綿密に仕掛けられた作品だと思った。

よくわからなったモノの秩序に気づく瞬間はとても楽しい。
それは日々にも当てはまり、何かを学ぶ動機にもなり、価値にも繋がる。

あの『怪物』のラストを観るような体験ができるのであれば、学ぶことはとても楽しい。

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