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ひざ小僧の傷を思い出す



久しぶりに、
寝る時にうつ伏せになっていました。


いつもは横を向いて寝ることが多いのです。


うつ伏せになって、体がベットに接しているのをすごく感じました。


ひざが、敷布団に少しこすれました。

その時、ふと懐かしい感覚になったんです。



昔はよく、ひざ小僧にけがをしていたなぁって。

がむしゃらに走って、
すっ転んで、
ひざには、真っ赤な血と赤紫色の傷がにじむ。


痛いんですよね。
実際に、チクチクヒリヒリ痛いし、
何より、自分のひざがそんな状況になっているのを目で見て、気持ち的にすごく痛いんです。


今は、
転んでけがをすることなんて無い。

筋肉痛や疲れとかで内側が痛むことはあるけど、
外側に、そういう大きな傷をすることってほとんどないです。

大人になったなぁ〜と思いつつ、
なんだかさみしくなります。



あの頃みたいに、
何も考えずにめいっぱい走って、叫んで、大きな口をあけて笑って、ってしたくなりました。



昔は自分の体も心ももっと自由だった。


周りにどう見られているか、とかはあまり考えていなかったし、
心と体がまっすぐ繋がっていたような、そんな感じです。

叫びたい、って思った時には叫んでいるし、
走り出したくなったら、もう次の瞬間には足が出ていました。
体ひとつでどこへでも出かけていたなぁ。


今は、
周りの目、空気を読むこと、人に合わせること、相手の気持ちを考えること、
セットした前髪、身につけているイヤリング、
毎日持ち歩くポーチ、可愛いけど歩きづらい靴、、、

気にすることがたくさん。


心に湧きあがるものに対して、
そういうたくさんの意識たちが制限してきます。


これまで生きてきて
身につけてきた、常識たち。
学んできた、空気。
つくりあげた「自分」。


そうやって学んできて、大人になってきたわけで。きっとそれは必要なこと。

成人してるのにそういう意識たちを持っていなかったら、私たちはきっと、社会では受け入れてもらえない。


だから、これでいいんです。きっと。



ひざに新しい傷がないっていうのは、
大人になった証拠。


でもやっぱり、ちょっとさみしいなぁと思ってしまいます。
あの頃の、何も持たなかった自分。

かるくて、
どこにでも行けて、何にでもなれると信じていた自分。





色んなことを知り、学び、経験していくことで、
「自分」になっていく。
それはかけがえのないことです


でも、
何者でもなくて、
なんでもできた、
あの頃の自分はいなくなった。


「自分」になることで、可能性はどんどん減っていく。






歳を重ねるってそういうことなのかなぁ。


可能性や選択肢が減っていく分、
「自分」を知り、「自分」になっていく。


年齢を重ねるってすごいですね。
さみしいけど、それ以上に、尊いと思いました。




これから、どんな「自分」に出会えるのでしょうか。
なんだか楽しみになってきました。





おわり




今の気分
チーズナンが大好きです。
なかなかハードな食べ物なので、なにか頑張った時のご褒美とかにたまに食べます👲🏽

昨日久しぶりに食べたんです。それを思い出すだけで、また幸せになれますᡣ𐭩

チーズがとにかく伸びるんです。チーズのしょっぱさとナンの甘みが混ざりあって、もうそれはそれはたまらないのです✌️

あまじょっぱいってどうしてあんなに美味しいのでしょうか!あまじょっぱいは、正義です!

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