読書会をしたよ: 3/22『資本の時代』第1回

ごあいさつ

 昨日(230322)、例によって読書会を行いました。なので参加者全員で作り上げた読書会を、自分の都合の良いように改変・編集・記述することでブログのネタにします。「歴史は勝者によって作られる」とはよく言ったものです。悔しかったらお前らも書くんだな!!!(どうせ身内しか読んでないからこういうことを書いちゃう)

 あと自分用の備忘録的な意味合いも強いので、読者さんのリカイタビリティはあまり意識しておりません。悪しからず。

今回の読書会の概要

 二分冊で合計500ページくらいある本なんですけど!!読書会を振り返って記録をつけた記事でさんざん「分厚い本はやめた方がいい」みたいなことを書いてたじゃん!!

まぁなんとかなるでしょ。

 著者のエリック・ホブズボームはイギリスの歴史家で、「長い19世紀」とか「短い20世紀」みたいなことを提唱したことで今も有名な人です。世界史を学んだりする中で聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。今回読む『資本の時代』は長い19世紀3部作の2作目で、1作目が『革命の時代』、3作目が『帝国の時代』となっています(1作目は読んでないけど、3作目は今のに続いて読書会をやるらしいよ。気が長い話だね)。本書は1848年から1875年までを対象に、ヨーロッパ全体の歴史を描こうとしているらしいです。それをたった500ページ程度でやろうってんだから、歴史家ってのは野心家じゃなきゃなれないのかもしれませんね。

 第1回の今回は、「第4章 紛争と戦争」までのおよそ110ページを読んできました。次回開催からはもう社会人の私は、果たしてこの読書会を完遂できるのでしょうか?

  • できる:1.8倍

  • できない:2.7倍

話したこと

マルクス主義・唯物史観的ものの見方

 ホブズボーム自身が共産党員であったり、『いかに世界を変革するか──マルクスとマルクス主義の200年』といった本を出版していることからも分かることですが、本書における歴史叙述には多分にマルクス主義の影響が見られます。

 つまりは「下部構造(経済構造)が上部構造を規定する」という認識枠組みが、そうは明言されないまでも、なんとな〜く全体に浸透しているように感じられるということです。
「この好況の政治的な影響は、はかりしれないものがあった。それは、革命に揺さぶられていた諸政府にこのうえなく貴重な休息の時を与え、逆に、革命家たちの希望を打ち砕いたのである(p. 44)」
「歴史上のこの時代を、相対的にかくも血なまぐさくしたものは何であったろうか。第一に、それは世界的な資本主義の拡大のプロセスそのものであり、それが非西欧世界の緊張を増大させ、また工業世界の野心を増大させ、またこのプロセスから生じる直接・間接の紛争をも増加させたのであった(pp. 109-110)」

 別にマルクス主義だからクソ〜〜みたいなことを言いたいわけではありません。むしろ日本語で読めてマルクス主義的に19世紀の欧州史一般を捉えた骨太の歴史書なんてものは(多分)存在しないわけで、それだけで価値があります。しかし、そういった著者の持つ世界観(←正しい意味で使っててエラい!)に対して自覚的に読まなければ、歴史書を読んでも両手落ちです。E・H・カーも『歴史とは何か』において「私たちが歴史の書物を読みます場合、私たちの最初の関心事は、この書物が含んでいる事実ではなく、この書物を書いた歴史家であるべきであります」と言っているであります(どうでもいいけど、いつまでカーの『歴史とは何か』でこういう歴史学に対する心がけを語らねばならないの?)。

 ホブズボームが唯物史観的傾向を持っていることにより見えてきた問題点が読書会ではありました。1848年革命について「それらは労働貧民の社会革命であった(p. 20)」という記述に対して、例えばオーストリアの場合には「労働貧民」という括りは「スラヴ人」という属性と重なる部分があるのでいわゆる「階級闘争」的構造に全てを収斂させることはできない複雑性を持っている、という指摘がありました。それを受けて他の参加者が「それぞれのアクターの中に存在する二面性、多面性について、扱おうとしていないのではないか」という提議を行いました。

 もちろん本書は500ページに激動のヨーロッパ近代を収めようという野心的な試みなので捨象されてしまう一面が存在することは問題ないのですが、「捨象されている側面がある」ということを自覚しておくこと、その取り捨てが著者の歴史観に大きく影響されること、そして著者の歴史観を念頭に読むことによって捨象されていない部分を補完しながらその本を読むことができます。できますよね?

その他気になったこと

・「1848年革命は潜在的に最初のグローバルな革命であり……(p. 12)」という記述に対し、グローバル?という指摘がなされました。というか概念としてもレトリックとしても絶対にインターナショナルの方が正しいのでは!?

・1848年パリでの二月革命で敗北した際に政府軍により捕えられた12,000人がアルジェリアの労働キャンプへと追放されたという記述に、後のピエ・ノワールなのでは?という指摘がありました。寡聞にしてピエ・ノワールという概念を一切知らなかったのですが、1830年にフランスがアルジェリアに侵攻してからアルジェリアに存在したヨーロッパ系植民者のことをさすようです。アルジェリアが1962年に独立をしてからはその多くが本国へと帰国して差別的な扱いを受けているようなのですが、デリダやカミュ、イヴ・サン=ローラン、ジャン・レノのような著名人も多く、それだけで一冊の本が出るほど注目されている概念でもあります。

・「ニューヨークから東京へおよそ数分あるいは数時間で打電できた時代に、「ニューヨーク・ヘラルド」紙の全方策をもってしても、中央アフリカのデイヴィッド・リヴィングストンからの手紙を新聞社が手にするのには8、9ヶ月もかかった(1871-72年)とは、まったくもって驚くべきことであった。(中略)「無法・未開の西部」の「無法・未開(ワイルドネス)」と「暗黒大陸」の「暗黒(ダークネス)」という表現の違いは、一つには、このような対称性によるものである(p. 84)」という記述に対して、アフリカ(暗黒大陸)は平均標高が高く山がちであったためにその奥が見渡せなかったことも暗黒大陸と呼ばれた理由の一つだったという指摘がありました。この指摘に対して私が発した「オーストラリアは平均標高が低いからマッドマックスなんだなぁ」というツッコミは、我ながらセンスが良かったと思っています。

おわりに

 これでもかなり捨象したのですが(歴史はそれを書く歴史家の選択によって作られている!)、こんな話をした後に宅飲みをしました。やはり読書会は楽しいですね。

多くの愚者を友とするより、一人の知者を友とするべきである

デモクリトス(紀元前460頃〜370頃)

 デモクリトスもこう言っています。彼も読書会を通じて原子論に至ったのかもしれませんね。

 この記事を読んで読書会をしたいと思った人に、私から次の言葉を送ることで〆させていただきます。

残念ながらもう私の参加している読書会はキャパがパンク気味なので、混ざれないことに歯噛みしながら周りの人を誘って開いたら良いんじゃないすか?

赤身付き(1999〜)

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