ローカル線「赤字なら廃止」は“世界の非常識”って本当?

 大都市ウィーンの充実ぶりで驚くのはまだ早い。オーストリアは全国の人口が約900万人で、ウィーン以外に人口100万人を数えるような大都市はない。第2、第3の都市ともなれば人口は20万~30万人ほどの中小の都市だ。
 それにもかかわらず、第2の都市グラーツ(人口約30万人、都市圏人口約50万人)や第3の都市リンツ(人口約21万人、都市圏人口は同じく約50万人)の目抜き通りに出れば、日中は2~3分おきに路面電車がやってくる。そこを行きかう歩行者も多い。
 スイスに近い最西端のフォアアールベルク州に至っては、最大の都市ドルンビルンでも人口は約5万人。それでも州の基幹となる鉄道は終日15分おきに電車が走り、終電は深夜0時頃とだいぶ遅い。週末になると終電後の深夜も1時間に1本、列車が翌朝の始発電車までの間に走るが、深夜特別料金の必要がないごく普通のサービスである。アルプスの山中では、村々を結ぶように1時間おきにバスが走る谷筋も多い。
 しかも2021年10月から導入された「クリマチケット」(環境チケット)は1年あたり1095ユーロで、登山鉄道や観光船など若干の例外はあるが、特急列車も含めた全国すべての公共交通が乗り放題である。1年365日で割れば一日あたりわずか3ユーロ(約500円、1ユーロ166円で換算)で、破格の料金設定だ。
 公共交通は基本的に黒字でなければいけないというのが日本式の考え方だ。そんな「苦しい経営」の話はオーストリアではまず聞かないが、税金で運営費用の大半が賄われるのだから当然である。ではしかし、なぜ多額の税金を鉄道やバスの運営に投入することがオーストリアでは正当化されるのだろうか?
 「公共」交通という名前が示す通り、オーストリアや欧州の国々では鉄道やバスは「公共の」乗り物であるとの考え方が一般的である。ちょうど、道路が公共のものであり、交通ルールを守る限り誰しもが自由に使えるのと同じように、鉄道やバスもきっぷを正しく買って乗る限り、誰しもが自由に使える。
 予定された時刻表通りに朝早くから夜遅くまで高いサービス水準できっちり走る公共交通で黒字など出せるわけがないというのが、世界的に見れば「常識」である。

JBpress

日本においては、国鉄民営化改革以降は、旧国鉄の鉄道路線であったとしても、「黒字」でなくてはならず、赤字がかさむようであればローカル線は廃止に追い込まれるのが普通だ。北海道などで廃線が相次いでいる。

しかし、自動車に乗れなくなった高齢者にとって、公共交通機関は極めて重要だ。税金を投入してでも維持するべき路線も多かったと考えられる。また、ガソリン自動車よりも、電車のほうが絶対に環境にやさしい。それはデータで裏付けられている。自動車は4~5人乗りだが、電車は大量輸送なので効率がよいのだ。それに、電気で走るので、電車の場合は走行中はCO2を排出しない(もちろん、その電気が火力発電でつくられていたら意味がないが)。

旧国鉄(JR)と、民営鉄道も含めて、税金を投入するべきであろう。もちろん、利益の出ているJR東海・東日本・西日本には不要だろう。しかし、北海道・四国には税金投入が必要であろう。

もちろん、営業努力を十分にして、それでも赤字になってしまうことが条件だ。そうでないと、モラルハザードやサボタージュになってしまう。いまいちど、「公共」交通機関の意味を日本国民と日本政府は再認識するべきであろう。

個人的には、JR北海道とJR四国は国営に戻すべきだと考えている。

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