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週刊誌という「世界」#9 スター記者と週刊誌的「正義」の話


「失礼します!」


鉄の扉を開けると、そこには喧嘩の強そうな先輩記者がいた。

「おう座れや」

西岡研介という名前のキャップはそう言うと、A4のペーパーを僕とT記者に手渡した。取材資料かと思い熟読してみると、今回のネタに関する取材レジュメだった。レジュメにはテーマの全体像と、担当記者が取材すべきポイントがまとめられていた。

(西岡さんって豪放磊落な人と思ってたけど、むちゃ繊細な一面がある人なんだ!)

僕は心の中で感嘆の声を上げていた。何せこれまでの取材キャリアで取材レジュメというものが見たことがなかった。だいたい口頭の打ち合わせで、キャップの指示をメモして終わりというパターンだった。しかもここまで事細かく取材レジュメを作れるということは、労力もさることながら、既に取材の9割は終わっていることを意味していた。

「眞子さまブーム」のルーツ

当連載でも書いたように噂の真相でド級スクープを連発していた西岡さんは憧れの記者だった。フライデーに入る前には「スキャンダルを追え!『噂の真相』トップ屋稼業」を熟読して、週刊誌記者とはなんぞやを学んだ。知名度、キャラクター、スクープ力の全てを兼ね備えた、僕にとっては野球少年にとっての王・長嶋(古い笑)のような存在が西岡さんだった。



一方で敏腕記者であるほど人の見方は厳しいことは、フライデー先輩記者のAさんを見てよく理解していたつもりだった。

(この取材は失敗できないな・・・・💦)

僕は気を引き締めた。T記者と僕に託されたタスクは疑惑のキーマンへの直撃取材だった。

ネタはいま眞子さま騒動で注目さ れている秋篠宮家絡みの話だった。眞子さまの母親である文仁親王妃紀子(旧姓 川嶋紀子さま)さまのいとこが偽建築士を名乗っていた、という問題だった。紀子さまが待望の男児をご懐妊されるという慶事の最中に、「皇室班アネックス」と称して西岡キャップのもと僕たちはスキャンダル取材に動き出したのだ。

余談であるが、今日の眞子さま報道に見られる”批判を含む”皇室記事の走りは噂の真相がスタートだったはずだ。それまで皇室の美しい側面の記事ばかりであり、ある意味皇室は”菊のタブー”とされていた。そのタブーに噂の真相が切り込み。やがて雅子さまや紀子さまといった民間人から皇室に入るかたの存在により、皇室は開かれた存在となり。批判記事も増えた。よくもわるくも新聞テレビ週刊誌のドル箱コンテンツとなって行った。そうした背景を知っていただけに、「皇室班アネックス」班への参画はマニア的に興奮する要素があった。

伝説の記者の「一喝」

スキャンダルは少し悲しい話だった。インテリ一族のなかの劣等生だったいとこが、背伸びをして資格もないのに建築士を名乗って建築の仕事をしてしまった。彼自身は決して才能がないタイプでもなかったが、資格だけがなかった。それは法律上は許されていなことだった。

T記者と僕は川嶋家(いとこ家)に乗り込み、いとこを小三時間あまり取材をした。取材の中で大学教授である父と母まで同席することになった。

「彼はこれからどうすればいいんですか?」

疑惑の問題点を理解した父親は僕たちに項垂れながら質問をした。取材というより、さながら家族会議に記者が参加している風でもあった。彼の人生に関わってしまった以上、適当な答えもできない。記憶は曖昧だがおそらく僕たちはこう答えた。

「問題を認めて、またやり直しましょう。記事にはなります。でもそれで人生終わりではないはずです。私たちが取材した師匠の建築家も彼を評価していました、これから道はいくらでもあると思います」

取材を終えてT記者と僕は10ページ以上に渡るインタビューデータを西岡さんに手渡した。

「アホか!笑 こんな分量のデータ読めるはずないやろ。原稿10行分にまとめ直して来い!」

西岡さんは呆れたように笑い、データ原稿を突き返してきた。問題は、僕たちがあまりにいとこに感情移入をし過ぎていたことだった。そこは一旦、距離を取って必要な情報だけを書き出せ、というのが西岡さんの真意だったと思う。深夜2時、僕たちは慌ててデータを作り直した。

西岡さんの仕事スタイルは、かなり僕にとっては衝撃的だった、取材する時は徹底的に取材をし、遊ぶときは遊ぶ。網羅された人脈による情報術と、緻密なレジュメ作りにみられる仕事術は、まさに大胆細心という言葉に相応しい。西岡さんのけれんみのなさは、そのスタイルから来ているのだと改めて実感した。

記者として潰れてしまう

当時の文春は週刊誌業界において”最後のスター記者”たちがいた時代だった。

西岡さん、藤吉雅春さん(現Forbes編集長)、中村竜太郎(現ジャーナリスト)さんの3人が、週刊文春の3大スターだった。みないずれも凄いスクープを連発し、ファッションセンスも良く人間的魅力に溢れたキラキラした存在だった。

僕は3大スター記者のうち、西岡さんと藤吉さんの2人と仕事上で関わることが多かった。中村さんは芸能記者(前代未聞の二年連続雑誌ジャーナリズム大賞受賞記者)ということもあり、一緒に仕事をさせて頂いたことが一回あるかどうかという感じだった。

文春に入ってアシとして走り回る日々を過ごしているうちに「このままでは死ぬな」と僕は思ったことは前述した。そう思った理由は、あまりにハードすぎるからだ。週6日は取材でフルスロットルで走り回り、1日の休みを利用して同時に企画会議用のネタを5本集めないといけない(休みを利用してネタを集めるというのも言語矛盾ではある)。しかし、木曜日の会議後はいま世の中で起こっている事件取材に投入され、また走り回るというサイクルが二か月ほど続いたのだ。

この仕事のサイクルのどこに問題があるのか? 人によってはアシ取材で手を抜くことで心身のバランスを保っている記者もいるかもしれない。でも、性格的に僕はそれが出来なかった。そこでマイプランで勝負しないと、自分のペースで仕事が出来ないということに気が付いたのだ。ライブドア事件等のスクープは事件、発生物というカテゴリーになるので、独自で誰も知らないスクープを書かなければいけないと試行錯誤した。

そこでフライデー時代の蓄積を利用して、マイプランで企画を通すべく注力を始めた。最初にスクープになったマイプランは確か「中田英寿、大久保を騙した「小沢真珠の元カレ」(2006.03.16)という記事だった。概要はサッカー選手にたかりトラブルを引き起こす遊び人の存在をレポートしたものだった。

その次に書いたのが、尾身幸次財務大臣(当時)の沖縄への大学誘致にまつわる疑惑ネタだった。フライデー時代の政治資金規正法等の分析を活かした現役閣僚の疑惑ネタだった。前者はたまたま入った情報で書いたネタで、後者は調査報道的な方法から発掘した話だった。もちろん思い入れを強く持ったのは後者のネタだった。

正義感って何だ?

マイプランということもあり、尾身大臣企画は意気込んで取材をし記事を書いた。

だがある日、藤吉さんと雑談をしていてこう言われてハタを気づかされた。

「政治資金とかだけの記事って面白くないじゃん? やっぱり週刊誌はドラマを描かないと」

藤吉さんは文春時代は北朝鮮問題、中国といった国際政治のジャンルでスクープ記事を多く書いている記者だった。憑依型ともいえる独特の取材術と、流麗な筆致で知られたスター記者である。僕が藤吉さんの原稿の構成を真似して記事を書いたら、校閲さんから「この人は凄く文章が上手いですね!」と褒められた経験があった。仕事として文章の正確性をチェックする校閲さんが文章を褒めるというのは「極めて稀なこと」とデスクから言われれた。僕は「ホントは真似しただけなんだけど。。藤吉さん凄っ」と思ったものだ。

話を本題に戻そう。僕はこう言うと恥ずかしいのだがフライデー時代から”正義感”だけで週刊誌の仕事に取り組んでいた。小泉政権追及もしかり、ライブドア事件でも死という不正義な状況に憤りを持っていた。政治資金を洗い、政治家の素行を検証し不正はないかチェックする。反権力こそが記者がやるべき仕事だと思っていた。

だが一方で葛藤もあった。正義だと思って必死にもがいても、正義が実現することは稀だし、そもそも正義も主観的なものではないかという疑念も自分のなかに産まれ初めていたのだ。

正義を語れるほど、自分は高尚な人間なのか? つまり権力批判をすることは、記者として「反権力なオレ、カッコいい」と自己陶酔しているだけではないかとふと気づく瞬間が自分のなかで多々あったのだ。

正義という観点だけで仕事をすると週刊誌記者は自己矛盾を抱えてしまう。例えば眞子さま問題を取材するときに、「公人だから報道する」というのは週刊誌的にはウソでしかない。世間の関心が高く売れるから記事にしているが真実だ。公人だから記事にするというロジックなら、皇籍を離れたら眞子さま報道は無くなるか、といえは無くならないだろう。

眞子さま報道は、正義という観点からすると「意味のない記事」ともなる。

僕もフライデー時代、読者から支持の高い芸能記事に対してコンプレックスを抱えていた。少ない読者でもいい、それ故に正義を旗印として政権追及に邁進するようになってしまった。だがこの考えは週刊誌記者としはベストではなかった。正義を主張すればするほど、週刊誌(もしくはメディア)は袋小路に迷い込んでしまうことになる。それは、週刊誌が抱えている”売れるからゴシップを記事にしている”という現実が汚いものにしか見えなくなってしまうからだ。


実は業界に入ってからずっとネタを「面白い」だけで判断する風潮に嫌悪感を持っていた。意味ある仕事とはそうじゃないだろう、と考えていたのだ。しかし、その考えはバランスが良くなかった。不倫報道を読んで価値観を変えた読者もいる。そこに含まれているドラマが、読者には何らかの意味がある場合もあると気付いたのだ。

それから僕は、物語を知る面白さを、もっと世間に伝えようという意識で仕事をするようになったのだ。それは決して反権力を捨てるということではない。物語を探っていきながら、権力はなぜ腐敗していくのかをより深く探ることも出来る。つまり多様な視点を持つことこそが必要なのだ。

マイプランスクープも人が「面白い」と言ってくれたものは、小沢真珠モトカレ記事だったりしたのもその考えを後押しした。世に物語や人間の不可思議さを伝えながら、少し正義もやってますが、おそらく週刊誌記者の正しいスタイルなのだと思う。

物語が記者を成長させる

人間への興味を持つことで、僕の取材スタイルも変わった。詰問だけをしていく猪突猛進型から、「この人おもろいわ。もうちょっと泳がせよう」という引いた視点を持てるようになったのだ。西岡さんに「アホか!」と一喝されたのも、愚直だけが記者じゃないという教えがあったはずだ。

面白いこと、興味深いことを伝えるには、どうするのか? 緩急をつけられるようになったことで取材の幅も広がった。面白いことを記事でも取材でも積極的に表現をするようになったことで、つまりサービス精神を持つようになっことで僕を好きになってくれる「ネタ元」という人が増えたのだ。

正義よりも大事なもの、それが週刊誌にはあった。そして人の物語を知ることによって、記者は成長をしていくのだ。


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