夏だ!民俗学だ!妖怪を知ってみましょう編。
怖くない畏るべき妖怪の物語について、お話します。
妖怪について語ります。夏ですのでね!
とはいえ、怪談話をコミカルに唄うのは本ブログにそぐわないので、例の如く学術的な定義付けを試みます。
すなわち「民俗学における妖怪の構造」というものについて、ちょっとばかりフィールドワークでの知見を加えつつ、まとめてみたいと思います。
とりわけ今回取り上げるのは、①妖怪の正体について、②妖怪の時代的変遷について、③具体例として〈カッパ〉について、語ります。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」などと諺にありますが、人間が感情の動物であり情緒を無視しえない動物である限り、どんなに科学が進歩し森羅万象の悉くに学問的裏付けがなされたとしても、枯尾花を幽霊と見、枯枝をお化けと見ないとはだれにも保証できません。
とはいえ科学の灯が眩々しく夜空を彩るこの世界で、人間は確かに闇に対する感受性を喪失し、闇を知る我々の祖先とは、闇から生まれた妖怪への感覚に大きな乖離があることもまた事実でしょう。
しかしながら、全世界にもっとも古くからあるアニミズム的な妖怪・精霊民話を、すべて「幼稚素朴で荒唐無稽な空想の産物」として心理的・文化的説明で片付けてしまってよいのでしょうか。
そんなことを、なんとなく考えつつ、理解を深めていきましょうね!
↑↑ ぜひ拙作「琴葉茜の民俗学シリーズ」とあわせてご覧ください ↑↑
ひとつ目、妖怪の正体について。
「正体」などと仰々しいことを言っておきながら、あくまでも学説のひとつ、とりわけ我が国民俗学の泰斗として私の創作物シリーズにてお馴染みの、柳田国男による言説をもとに、妖怪に対する現時点での私論的分析を述べさせていただきます。
(なお栁田にとっての妖怪学の視点は①人は何故妖怪を信じるのか、②妖怪に関する民間語彙の収集にあります。後述。)
結論から述べると‥‥
「妖怪とは、前代の信仰=神々が零落した姿で、その畏怖の念のみが残ったもの」
として定義付けられます。
神は人に祀られるが、妖怪は人に祀られない、あるいは人に退治された後になって神として祀られる。
古代において神として信仰されていた存在が、次第に人間からの信仰心を失った結果、祭祀の対象から外れていき、人間に害を齎す超自然的存在‥‥
すなわち妖怪として捉えられるように。
(柳田国男著『一つ目小僧その他』2013年、小松和彦編『妖怪学の基礎知識』角川学芸出版、2011年)
霊魂には喜怒哀楽の感情があり、激しい怒りで恐れを抱かせる感情の神は〈荒魂〉、心優しく穏やかで富や幸いをもたらす感情の神は〈和魂〉として区別していた、というのは上記拙作動画にて紹介した通りです。
荒魂を和魂に変えるべく、人びとは鎮魂・祭祀を行ない、土地の守り神として崇め奉る。
その一方で祭祀されない、あるいは出来ない‐ような荒魂が生じ、制御不能となって好ましくない現象を引き起こすものと零落していった‥‥。
と、考えられますね!
改めて、妖怪という概念。
デジタル大辞林によると「人の理解を超えた不思議な現象や不気味な物体」、精選版日本国語大辞典では「人の知恵では理解できない不思議な現象や、ばけもの。変化(へんげ)。ようけ。妖鬼。」と定義されています。
しかし、この〈妖怪〉という単語、個々人の解釈ひいては研究者間においても語の包括する範囲の一致を見ない概念であります。
明治期以降の学術用語としての〈妖怪〉を考えてみると‥‥
すなわち〈妖怪学〉の端緒となったのは、同名の論考を執筆した明治期の仏教哲学者である井上円了から。
井上は「古来人の妖怪不思議と称して道理の外に置きたるものを道理以内に引き入れんことをもって研究の目的」とし、科学的見地からオカルティズムを廃し、合理的解釈を導き出すことで日本人の啓蒙を図りました。
換言すると井上にとっての〈妖怪〉は、古今東西の不思議な現象全て‐彼なりの仏教哲学に依拠する森羅万象の心理へと通ずる観念である〈真怪〉‐であって、我々が想起する一般的な妖怪感とは大きく乖離します。
一方で、栁田にとっての妖怪学が掲げる軸のうち、①人は何故妖怪を信じるのか、という観点。
これは井上が科学的に妖怪が実在するかどうかを考察の対象としたのに対し、栁田は実在性の可否そのものを問題とせず、その深淵に潜むもの、妖怪を生み出した人間の想像力に目を向け、日本人の信仰や精神性を明らかにすることを意図しました。
よって、栁田による〈妖怪〉の範疇は「人びとが伝承してきた畏怖の対象」であるといえます。
そして、21世紀現在。
分析概念である「妖怪」を再構築した小松和彦氏は、栁田の妖怪論以来ほとんど停滞していた妖怪研究を刷新し、〈妖怪現象〉〈妖怪存在〉〈造形化された妖怪〉という三つの意味領域から成るものとして再整理しました。
(小松和彦編『妖怪学の基礎知識』2011年.)
このように、妖怪学の発生当初からそもそもの〈妖怪〉という概念の曖昧さは付き纏っており、個人的には現代においても解決していないまま残されているように思います。
(ただし“民間信仰”などと同様に、曖昧なまま残して置く方が良い概念なのかもしれませんが。)
さて、栁田的ないわば妖怪零落説は後続の妖怪研究たちへ強い影響を及ぼし続けていましたが、1980年代になると栁田説に追随しない、新たな妖怪研究の潮流が生まれ始めました。
その中心人物こそ先の小松和彦氏であって、彼はこの栁田の主張を前提としつつも否定し、祀られることで「神」となる「妖怪」は同時に棄てられることで再び妖怪になるのであり、神と妖怪は併存し一方から他方へ変質し得るのだと述べました。
(小松和彦編『妖怪学の基礎知識』2011年)
栁田説・小松説の妥当性を素人風情が議論することは避けますが、兎も角、妖怪の超自然性・非実在性に関しては現在の妖怪研究において‐あるいは在野の人びとにとっても‐幅広く主張されほぼ無批判に受け入れられているように思えます。
この意味では、井上円了が当初意図した「妖怪学」の存在意義は果たされているのかもしれません。
ふたつ目、妖怪の時代的変遷について。
明治から戦後にかけての流れは既に前項にて片足突っ込んでしまいましたが、まずは古代にまで遡って、その潮流の原点と歴史的趨勢を考えてみたいと思います。
ここでは、ベストセラー本となった江馬務『日本妖怪変化史』(1923年)を基礎として紹介を試みます。
風俗史家である江馬は、井上円了に続いて妖怪を学問の舞台に引き上げ、さらに妖怪の実在性真偽を問わない文化史研究の草分けとなった人物であり、歴史学的に検証する価値のあるものとして妖怪を捉え、妖怪の出現理由や形質的特徴を分類し、その変遷を辿りました。
既に一世紀前の論述ではあるものの、現在の我々の我々が妖怪と聞いて思い浮かべる基本的なものは網羅されている書物でありますので、活用させていただきます。
(ただし、その研究対象は井上のそれよりも狭いものではありますが。)
第一期、神代。
我が国には神話世界より、あらゆる動植物や自然、言葉も含めた森羅万象すべてに霊魂が宿るとし、八百万の神々を信じるアニミズム観が存在していたと考えられています。
『日本書紀』神代下からは、天地開闢の折に草木みな言を発していた様子を窺い知れます。
これらの伝説のように霊妙・奇瑞で満ち溢れているものは多々あれど、後世の如く人間や動物のオバケなどといえるものはありません。
一方で人間の能力は神懸かり的であり、後世の幽霊に見る如く恐ろしく偉大なものが多いです。
第二期、神武天皇から仏教伝来まで。
神々が活躍する時代から、その末裔である天皇家の人びとを中心とした世界へと移り変わります。
人間の時代となり、前代のような霊妙な事績はすべて後を絶つこととなりましたが、未だに妖怪はおらず、いわば現世的変化が進んだ時期であると評価できます。
第三期、仏教伝来から応仁の乱まで。
『日本書紀』によると欽明天皇十三年(西暦522年)に仏教が百済より公伝し、これ以降の我が国の思想史が一変、具体的には来世、輪廻転生、因果応報の思想が明瞭になってきます。
そして平安・鎌倉期には、生霊・器物・自然物の精霊があるという発想が深化し、これらが仮に姿を現すと信じられるようになり、妖怪変化を思わせる異形のモノが登場します。
早くには斉明天皇の頃、石見国の山奥に現れ、夜に人家にしのび入り人の生き血を吸ったという、「恙」という虫のような獣のような異形。
そのほかにも『日本霊異記』『今昔物語集』など王朝期の説話文学には、怪異や妖怪を描いた話が数多く登場してくるようになります。
また従来までは、神仏や霊的存在を絵画・彫刻として造形化するような習慣が無かったものの、特に鎌倉時代以降、絵と言葉の両方を用いて物語を表現する絵巻物において彼らの姿が描かれるようになり、今日にまで繋がっていく怪異・妖怪の造形の原点となりました(代表作として『北野天神縁起絵巻』『不動利益縁起絵巻』『長谷雄絵巻』など)。
絵巻物、そして御伽草子という媒体を通して、はじめは時事や寺社縁起関連の添え物的な扱いとして登場した妖怪たちは、室町時代の、酒呑童子の討伐を物語る『大江山絵巻』をはじめとする妖怪退治譚では主役的活躍をみせるように。
同じく室町時代には『付喪神絵巻』が描かれ、鬼観念を前提に道具が化けるという思想が発します。
すなわち、妖怪が恐怖や信仰上の対象であると同時に、次第に一種の娯楽化の様相も見せ始めた、最初の時期であるとされています。
第四期、応仁の乱から江戸末期まで。
まさしく妖怪変化跳梁の時代で、妖怪の種数が非常に増加します。
江戸時代には前時代の妖怪絵巻の伝統を踏まえつつも、妖怪受容の大衆化・娯楽化が飛躍的に進み、さまざまな絵画形式や媒体に描かれるようになった怪異・妖怪は、日本文化の大きな一角を占めるようになります。
その背景にあるのは、印刷・出版技術の発展による貸本業。
江戸をはじめとする大都市では妖怪に関する本が盛んに読まれ、大衆に親しみやすい妖怪のイメージが固定化されていきます。
しかし固定化と同時に、①道具の妖怪の分化、②名付けによる共同幻想化によって、創作された妖怪種目は無数に増加する様相を見せます。
また、人間の悲劇を直接的に描き出す話法の発達して幽霊譚が流行するとともに、同じく流行した百物語なども浮世絵の題材としても人気に。
こうした創作化の過程で過程で新たな妖怪が誕生し、とりわけ『画図百鬼夜行』で有名な鳥山石燕は江戸時代以前の〈妖怪〉という存在を再編・整理あるいは創作し、後世の妖怪創作に多大な影響を与えました。
広島県三次市にある「三次もののけミュージアム」では、こうした江戸時代以降の妖怪のキャラクター化について注目し充実した展示がなされていますので、ぜひご訪問ください!
さて、井上円了を発起とする開化期から21世紀現代までの流れについては前項の通りであります。
そういうわけですので、栁田の一国民俗学的な妖怪研究への反動として専門化してきた平成の妖怪学は、その学問的地位を認められはじめたのはごく最近のことなのです。
また、敢えて付け加えるとすれば‥‥
立ち戻って、栁田国男にとっての妖怪学のテーマのもうひとつ、②妖怪に関する民俗語彙の収集について。
栁田は消えゆく民話や方言に関して危機感を覚えて各地の民俗に関する言葉を集め、葬送や婚姻、漁撈などに整理・分類し解説文を加えたものを会誌『民間伝承』に断続的に投稿し続けました。
すなわち妖怪学は栁田の時代から、民俗学に限定されない学際的な領域、とりわけ方言学によるアプローチが含まれており、佐藤清明『現行全国妖怪辞典』(1935年)をはじめ、東条操や橘正一らによる研究が行われてきました。
これは同時に、栁田妖怪学がフィクションとしての妖怪譚を強く排除する傾向があることも示しており、フィールドワークで収集した生々しい民衆の声を保存・分析することこそが〈民俗学的に正しい手法〉であるという認識を醸成していきました。
近世以降多く作られた怪談集なんかは中国大陸から輸入されたエピソードの翻案が大半であったため、栁田はそれらを格好の批判の対象としたわけですが、これは当時、文学や絵画作品に描かれた妖怪への研究が基本であった潮流とは一線を画すものであります。
加えて私論を交えて考察をすると、これほど妖怪学の確立が遅れてしまった原因は、妖怪研究に対する方向性が常に一直線であったわけではなく、専門家・在野も含め、研究対象の範疇も曖昧なまま、整理されず散発的に行われてきたからではないでしょうか。
近世において歌舞伎・浮世絵・小説の三角関係の中で親しまれてきた画像妖怪たち(たとえば酒呑童子、玉藻前など)以外の、そうした大衆文化に登場する余地のほとんどなかった画像妖怪たち(ぬりかべ、ぬらりひょんなど)は、むしろ明治期に入るまで〈妖怪〉のイメージに看板すら立っていませんでした。
江戸末期~明治期までに一般的にイメージされてきた妖怪たちと、さまざまに積み上げられてきた、専門家・在野を問わない個々の研究成果に登場する妖怪たちが、1960~1970年代頃の妖怪に関する大衆向け書籍において、「妖怪たちは一見均質的なおどろおどろしい要素をもつイメージ」として急速整えられていったのです。
(伊藤慎吾・氷厘亭氷泉編『列伝体・妖怪学前史』2021年.)
端的に換言すると、具体的に性質や筋書きが存在しない、ほとんど詳細を検討されていなかった単純な画像妖怪たちに、「伝承めかした」「民俗学的要素を加味した」均質的な解説文が突如付与された。
史料的な妖怪学研究が進んだ現在では、それらがあくまでも荒唐無稽な創作として解明・共有されつつあるものの、現在に至るまでこの数十年前の解釈が活用され続けているのが実情でしょう。
すなわちその原因のひとつは、それまで同居していなかった別系統の画像妖怪たちが、民俗学的手法で収集されてきた民間伝承上の妖怪の中へ投げ込まれて均質に理解されてしまった結果、「同様な性質を情報として共有しているであろう」とごく自然に受け取られてしまった‥‥
そんな単純で、直線的な誤認であるのでしょう。
そういった新時代の傾向も、通史的な妖怪の理解においては興味深いとは思うのですが‥‥。
とはいえ、古のアニミズム時代から今日に至るまで、妖怪は人間なしには片時にも生き延びることはできません。
これは妖怪に付き纏う哀愁の翳りの理由でもありますが、しかし彼らは今日では、煌々と夜の闇を照らす砂上の楼閣から既に追いやられてしまっており、自然に対する生々しい感性を抱くことのできない無機質な現代都市に生きる我々にとって、人間は元来の妖怪 ‐あるいは神‐ に対する畏怖の念をもはや持ち得ない時代に直面しています。
数十世紀にわたる人間との交渉の末、恨みつらみの相克を繰り返すうちに妖怪は年月の波に洗われ、その昔人間を震撼させ恐怖にかりたてた怪異な霊力は、人間の知恵の前に悲運の敗北を遂げたにもかかわらず、妖怪は人間の魂に喰らい付いて離れず、人間の生きるかぎり生きながらえ、敗残の醜態を晒し続けている‥‥。
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中で生きるひとりの人間として、妖怪や神への向き合い方を、改めて解釈しておかなければと感じますね!
最後に具体例として、カッパについて。
もっとも身近で親しみやすい妖怪のひとつである、カッパ。
抽象的で表面的な概念理解に留まらず、個々の事例分析を通して如何に妖怪学が発展してきたのか、逆説的に覗いてみようという試みですね!
さて、カッパ。
goo辞書によると、《「かわわっぱ」の音変化》として、「水陸両生の想像上の動物。身の丈1メートル内外で、口先がとがり、頭上に皿とよばれるくぼみがあって少量の水を蓄える。背中には甲羅がある。人や他の動物を水中に引き入れて生き血を吸い、尻から腸を抜くという。かわっぱ・河太郎・川子・河伯 (かはく) 、その他異名が多い。」
との定義付けがなされています。必要十分ですね!
解説の通り、カッパは異名‐各地方ごとの民俗語彙‐が非常に多い妖怪でありまして、具体的には奄美のウバ、日向のヒョウスエ、壱岐のガアタロ、土佐のミヅテン、阿波のエンコ、備中・備前のカワゴ・コーゴ、紀伊のカシヤンボ、津軽のオショコサマ、アイヌのミントゥチなどが挙げられます。
(和田寛『河童伝承大辞典』2005年.)
民俗語彙ごとの個々の検討は私の能力上難しいのですが、敢えて分類するとすれば‥‥
カワッパ(川童)系
ミヅシ(水主)系
エンコウ(猿猴)系
になるものかと考えております。
①カワッパ系について。
「川かわ・童わらべ」とか「川かわ+太郎たろう」となる、すなわち陸上の水界と童子を意味する民間語彙の系統。
身の丈の小さな二足歩行の水獣という、典型的な河童のイメージですね!
壱岐島ではカッパを「ガアタロ」と呼称しますが、髪を振り乱した子供の姿で現れ、家の富に関わるとか、家主の失策を怨んで富とともに来なくなるとか、さまざまな伝説が残されています。
②ミヅシ系について。
これは、古くは「水主」と当てられ水界の主を連想させるもの。
いづれにせよ、カッパに関する「ミヅシ」という民間語彙は、彼らが本来的には水の衰勢に携わる重要な神霊であったことを示唆する、重要な伝承であると評価できます。
③エンコウ系について。
これは、カッパとサルはしばしば同じ方言であり、双方を「エンコ・エンコウ」とする地域が出雲、石見、土佐などに多い。
さらに両者は風体と鳴き声まで似ているという伝説も散見されます。
古くは猿はもともと馬を守護する役目を持っていることが多く、猿を厩に繋いでおくと馬に良いことが起こるという信仰がありました。
滋賀県大津市にある日吉大社では、猿が馬を曳く、すなわち神猿が神馬の口添えとなって神の伴をすると伝承され、全国の山王社にも共有されました。
一方で馬が水辺にいるのは、古来我が国では湖の畔に牧場を作ってそこに馬を飼っておくと、ある日いきなり湖から神馬があらわれて良胤が得られる、という信仰があったからではないか。
湖に棲む水神あるいは龍神の力によって尋常ならざる子を得ようとする発想であり、ミヅシ系と同じく水神小童に分類される信仰の残り香であると推察できます。
その他のカッパの特徴についても考えてみましょう。
両腕は体内で繋がっており、片方の腕を引っ張ると片方の腕が縮み、そのまま抜けてしまう
→ 上述の通りカッパとサルはともに「エンコウ」。これは元来は中国大陸のサルの妖怪〈猿猴〉にある特徴であり、次第に両者が混淆されてカッパにもその特性があるとされた。
(折口信夫「河童の話」1930年)相撲を取りたがる河童
→ 古来日本では田植えを行う際、その年の豊作を占う田植えの行事において力比べをおこない、水神にそれを捧げるという行事があり、これを相撲の原型とする説もがあります。いずれにせよ、相撲は神霊の加護援助がいずれの側に厚いかを知らんとする方法のひとつであり、家にある特別な力の筋を伝えるための話として利用、カッパにも仮託されました。
(柳田国男『妖怪談義』2010年)河童の「皿」
→ 河童の皿は元来単に水を盛る以上の機能があり、富の貯蔵庫や生命力の隠し場所、かつて神として水を自由自在に使った力の名残。一つ目小僧の一つ目に相当するものといえます。物語では〈水を頂くが為に強い〉カッパの力を頭の皿に結びつけ、其処にある水を降りこぼされると弱くなると合理化されます。
(柳田国男『一つ目小僧その他』2013年)
そうして誕生したカッパ伝説の類型をまとめると‥‥
毎晩、海ないし水界からやってくる。
人によって使役されている。
使役されていることがその家の盛衰に関わっている。
最後に、その家の主ないし家族の失策によって現れなくなる。
人畜を水に曳きこんだ、曳きこもうとしたカッパは、悪行のために人に駆使せられるようになったり、富をもたらしたりする。
しかし水神であった時代の恐るべき威厳は失われ、むしろ人間はカッパを駆使することによって、常に悲劇に終わるべき盛衰譚を軽く解決し、なんとなく憎めない、面白可笑しい説話として生まれ変わっていった。
このような経緯で、いまの我々が認識する〈カッパ〉像が形成されていったのであると考えられます。
もちろん一説にすぎず、検討しなければならない観点は多々あることは自覚しているのですが‥‥
これ以上はくどくなるというか、妖怪学の範疇から逸脱してしまう部分もあると思われますので、昔話・伝説については次回、取り扱いましょうね!
おわりに
以上、長々と、むしろ冗長なくらい、妖怪概念についてなんとなく解釈を試みてみました。
力を込めて概観してみてみた感想は‥‥難しい!の一言。
民俗学・方言学ともに門外漢である私の手に負える代物ではないなァと、一通りやってみて、思いました。
というわけですので、上記解釈には大いに誤りや古い説が含まれているはずですので、あくまでも参考にしていただきつつ、適宜ご指摘を賜れますと幸いです。
とはいえ、このように時間と労力を費やして考察する機会を得たのは、良かったなァとも同時に思っております。
個人的な事情ですが、8月上旬に東京へと引っ越してきた身の上。
特に私は単身者でありますから、地縁的結びつきはあまりにも希薄なものとなってしまい、都市生活上で生じる悉くの責任は個人・家が負うべきであって、隣家や地域社会へ期待してはならないという環境に、否応なく放り込まれてしまった。
都市住民が地域社会から浮き上がっていること、周囲から隔絶した生活を送らざるをえないことは孤独感を与えて、そして都市住民はこの孤独感を超克しない限り安心して生きていくことはできません。
物質文明の進歩は人間の生活を豊かにしてきた一方で、不意の交通事故、機械故障、技術力を上回る自然災害の脅威など、進歩すればするほど自らの生命をその危険に晒さなくてはならないという、文明のために人間性を犠牲にしなければならない無限の「いたちごっこ」を続けているのが現況であるといえましょう。
確かに近代科学は世界の闇を払い、我々にある種の精神的な安心感を齎し、他方で妖怪はより深い闇の奥へと去って行ってしまった。
なにより近代科学は自然現象の定在的・普遍的なものの追求を通じて発達してきたものであるから、異常現象として特定の場所や時期に発生する妖怪は、頗る相性が悪いものであります。
しかしながら、そんな妖怪たちの活躍する昔話が、昔の人びとの素朴で私的な空想力の創り上げた、根も葉もない、かつ肩の凝らない娯楽であると断じてしまうのは、なんというか、もったいないような気がするのです。
人間が死の恐怖を克服できない限り民間信仰や宗教を生み出してしまうというのが私個人の解釈でありますが、畢竟我々は日常生活のさまざまな場面で、社会や運命の不条理を感じ、霊的存在にその身を委ねたり、あるいはその不運の責任を負わせたりしているはず。
だからこそ、我々の祖先たちが語り伝えてきた妖怪変化の正体について想いを馳せ、時には実際に体感し、そのうえでこの不条理な現代社会を力強く生き抜いていくというのは、実に重要なことであると思ったのです。
などと、専門家気取りの一夜漬けの鍍金が剝がれてしまう前に、次回予告。
妖怪とも深く関わる議論として、昔話・伝説といった民間伝承について、もう少し深堀してみたいと思います。
栁田が重視してきた、民衆の声と力である民話の収集。
何故栁田は重きを置いたのか?そもそも何故人びとは民話を語り継ぎ、語り継がなければならないのか?その物語にに含まれる本来の意義とは何か?そんなことについて、さらに解釈を試みます。
ま~た冗長な内容になってしまう気がするのですが‥‥
端的に、まとめたいですね!
今回と次回を合わせて茜ちゃん民俗学シリーズ第6回とする予定ですので、そちらも是非お楽しみに!
参考文献
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国際日本文化研究センター「怪異・妖怪画像データベース」https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiGazouMenu/
山城大歩危妖怪村「山城・大歩危妖怪村とは」https://oobokeyoukaimura.localinfo.jp/pages/2597201/blog