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短編小説「ケチャップ」

 なんとも寝苦しかったようで、僕が目を覚ました時、腕や額が汗でベタついていた。幸い、タオルを敷いていたので枕カバーまで汗が到達することはなかった。だんだんと眠気が薄れていき、ようやく蝉の声が聴こえるようになった。窓から外を覗けば、それはそれはため息が出るほどの快晴だった。
 時刻を確かめる。いつもより少し早く目が覚めたようだ。このまま自分の部屋でわずかばかりの暇を潰そうとしたが、高校へ行く準備を昨晩していなかったことを思い出し、仕方なく鞄にペンケースやノートを入れた。
 僕は朝食を摂るために台所へと向かった。母親はすでに起きていて、朝食と僕の弁当の準備をしてくれている。とても手際が良い。母親が朝食のおかずに目玉焼きを用意してくれているのをよそに、僕は冷蔵庫からラッピングされた食べかけのハンバーグを取り出して、それをおかずに白飯を食べようと思った。昨日の夕食に出たハンバーグを食べきれずに残しておいたのだ。ラップに包まれたまま電子レンジで温める。その間に麦茶を用意した。
 温められたハンバーグにケチャップをかける。夕食の時もケチャップはかけたが、お構いなく上塗りした。
「あれ?昨日のハンバーグ食べてるの?せっかく目玉焼きしたのに」
 母親が黙々と朝食を済ませようとしている僕に話しかけてきた。
「珍しいじゃん。あんたが夕飯残すなんて」
 僕もハンバーグを残したことは意外だった。いつもなら倍の量を食べれるほどなのに、昨日は残してしまった。おそらく夕飯前に見た番組のせいだろうと思った。

 昨日の夕飯前、僕はドキュメンタリー番組を観た。僕のおじいちゃんが子供の頃の出来事でVTRによっては白黒の映像だった。その当時の日本は第二次世界大戦の真っ只中だった。子供は田舎へ疎開し、大人たちは戦場へと駆り出される。僕のおじいちゃんも疎開先で竹槍の訓練や農業をしていたと聞いたことがある。
 その番組ではジャーナリストがわかりやすく解説しながら、戦争という恐ろしく残酷な出来事が数十年前に起こっていたことを視聴者に訴えかけ、2度と繰り返してはいけない惨劇として放送されていた。
 僕が生きているこの時代、スマートフォンだとかテレビゲームとかが当たり前のように存在して、今もこうして朝食を自由に食べることができる時代からしたら遠くかけ離れているように思えた。
 番組内の映像には生々しい出来事も映し出されていた。ボロボロの服を着て、必死に子どもと逃げ惑う女性やきっちりと合わせられた兵士達の行進など、死と隣り合わせの日常がそこにはあり、僕の心に憂鬱の足跡をつけていく。街は赤いような黒いような炎に包まれていて、崩れた建物が僕に出来事の悲惨さを訴えかけてきた。宇宙から見ても目立つようなキノコ雲がテレビに映し出された時は、その巨大な毒が当時の人達へどんな影響をもたらしたのか容易に想像できてしまった。次々と病院へ送り込まれる一般市民、母親とはぐれたであろう泣きじゃくる子供、画面を勇ましく横切る戦車、僕が観たくないものをありのままにテレビは映し出した。
 その番組を観た感想として、可哀想、悲惨だなといった月並みなことしか出てこなかった。それもそのはずで、経験してないからということもあるが僕はまだ死を感じたことがないし、当時の人達と同じ気持ちになれるはずがなかった。というよりも簡単に同情してはいけないとさえ思っていた。

「今日も部活?」
「今日からテスト期間だから、部活はないよ」
「じゃあ、早く帰るんだね」
「うん、おそらく」
「おそらくってどういうことよ」
 僕は食べ終わった食器を洗いながら、母親の問いに短く返事をして、学校へ行く準備を忙しなく進める。歯磨きや整髪を終えて、制服に着替える。今日も暑いから事前に制汗シートで身体を拭いておく。
「行ってきます」
 僕はスマートフォンにイヤホンを挿入し、Mr.Childrenをランダム再生で流してから自転車に跨った。1番最初の曲は「ひびき」だった。この曲はクリスマスの曲だから、今の季節とは真逆だった。
 音楽を聴きながら自転車を漕ぐのは好きだった。自転車の速さによる風を浴びながらお気に入りの曲を聴く。こんなに清々しい朝はないだろう。もっとも、もう少し涼しくなってくれれば良いのだが。
 僕は順調に自転車を漕ぎ、片道30分の登校を楽しんでいた。その時だった。流れていた「ひびき」が2番に入ったのだ。
 クラッカーを鳴らしてお祝いする誕生日、外では銃声、あの場所ではその音が悲しげに響く。こんな歌詞を聴いた途端に、昨日のドキュメンタリー番組がフラッシュバックした。
 ゆらゆらと赤いような黒いような炎が揺れて、大勢の人々が逃げ惑っている。そんな光景が想像され、僕の心に泥をかけられたような気がした。
 僕は気分を変えるために、違う曲をかけた。ランダム再生で選ばれたのはイエローモンキーの「JAM」だった。これもまた考えさせられる曲だ。でも、いつ聴いてもこの曲は好きなんだ。外国で飛行機が落ちて、乗客に日本人はいませんでしたという歌詞に衝撃を受けた。僕はなんて言えば良いのか分からない。昨日のドキュメンタリー番組を観た時と同じだ。僕にはどうすることもできない出来事が数十年前に起こった、その事実を知ることしかできない。

 結局、ドキュメンタリー番組の事で頭がいっぱいになってしまっていた。余程影響を受けたらしい。どうにかして頭の外へ出したい。
 そんなことを考えているうちに学校へ着いた。駐輪場で別のクラスの友達に会い、テスト期間だねとか、今日も暑いねとか、たわいもない話をした。
「昨日のイロモネア観た?」
「観てない」
「勉強してたの?」
「ううん、ドキュメンタリー番組観てた。戦争の」
「堅いの観てるんだな。そういう番組って気持ちが落ち込まない?」
「まあ、それなりに」
 そんなことを話しながら校舎へと入る。友達と別れ、僕は自分の教室へと向かう。
 やっぱり戦争の番組の話を朝からするもんじゃないなと思った。過去を振り返ってもしょうがないし、僕は今を生きているんだから。その当時はその当時なりの苦しみがあって、今の時代には今の時代の悩みがある。例えば、テストへの不安だったり、暑さだったり、小遣いが少ないことだったり。僕は例を挙げれば挙げるほど、大したことない悩みに惨めな気持ちになってきた。
 僕は自分の席に座り、少しぼーっとしていた。どうしてもあのドキュメンタリー番組が頭から離れないのだ。揺らめく赤くて黒い炎、恐怖の顔をした市民が頭の中でこびりついている。あの映像が白黒で良かった。もしもカラーだったらとてつもなくおぞましいだろう。
 僕は気を紛らわすために英単語帳を開いた。最悪。こういう時に限って目に飛び込んできた単語は「escape」だ。
 僕の右隣では女子達が様々な話題であの俳優がカッコいい、あのマンガ読んだ?数学のテスト範囲ってどこからかわかる?左隣では陽気な男子が集まってギャグを披露している。全てのネタが昨日のイロモネアで芸人がやっていたであろうネタだと容易に想像できる。

 誰かにドキュメンタリー番組の話をしたい。そうでもしないとこのモヤモヤとかフラッシュバックは消えないだろう。僕1人で抱え込むには重たすぎる。でもそんなことを話したところで雰囲気を悪くするだけだ。
 僕は授業に集中することで、そのモヤモヤを散らそうとした。

 1時限目は世界史だった。嫌な予感がした。
 世界史の先生は生徒から人気の先生だった。ハキハキと明るい教え方が好評で、教えることが好きなんだということが伝わってくる授業をしてくれる。
 今日はマケドニア王国のアレクサンドロス3世についての授業だ。先生はいつものように明るく説明してくれた。
 アレクサンドロス3世は若くして、マケドニア王国の領土を広げていき、ペルシャ帝国さえも撃破した紀元前の英雄と先生は熱く語った。
 僕はその説明をよそに世界史の資料集の近代のページで第二次世界大戦についての文章を眺めていた。戦争の原因や使われた兵器など、戦争についての資料をくまなく読んだ。
ある程度読み終わったところで、先生の授業に戻った。先生は熱くマケドニア王国について語っている。
 そこで、ふと思った。この教科書や先生の説明ではマケドニア王国の繁栄が取り上げられているが、その基盤は戦争から成り立っている。つまり、多くの犠牲や悲しみの元に王国が出来上がっている。そう考えたら、昨日のドキュメンタリー番組で観た第二次世界大戦とこのマケドニア王国の繁栄のための戦いは同じものだ。赤くて黒い炎が発生しただろうし、子供が泣きじゃくったり、沢山の人が逃げ惑って悲しい思いをしたことだろう。
 そして、そんな悲惨な出来事をこの先生は明るく楽しそうに語っている。
 僕は先生に対して怒っていた。なぜか分からないが怒っていた。怒る権利なんて僕には無いのに、ただ怒っていた。僕にできることは何ひとつも無いのに怒りがおさまらなかった。授業中、赤くて黒い炎が僕の頭の中で揺らめいていた。
 僕はその炎を紛らわすようにイエローモンキーの「JAM」を頭の中で流した。





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