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毎日投稿6日目。6日経つのはあっという間だったが早くも何を書けばいいのかわからない状態になってきた。今からこんな状態で果たして888日も続けることができるのだろうか。こんなにも早くモチベーションが落ちてくるとは思わなかった。思い出そう、5日前のこの投稿を始めた気持ちを。私は自分の気持ちを自分の納得のいくフィット感で言葉にしたいのだ。誰かが使っていたからだとか面倒くさいからと言って簡単な、使いやすいだけの言葉に逃げたくないのだ。納得のいくフィット感の言葉を自分で見つけ出したいのだ。思ったことを思ったまま書けばいい。それだけのことだ。

今日も不登校関係のことを書こうと思う。私は小学校3年生から高校入学まで学校にいっていなかったが、幸せなことに毎日遊ぶ友達はおり放課後の時間は他の普通に学校に行っている子供たちとなんら変わらない生活を送っていた。しかしそれでも普通に学校に行っている子供に比べれば人との接点はかなり少なくなる。そのことを両親は危惧したのか、私が小学校5年生の時に近所のトランポリンスポーツ少年団に入らないかと提案してきた。正直自分が学校に行っていないのを他の子供にバレるのではないかという心配がありあまり乗り気ではなかったが親が自分のことを心配して提案してくれているのもわかったので体験してから結局入団することになった。幸い、同じ学校に通っている人間もいなかった。

こうして書いているといかに当時の自分が周りの目を気にして、学校を休んでいる自分を恥じて生きていたかを思い出す。今の自分なら学校に行く行かないはどうでもいいが自分のことを恥ずかしいと思って生きていてほしくはないと思う。当時の自分の写真を見返すと、無表情でとても小学生のものとは思えない。今の顔の方がよっぽど若々しく感じる。それぐらい当時は辛かったんだろう。学校に行けないことが辛いんじゃない。自分が学校に行かないことで両親を苦しめていることが辛かった。自分が自分らしく生きると親を苦しめてしまうという思い込みを持っているのが辛かった。

大人になって、26歳ごろに改まって両親に聞いたことがある。自分が学校に行かなくなって2人はすぐにそのことを受け入れてくれたけれど本当のところは2人はどう思っていたのかと。その際、自分は自分が学校に行かなくなってもう父に諦められているような気がしてずっと寂しかったことも伝えた。

母さんの言葉は予想外だった。母さんは「あんたが学校に行かなくなって、あんたと一緒にいられる時間ができてラッキーだと思ったよ」と言った。俺はずっと母さんを俺のせいで苦しめていたと思っていて、申し訳なくてだからいつも母さんを助けたいと思っていたけど、母さんは最初から俺が学校に行かないことを悪とは思っていなかった。俺の単なる壮大な勘違いだったのだ。この言葉にはあっけに取られたし母さんには敵わないと思った。

父からは対照的に「お前が学校に行かなくなって、正直お前のことは母さんに丸投げして諦めてた。仕事に逃げていた」と言った。酷い言葉だ。だが私は父のその言葉を聞いて心の底から嬉しかった。言葉としてはどう考えても酷い言葉だが、その言いづらい本心であろう言葉を正直に自分にぶつけてくれた心が嬉しかった。思えば父とは会話はするがどこかよそよそしく、本音でしゃべったことはなかったのかもしれない。不登校だった子供の頃に同じ言葉を言われていたら全く別の捉え方をしたかもしないが大人になった自分にとっては最高に嬉しい瞬間だった。人間は言葉でコミュニケーションをとっていると思いがちだけど、多分言葉よりその人の「態度」「姿勢」を見てそれで無意識のコミュニケーションをとっているんだと思う。子供は言葉でのコミュニケーションが大人ほど上手くない分相手の態度、姿勢に大して敏感なのだろう。だから相手が何を言っているかよりもその人がどれだけ真剣に自分と向き合っているか、自分に愛情をむけているかなどがすぐにわかる。いくら言葉でいいことを言っていても態度しか見ていないのだ。逆に言えば汚い言葉を使っていても態度、姿勢から大事にされていると伝われば深い関係になっていくだろう。

大人になると言葉が上手くなる分、言葉に頼って楽をしようとしてしまうことが増える。SNSなどの文章だけのやりとりが炎上しやすいのは相手の実際の態度がわからないからという部分が大きいだろう。

脱線したけど、今日は父から酷い言葉をもらったけど、そんなことより、自分に正直に向き合ってくれた態度が嬉しかった。という話でした。ではまた明日!

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