見出し画像

短編小説「コインランドリーと君と手紙」

 午前6時18分に目が覚めた。
 俺は布団に包まったままベッドの近くで充電しておいたスマートフォンに手を伸ばした。いつもはアラームを午前6時30分にかけているのだが、今日はそれよりも早く起きることができた。今日の予定を確認する。午前中は依頼されている脚本の執筆、午後は夕方まで何もなく、夜はファミレスでアルバイト。
 俺は隣で寝ているユキに視線を向ける。少し口を開けて寝息を立てている。その顔がまるで3歳児のようで微笑ましいといつも思う。
 6畳ワンルームに2人暮らし。少し狭いようなちょうど良い広さなのか微妙だが、お互いの距離が縮まるからそれはそれでよく思う。
 布団から出て、冷蔵庫へ。およそ3分の2残っているコーヒーのペットボトルと新品の豆乳の紙パックを取り出し、台所へ向かう。
 昨晩に洗っておいた440mlグラスを取り出し、コーヒーと豆乳を1:1の割合でグラスの縁ギリギリまで注ぐ。ソイラテを飲むのが毎朝の日課だ。
 ソイラテを飲みながらベッドに戻る。ユキはまだ口を半分開けて寝ている。布団に潜り込もうと思ったがユキを起こしてしまいそうなのでその隣の作業机にグラスを置き、椅子へと腰掛けた。作業机といってもパソコンとメモ帳や小さなホワイトボードが置いてある程度のものである。
 突然スマホのアラームが鳴った。さっき解除するのを忘れていたらしい。スマホを手に取り、アラーム解除アイコンをタップする。そのままスマホをいじってLINEの返信だったり、Twitterのチェックだったりを行う。
 二度寝をする気も失せてしまい、ただ天井を見上げる時間を過ごす。なんだか今日は耳の聴こえ具合が悪い。まさかと思い、カーテンと窓を開けた。
 雨だ。
 窓を閉めたままでは分からなかったが、ザーザーと降っている。この低気圧のせいで三半規管が圧迫されている。この持病にも慣れたつもりではいたが、発症すると苦しいのは言うまでもない。
 窓から吹き込む風がひんやりと冷たくて俺は窓を閉めた。
 そのまま玄関近くにある洗濯機へ向かう。昨晩に回しておいた洗濯機は自動で停止している。蓋を開ければ渦状に内壁にくっついたままの洗濯物がある。今日は洗濯物は乾かなそうだな。
 すると、ユキが起きた。
「おはよう、早いね」
「目が覚めちゃった、今日、雨だよ」
「え!?嘘、めんどくさっ」
 ユキは布団から身体を起こし、自分のスマホをいじっている。
「今日は?」
 俺は洗濯機から洗濯物を取り出しながらユキに聞いた。
「11時くらいにココを出て、打ち合わせ」
「打ち合わせってどうせファミレスで雑談会でしょ」
「違うよ、真面目にキャスティング考えるの」
「ふーん。今からコインランドリー行ってくるね」
「あたしも行く」
 ユキはそう言うと寝間着から私服に着替える。そしてある程度の化粧をした。俺は起きたままのボサボサ髪のジャージ姿で外に出ることにした。
「何持ってるの?」
 ユキが俺の手元を見て言う。俺の手には洗濯物をまとめたビニール袋以外にノートとボールペン。
「ん?あそこのコインランドリーでネタ書こうかなって」
「じゃ、あたしも持ってく」
 そう言うとユキはペンケースと何枚かのハガキを手に玄関へ向かった。
「何それ?」
「前回の舞台を観に来てくれてアンケートに住所書いてくれた人に次の舞台の紹介状書くの」
「なるほどね、でもコインランドリー混んでるかもしれないよ?」
「それはオーくんにも言えるじゃん」
「そうだけどさ」
 そんなことを言いながら俺たちは部屋を出た。

 さっきよりは雨脚は強かった。俺たちはノートが濡れないように抱きかかえて歩いた。傘と洗濯物を持っているから持ちにくい。
 俺の部屋からコインランドリーまでは歩いて3分ほどのところにある。最寄駅へ向かう道とは反対側にあって、普段なら行かない通りだ。先日、ユキと夜の散歩をしている時にたまたま発見した。今の部屋に住んでから1年ほど経つが、こんな近くにコインランドリーがあったならもっと早くから便利に住めたと思う。
 コインランドリーに着くまでに何人かスーツを着たサラリーマンのような人とすれ違った。そうか、出勤の時間帯なんだな。みんな駅へ向かっている。俺はその人達を見て少しため息をついた。

 コインランドリーには誰も居なかった。平日の午前中とはいえ、もっと客はいると思っていたがラッキーだった。
 このコインランドリーはどこか昭和の雰囲気があった。洗濯機も乾燥機も旧型の物ばかりで、待合室扱いのテーブルには見たことない昔のマンガが並べられている。よく見ればテーブルや椅子の脚は塗装が剥がれて錆びついている。
「あたしコインランドリーの雰囲気好きなんだよね」
「俺も」
 洗濯物を乾燥機に入れ、200円を投入した。100円で10分。洗濯物の量からして20分ほどで乾くだろう。
 雨のせいで気温が下がっているからかもしれないが、乾燥機から漏れ出る暖かい空気や洗剤の匂いにどこかぬくもりと懐かしさを感じる。
 俺たちはテーブルで作業をしながら時間が来るのを待った。俺はネタ、ユキは紹介状を書いている。
 ネタを考えるのは苦労するもので、思いつかない時は何をしても思いつかない。黙々と紹介状を書くユキより俺の方がソワソワと落ち着かない。
「それ、全部のハガキに描くの?」
「うん、大変だけどね」
 ユキはハガキに一輪の紫陽花を大きく描いている。なかなか細かくて溜まっているハガキの厚みを見ながら苦労しそうだなと思った。
「オーくんは?何かできた?」
「何も思いつかない」
「出来たらあたしに見せてね」
「うん、出来たらね」
 何かないかと考えながらスマホを取り出す。何の気なしにLINEを開くと新着のメッセージがあった。
「佐々木さんからLINE来てた」
「なんだって?」
「今度、阿佐ヶ谷で舞台やるから観に来てって」
「行くの?というか佐々木さんと繋がりあったんだね」
 俺は佐々木さんからのLINEの返事を考える。
「うーん、2年前くらいに共演したくらいだね。それからは何も。大体久しぶりにLINEしてくれる役者仲間のほとんどは舞台の誘いだよ」
「あたしも気をつけます…」
 俺は佐々木さんに、「申し訳ないですが予定があって観に行けないです。でも応援してます」と返信した。
「行かないことにした」
「そっか。もう舞台は観ないの?」
「うーん、前だったら関係が薄い人の舞台も観に行って、いろいろ吸収しようとしてたけどね。もうその必要もないかな」
「息抜き感覚で観に行けば良いじゃん」
「でも、舞台活動したくなるからさ…。それに今週末も山梨に戻るし」
 そう言う俺を見て、ユキは残念そうな顔をしつつ、紹介状作りを続けた。
「親とは仲良くなれそう?」
「どうだろうね、山梨で就職したら喜ぶんじゃないかな」
「そっか。仲良いのが1番だからね」
「やっぱり山梨帰りたくないな」
「またそれ言うー」
 ユキは少し笑みを浮かべて、思い悩む俺の顔を見る。
「だめだ、ネタ思い浮かばない」
「焦らなくて良いんじゃない?せっかく久しぶりに何もない日なんだし」
「いや、夜にバイトある」
「あらま。大変だな。休めてる?」
 実を言うと休めていない。最近は、というよりここ数ヶ月は日中にヘルパーのバイト、夜はファミレスのバイトをしていて1日10時間以上働いて、家に戻るのは午後11時を過ぎる。
「舞台の仕事が無いからね。その分を稼がないと」
「無理しないでね」
 舞台の仕事が無いというよりは自分から断っているだけだ。
「せっかく少しずつ稼げてたのにね」
「しょうがないよ、一人暮らしするなら別に良いけど、将来的に厳しそうだもん」

 乾燥機がのタイマーが鳴った。俺たちは蓋を開けて洗濯物が乾いているかどうか確かめた。
「どう?」
「あと10分くらいしようか」
 俺は財布から100円を取り出し、乾燥機に投入した。ゴゥンと乾燥機が起動する。

 またもやテーブルで作業を続ける。
 しばらく沈黙が続き、その沈黙に飽きた俺がユキに話しかけようとした時、ユキの方から話しかけてきた。
「山梨で何の仕事するの?」
「わかんない。就職できればそれで良いかな」
「絶対大変だよね」
「ごめんね、なかなか会えなくなっちゃうね」
「仕方ないよ、でも山梨には遊びには行きたいな」
「来てよ、俺免許持ってるからドライブしようか!」
「それ最高!絶対だよ!」
 さっきまで少し重かった空気が軽くなった気がする。
「舞台は本当に何もしないの?」
「仕事し始めたら出来なくなるかな。でも脚本とかは続けられるように頑張る」
「出来上がったら見せてね」
「もちろん」
「本当にあたしは応援しているからね。会える日は凄く限られちゃうけど、あたしもあたしなりに結果残せるように頑張る」
「俺も仕事しながらでも、何かしら嬉しい報告できるように頑張るよ」
 お互い、作業の手は止まっていた。
 今はネタよりも大事なことがある。
 乾燥機から熱気が溢れていることが伝わってきて、俺たちを包んでいるような気がした。こんな時間をいつまで続けていけるだろうか。
 俺たちは少し黙っていた。
「手紙、書くね」
「うん、俺も書くよ」
「それは嬉しい」
「ユキのイラストが楽しみだな」
「オーくんの文章期待してるね」
 そう言ってからまたしばらくお互い黙っていた。
 沈黙を破ったのはユキだった。
「なんか、最近ゆっくり話せてなかったね」
「俺がバイトばっかしてるからだよ」
「本当に身体には気をつけてね」
「うん」
 久しぶりにユキとゆっくりと話せた気がする。お互い忙しい毎日だ。でもあともう少ししたら一緒にいることも難しくなるだろうな。
「あと何分?」
 俺は乾燥機のタイマーを確認した。
「あと2分くらい」
 ユキが外を見る。
「少し雨も弱くなってきたね」
 ずっと話し込んでいて気がつかなかったがザーザー降りの雨も霧状になっていた。
「これなら午後までには止んでるね。部屋干しで十分乾きそう」
「そうだね」
 そう言うとユキは色ペンをペンケースにしまい始めた。
「戻るの?」
「もうそろそろ乾燥機終わりそうじゃん」
「部屋戻ってもすることないじゃん」
「部屋で作業するよ。まだハガキたくさんあるし、集中して終わらせたい」

 俺は財布から100円を取り出して、乾燥機に投入した。







 読んでいただきありがとうございました!おもしろいと感じていただけましたら、スキ、コメント、SNSでの拡散、購入でご支援をいただけましたら幸いです!


ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?