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モンゴル (2007) MONGOL 監督 セルゲイ・ボドロフ

義経=ジンギスカン説。

もしかして、このちょっと荒唐無稽な伝説を監督が知っていて、わざわざ日本人の浅野忠信をテムジン(チンギス・ハーン)役に持ってきてたら面白いな、なーんて思いながらオープニングを観ていたら、いきなり「1192年」とテロップが出たのでビックリ。いい国つくろう鎌倉幕府? ますます疑念は深まるのでした… なんつって(現在は1192年より前だったって説が有力なようです。娘の歴史の教科書でも1185年になってました)。

映画自体は当然ながら義経説の話ではありません。

と、いろいろ変なことを考えてしまうくらい、浅野忠信のテムジンが、良くも悪くも周りのモンゴル人とは明らかに浮いてました。

映画を観る前、キャスティングを知った時は、浅野忠信のあの目の細さがモンゴル人ぽく見えるかもなと思ったりもしていたけれど、実際に見てみると全然違う。頬骨がパンと張っていて体の厚みのあるモンゴル人に比べ、顔も細い、体も細い。モンゴルの戦いの衣装があんまり似合ってなかったような(笑

その違いを、大ハーンとなるテムジンの異質さとして良いほうにとらえるのか、単に違和感を感じるのかによってもこのキャスティングの評価は別れてしまうのかもしれません。わたしはギリギリ良いほうに取れた感じがするけど。

映画は壮大でどっしりしています。戦いのシーンは迫力の血みどろで、私はあまり目の焦点を合わせないようにしてましたが、全編にわたってモンゴルの大地の厳しさと美しさを大いに堪能しました。特に、ボルテとテムジンが西夏を脱出してモンゴルに帰ってきて、2人が大きくゆったりと曲がった川が流れる大地を見下ろす丘の上に立った時は、鳥肌が立ちました。

しかし「トゥヤーの結婚」を観た時も思ったんですが、モンゴルにおける女の性というのは、一つの財産というか商品として女性も男性も割り切っている部分があるように感じたなあ。生き抜くため、家族を守るためには、夫ではない男に対してその財産を使うのはやぶさかではないし、責められるべきことではないと。もちろん葛藤がないわけじゃないだろうけど、生き抜くことが最も大事なんだ、というたくましい印象を受けました。

それに関連して、「処女だ」とか「他の男と寝た」とかそういうことも、この社会の男たちにとってそれほどには大したことではないととらえられているのかなあと。テムジンのお母さんも略奪されてきたらしかったし… 日本の価値観で見ていると違和感を持ってしまうかもしれません。

ボルテ(テムジンの妻)が他の男の子供を身ごもって、日本だったらそれだけで昼メロが1クール成立しそうな話なのに、2人の間には弁明も詰問も無くて、ただ、テムジンの言うのはこのひと言。

「名前は? 今日から俺がお父さんだ」

なんか器がデカい話です。テムジンの器量の大きさを際立たせる演出なのかもしれないけど、根底にはモンゴルならではの厳しい自然や歴史に根付いた風土があるのかもな、なんて思いました(子供はテムジンの子だという説もあるようです)。

オープニングと、エンドロールで"ASANO"の字を観た時は、なんだか誇らしいような気持ちになりました。これこそ「判官贔屓」? うーん、ちょっと使い方が間違ってますね(笑

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