働く事を考える。
今日から新しい職場へ
さてさて何箇所目か…
もう両手では考えられないほどだろう
以前noteにも書いたが
やっぱり母はこの転職の繰り返しが嫌らしい。
実家に帰りたくなかったが、
先日実家に帰ると案の定。
『そんな転職ばかりして。じっとしていられないのはどこか頭がおかしいのではないか。』とはっきり言われた
70代の母たちは終身雇用は当たり前。
そんな中、こんなにも転職をする娘の心配なんだろうが
いつも言葉が冷たく
イラっとさせられる。
なぜ、心配しているんだと言えないのだろうか
親は子を心配するのが当たり前って風習の中に生きているはずなのに、
こんな母でも以前の私は認めて欲しいと思っていたから、昔の私はきっとかなり辛かっただろうと。
今は全然認められなくてもよいとは
思っているが、なぜに今回も転職を話してしまったのはまだこの思いがあるからだろうか。
どうせ同じ反応だと予測もできていたのに
やっぱり刷り込まれた思いは怖いものだ。
今の私は、新しい職場へ行くって言うのに。いつもの私なら、そわそわしているが。
全くそれがないのだ。
よく思われたい。来てくれてよかったって言ってもらいたいと普段は感じてスタートし、過サービスや過労働し疲弊しまくる。
いつもこのパターン。
今回はそんな思いもあまりなく
とりあえず行くかね。くらいの感じでスタートする様だ。
そのせいか、毎回新規会社には、スタート時に菓子折り持参していたが
今回は全く気が付かなかった。
今回はひとの目ではなく。自分がどうしたいかそれを念頭に置いてみようと。
感じる。
子たちも大きくなり、私の度重なる転職に『またかぁ。次はブラックじゃないと良いね。』と笑うくらい軽い。
私が親を見てきて仕事は辛いのは当たり前。辛くても我慢する。家族のためお金のためって姿勢でみてきた。
だから親は『あんたのために働いてる。』と言っていたのだろう。
以前長男に同じ様に『あんたのために…。』と言ったこともあるが
彼からは『頼んでないわ。俺』と言われたこともあった。
あの頃は、イライラとしたが。
今考えると彼の思いはかなり正解だなぁと
親は子どものために働くとかもちろんだけどさ。
そんなに重要ではないな。と
わたしが、やりたいことをやるための仕事をする姿を彼ら息子たちがみて。
やりたくないことを無理に続けず
社交辞令でなく働く姿を見て欲しいと感じている。
そんな事を考え新しい環境をスタートさせてみようかと思う。
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