おすそわけ日記 207「我が家の陰翳礼讃」
昨夜遅く、台所の電気が点かなくなった。
実は、一ヶ月ほど前に台所の洗い場の蛍光灯も切れてしまい、ここしばらく、やや手暗がりな状態で料理や洗い物をしていたのだ。
それが今や、手暗がりから、暗がりに急転直下。
流石にこれでは料理が出来ないなぁと対応を考えていたら、母が「居間の電気で見えます!」
いや、見えないって。それ、明らかに暗いって。
「大丈夫です。私には見えます!」
母さん、エスパーか。
ここで強く言っておきたいのだが、うちの母は「全国おっちょこちょい大会」に出場したら、ベスト3に入るだろう位の、うっかり八兵衛である。
その母のうっかりの一つに、台所で落とした包丁が足に垂直落下して足から出血、私が家に帰ってきたら、台所のラグが血を洗った跡で薄赤く染まっていたと云う、恐ろしい過去がある。
そんな母が、この暗がりの中で、一体、何を調理しようと言うのだろう。
頭に『陰影礼賛』と云う、谷崎潤一郎の本の題名が浮かぶ。
うろ覚えだけれど、部屋の端に薄暗がりが出来る行灯の灯りと見えないことへの美しさを称えていた作品。
いや、今の状況をそこに昇華させて、浸っていてはダメだ。
昼間のうちに、台所の蛍光灯を外し、急ぎ、替えの手配をする。
蛍光灯って、どれが品番で、互換性はあるんだっけ?
あ〜、わからない!こんな時、我が家に男手があれば!
ここで、私お得意の「家に男手がいない不便さを知らない女性への憎しみ」に一瞬、火が点く。が、最近の私はエラいので、この本質は「一人でがんばって来た自分を褒めてもらいたい」にあるのだと気付けるようになった。よい子、よい子、私、よい子。本当にいつもがんばっていますね。
そんな風に心の中で自分との折り合いをつけながら、蛍光灯のメーカー、近所のスーパーに家電店と電話をかけまくり、スマホでネットショップの在庫もチェックする。
結果、早さと値段と手間を考慮して、ネットで家電店に蛍光灯を注文する。
明日届くから、それまでの我慢。
「今夜の夕飯は、調理に時間がかからず、洗い物も少なく!」
それを合言葉に母と買い物に行き、出来合いのカツとキャベツの千切りでソースカツライスに味噌汁、サラダに決定。
「あ、お母さん!もう暗くなってきたから、キャベツは居間で切ってね」
「大丈夫。私、見えるから」
えー!見えてて、包丁、足に刺した人が。えー!正直、かなり心臓に悪かったが、手配と買い物で疲れて、くったりな私。信じよう。
信じて任せたら、母が怪我もせずに、ちゃんとご飯を作ってくれた。ありがとう、と云う気持ちより、ほっとした気持ちが先に立つ。
さくさくと夕食を済ませ、そそくさと後片付けを終え、ミッション・コンプリートな気分。
食後の紅茶を飲みながら、洗い場の方の電気ってなんで点かないんだっけ?と疑問が浮かぶ。
母に尋ねたら、新しい蛍光灯に替えたけど点かないから、接触が悪いか、壊れたのかも、とのこと。
ふーん、ちょっと試してみよう。
「点きました!あっさり点きました!」
思わず、母と二人で抱き合って喜んでしまった。
この一ヶ月の、陰翳礼讃に片足つっこみかけた状態は何だったんだろうと云う思いが浮かぶも、そこは忘れて、私。
今はただ、明るくなった洗い場を目を細めて眺めよう。
明日には、台所の蛍光灯も届く。
これで、明るい我が家が戻ってくる。
さらば、我が家の陰翳礼讃。
【今日の一枚】台所の電気、三十年物なんです。今、シェードをはめ直して写真を撮ろうとしたら、はまらない…。明日、私は泣いているかもしれないです。
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毎日、書く歓びを感じていたい、書き続ける自分を信じていたいと願っています。