悪の連鎖が続かないでと願う
noteを始めて1年と数ヶ月経つ。最初から2番目に投稿した記事は『ドールハウスの惨劇』という小説の感想で、その続編が昨年発売された。発売直後に買ったのだけど、前作よりさらに恐怖が増しているとか、戦慄したとかいうレビューを見ているとなかなか読み始められなかった。1年近く積ん読してやっと読むことができたので、感想を書いてみたい。
遠坂八重『怪物のゆりかご』は、高校の教室で自殺の中継映像が流れ、その動画がネット上に拡散されるというところから始まる。自殺を図った男子高校生の彼女が主人公たちのところに相談に来て、主人公の滝蓮司とその幼馴染の卯月麗一は事件を追うことになる。
事件が終わりを迎えてよかった
この小説には悪意の連鎖が描かれていた。人から悪意を向けられた者は傷を負う。そして悪意を向け返すとか、自分の中に澱を溜め込むとか、無理に立ち直ろうとしてどこかでひずみが生じることもある。いずれにしろ、一つの出来事がその後の生き方を変えてしまうことは大いにありえて、それはその人が息苦しいだけでなく周りにも響いていく。犯罪やいじめはもちろん、そこまではいかずとも日常的に人に憎悪を向けてしまうとか。そうやって悪意が伝播して連鎖していく様が悲しかった。
だから読み終わっていちばんに出てきた感想は、終わってよかったなということ。主人公たちが動画の謎を追うことで引きずり出された過去は悪意の連鎖を孕んでいて、ここで一応は断ち切ることができてよかったと思った。
最近、日本の司法は加害者に優しく被害者に冷たいというようなネット民の意見をよく見かける。素人の感想だけど私もそうだなと思うことがある。それでも、犯罪者がちゃんと捕まって法律で裁かれることになってよかったと思う。この一連の事件で傷を負った人たちがいて、それは簡単に癒えるものではないと思うけど、一つの終わりがあるのとないのとでは大違いだと思った。
一方で、事件に絡む複数のいじめや犯罪は、事件のおかげで断ち切られたという側面もある。現実世界でいじめが法律で裁かれることは少ないし、この物語でもやはり法の制裁は下されていない。いじめがなくならない現実に怒りを覚える。卑劣な行いが人の心をどれだけ壊してしまうかを描いてくれているこの作品に救われる思いがした。
たこ糸研究会やっぱり好き
たこ糸研究会は鎌倉の進学校である冬汪高校のクラブで、主人公の滝蓮司が会長、卯月麗一が副会長だ。メンバー2名の便利屋であるたこ糸研究会は私にとってとても愛しい存在で、ビビりながらもこのシリーズを読む大きなモチベーションでもある。前作は冬汪高校内の友達に関わる事件を解決したわけだけど、今回は他校の事件で、バディは鎌倉を飛び出して活躍することになる。
大きな事件に立ち向かうに当たり、麗一は前にも増して冴え渡っていて、その推理力と行動力に感心するとともに読者としてはちょっと置いていかれているような気持ちになった。飄々としてつかみどころのないようで優しい麗一は、危険の伴う調査に蓮司を巻き込むまいとする。そんな麗一を前に、蓮司は事件に立ち向かう覚悟を決める。超人的なところのある麗一と違って蓮司は中庸そのもので普通を地で行くタイプなので、そこに安心感がある。事件に慣れた刑事が主人公だったら描かれないような感情が描かれ、普通の人の感じ方がリアルに表現されていたから寄り添いながら読めた。
特に印象的だったのは、麗一に向けられる侮蔑的な視線に蓮司は気づけず、気づけなかったことを悔いる場面だ。確かに恵まれた者には見えていない景色があって、もしかしたら自分にもそういうところがあるのかもしれないと思うとどきりとした。一方で、蓮司の母が指摘したように、麗一は蓮司がその視線に気づいていなかったことにこそ救われる。そんな2人の真っ直ぐな会話を聞いていて、心の深いところでつながっている絆に胸が熱くなった。
蓮司の母は蓮司のことを意外とよく見ていて、様子が違うことに気づいてさり気なく声をかけ、高校生の息子に対して行き過ぎていない、短くも的確な言葉をくれる。蓮司の父はもう少しふわっとしている感じで、余計な深入りをせずに味方でいてくれている。本当に素敵な両親だ。親のいない麗一が友人たちのことを思うとき、その後ろにいる親の愛をよく分かっていて、彼らを悲しませたくないと思っていることが胸に刺さった。
重い出来事に揺さぶられつつ、主人公たちの正直でリアルな胸の内に頷き、散りばめられたユーモアににやついた。彼らの成長を追う楽しさは他では代えられない。恐ろしい事件はもう嫌だけど、シリーズの次作が出ることを願ってやまない。
↓シリーズ前作について書いた記事はこちら
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