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短編小説「話を聞かせてくれないか」

 休日ということもあり、私は今まで購入してきた本を古本屋へ売ることにした。手放す本の多くは学識専門書で、表紙を見ただけでどんな内容だったか瞬時に思い出せるものや、知見を深められると期待したものの残念な結果になってしまったものが選ばれた。職業柄、そういった学問の専門書はよく読む方で、有名な大学教授や精神科医が書いた本をたくさん購入していた。有名だからといって参考になるかは別物だなと何度感じたことだろう。
 小型犬なら2匹は楽々と入ってしまいそうな大きめの紙袋に売る本を詰め込んでみたところ2袋必要であることがわかり、なかなかの量を手放すのかと実感しつつ、今更寂しさを感じた。男である私でさえこの紙袋1つ片手で持とうものなら腕が悲鳴をあげてしまうほど重かった。

 古本屋は車で15分ほどの距離にある。古本屋とは謳っているものの古着やCDなど、中古品のジャンルを問わないスタイルで話題となっている店だ。もしかしたら古本の方が少ないのかも。
 私は所有物ではなくなる本達をレジカウンターまで1袋ずつ運んで行った。なんて重いのだろう。紙袋の耐久性が心配になってしまう。
 売却手続きの対応をしてくれる店員は外見が細身の女子大生らしい小さなお嬢さんで、少し申し訳ない気がした。
「この2つでよろしいですか?」
 私はせめて申し訳ない表情を浮かべて「よろしくお願いします」と一言伝えた。
 どうやら本を1冊1冊査定をするらしく、レジ奥にあるテーブルまで運ばなければならないようだ。テーブルの台は女性店員の胸近くまであり、持ち上げるのが大変そうだ。
「あの、もしよろしければ手伝いましょうか?」
 私は声を掛けたが、女性店員は爽やかな笑顔で
「大丈夫ですよ」
 と、微笑んだ。両手に力を込めて勢いをつけながら持ち上げようとする。店員は着ている長袖が煩わしかったのだろうか、袖を肘まで捲り上げ、もう一度紙袋を持ち上げてなんとかテーブルに置くことができた。2袋持ち上げた後に女性に似つかわしくない息の吐き方を店員がしていて、さらに申し訳なさが込み上げてきた。
 店員はレジ前にいる私に、査定時間が少し長くなりそうであることを伝え、整理番号が記載された用紙を渡してくれた。
 その時、私は彼女の手首に目を奪われた。
 直線上の傷が不自然に何本も手首を横切っていた。私の表情を察したのだろうか、店員はサッと袖を元に戻した。

 待ち時間は店内をブラブラとしていることにした。学生時代に読んでいた漫画や小説、近所の書店には置いていなかった心理学の専門書など、様々な発見があり、今まであまり利用してこなかった古本屋に対し、少し後悔した。
 ただ、先ほどの店員の腕が脳裏をよぎる。どんな事情であの傷はつけられたのだろうか。とても気になってしまう。家庭の問題なのか、友人や恋人関係なのか、はたまた……。
 私に何かしてあげられることは、と考えたが、初対面の私が無理にその傷のことを伺ったところで不審がられるだけであるし、そんな簡単に言えることではないだろう。
 役に立ちたいのか、その傷の理由を知りたいだけなのか、曖昧な考えが頭の中にずっとこびりついており、気分転換に手に取った好きな心理学の専門書でさえその邪念を払ってはくれなかった。

 店内のアナウンスで私の整理番号が呼ばれた。レジへ向かうと先ほどの店員が「お待たせしました」とにっこり微笑んでいる。視線を合わせることも躊躇うほど、長袖に隠されている店員の腕が気になってしまっていた。
 そんなこともお構いなしに店員は明るく対応してくれた。
「今回の査定で、買取料金はコチラとさせていただきます」
 思ったよりも少ないな、と感じた波がすぐに消え失せて店員の腕が思い出されてしまう。
「えっと、一部、当店では買取ができないものがございまして……」
 店員ははっきりと言うことができない様子で私の目を見た。
「買取できないものですか?」
「はい、コチラです」
 それは私の中学生時代の卒業アルバムだった。
「さすがにこれはちょっと……」
 店員は申し訳ないのか苦笑してしまいたくなったのか中途半端な様子だった。
 私としても、なんと恥ずかしいことをしたのだと思う。分厚い専門書や雑誌に紛れて卒業アルバムを手放すところだった。
「大変申し訳ない……」
 私はいたたまれない気持ちになった。
「あの、本当個人的なことをお伺いしてしまうのですが……」
 店員は何か言いたげに目線を合わせてきた。
「なにか?」
「最近、嫌なことありました?」
「はい?」
「いや、お客様が売られる本が、うつ病に関する心理学とか、精神疾患に関するものとか、いじめ虐待をテーマにした本ばかりでして、そこに卒業アルバムまで手放そうとしているので、何か嫌なことでもあったのかと……」
 私は拍子抜けした。
「いや、特にそういったことはなくて……あ、私は心理カウンセラーの仕事をしているので、そういう関連本ばかり読んでるんですよ。卒業アルバムは完全に手違いです」
「あ、そうだったんですね。良かった」
「誤解させて申し訳ない」
「いえいえ!こちらこそ変な誤解をして申し訳ございませんでした」
 彼女も彼女で私の心配をしていたらしい。そんな事実に少し吹き出しそうになった。
「カウンセラー良いですね。かっこいいな」
「ありがとうございます」
「まあ、何か嫌なことあったら相談させてくださいね」
 店員は微笑みながらそう言った。
 私の脳内に腕の傷が浮かんだが、彼女にそれを聞くのはやめておいた。





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