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短編小説「6番ターミナルより」

 やはり金曜の夜は賑わいを見せる。甲府駅南口のエスカレーター前を歩いている時にふと思った。
 私はそのままバスターミナルへと向かおうとしたが、まだバスの出発時刻に余裕があるので、コンビニに寄って緑茶を買った。コーヒーにしようかと思ったし、小腹が空いた時のためにお菓子でも買おうかとも思ったが、トイレに行きたくなったらと考えると気が引けた。
 コンビニ内と外の気温は明確な違いがあり、意識して呼吸すれば白くなって夜に溶けていく。もう少し日が経てばイルミネーションの灯りに心躍るだろうな。

 スマートフォンの時計を確認するとバスの出発時刻まであと8分ほどだった。6番ターミナルへ向かえばもうバスは停まっていて、乗客を待っていた。
 運転手にチケットを見せ、車内へと進んだ。車内の席はそれなりに埋まっていた。休日を東京で過ごそうとする人がほとんどだろうな。かく言う私もその1人だ。
 2人掛けの窓側の自分の席に座り、上着を脱いで荷物の置き場を整理した。運良く通路側の席は空いていればいいなと思った矢先に「すみません」と女子大生が声を掛けてきて私の隣に座った。必要以上に窓側へ寄って女子大生が座りやすいようにしてあげた。
 自分勝手に気まずくなって窓に映る自分を見ていた。前髪が気に入らない角度で曲がっている。私はぐしゃぐしゃと適当に前髪を乱した。
 荷物からイヤホンを取り出しスマートフォンへと接続した。好きな音楽でも聴きながら出発を待つことにした。

 程なくしてバスは出発した。
 私の耳元でBEAT CRUSADERSのヒダカトオルさんが歌っている。なぜこんなにもキャッチーなメロディを思いつくのだろうか。この場にギターがあれば手に取って弾きたい衝動だ。
 私は時折座り直して腰への負担を減らした。今更気がついて申し訳程度にリクライニングを使った。
 目を閉じて眠ろうかとも考えたが、荷物からメモ帳とボールペンを取り出した。日課となっている書き取りだ。その日の感情や出来事、おもしろかったこと、ふいに思い出した歌を書き綴っている。日記と呼ぶにはかしこまっていないし、予定帳と呼ぶには雑過ぎる。小学生の頃の自由帳と言うのが1番近い表現だ。メモ帳には最近好きになっている髪型、ハゲたらどうやって生きていくか、漫画「ブリーチ」の世界に死神でいた時の自分の斬魄刀の能力、スピッツの歌詞を書いた。書きながらも耳元ではヒダカさんが「HIT IN THE USA」を歌っている。
 バスは甲府の中心街を抜けて大月方面を走っている。ネオンも少なくなってきた。高速道路に入れば街灯が等間隔で前から後ろへ流れていく。
 私はメモ帳に書くことがなくなってきて景色を眺めた。
 山が真っ黒だ。なんか怖いな。
 保育園児の時、月に1回ビデオ鑑賞があった。体育館のような室内運動場に園児が集まり、スクリーンにアニメーションの童話を流してくれた。
 その時に観たアニメで「3つのお札」という昔話がある。
 正しいかどうか分からないが、あらすじはこうだった。
 お寺の和尚の弟子が山奥に修行に行くことになった。出かける際に弟子は和尚から何か困ったことがあったら使いなさいと、3つのお札を貰って出発する。
 日も暮れてきたので、山奥にぽつんとある民家に泊めて貰おうと弟子は向かう。その民家にはお婆さんが1人で住んでいるそうだ。
 弟子はお婆さんから手厚くもてなされて、なんて優しいお婆さんなんだと思いながら布団に入り夜明けを待っていると、別室で何か音がしている。
 覗いてみるとお婆さんが恐ろしい化け物の姿で包丁を研いでいた。「今夜はご馳走だ」と舌舐めずりをしている。その姿を見て、弟子はこっそり逃げ出そうとするも、それに気づいたお婆さんが逃さないように優しい顔で弟子を引き留めようとする。
 弟子は布団に1枚目のお札を忍ばせ、お婆さんが何か話しかけてきても、「眠いので寝かせてください」と返事をしろ、と伝えて忍足で山を降りることにした。
 急いで和尚のいるお寺へと逃げていると、弟子が逃げたのを知ったお婆さんが恐ろしい形相で追いかけてきた。
 弟子は2枚目のお札に「木々よ生えろ」と唱える。木々が生えてきて山道を塞ぐのだが、お婆さんは口から火を吹いて木を燃やして道を作ってしまった。
 弟子は3枚目のお札に「洪水よ起きろ」と唱える。どこからかともなく荒波がお婆さんを襲うが、お婆さんはモーターボートに乗って波乗りしてしまう。
 弟子はなんとか追いつかれる前にお寺について和尚に助けを求め、別室へと隠れた。
 お婆さんが和尚のいる部屋に入ってきた。「おい、和尚、坊主が来なかったか?嘘をつくとお前を食べてしまうぞ」
「これはこれは、かの有名な山姥か」
「いかにも私が山姥だ。さあ坊主はどこだ?」
「山姥であるならば証拠を見せろ、山姥は様々な妖術が使えるはずだ。そうだ、豆粒くらいの大きさになることはできるか?」
「そんなことは簡単だ」と豆粒くらいの大きさになる山姥に対して、和尚はその山姥を餅に絡めて食べてしまった。
 こうして弟子は難を逃れることができた。

 という昔話だった気がする。昔話なのにモーターボートが出てくるのは今考えてみるとよく分からないが、とにかく鮮明に覚えているのは山姥の恐ろしい姿だった。
 観終わった後、私よりも小さい子達は泣きじゃくっていた。当時の園長先生は「もしかしたらあの山にも山姥はいるかもしれませんね」とダメ押ししていた覚えがある。
 それ以来、夜に山を見ると怖くて仕方なかった。山姥が真っ黒な山から降りてきて私を襲いにくるんじゃないかと思っていた。

 私は今から山を越えて東京に行く。もちろん山姥なんかいない。そう思っていると高速道路途中でバスが停車した。停留所だ。
 高速道路の電灯しか無いこんな田舎道で誰が東京行きのバスを待つというのだろうか。どうせ数秒後に扉は閉まって出発すると思っていたら、腰の曲がったお婆さんが乗り込んできた。
 私は少し笑ってしまい、メモ帳に書き綴った。





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