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椿の季節は鎌倉が誘う

小川糸の『椿ノ恋文』は、「ツバキ文具店」シリーズの3巻目として発売した、鎌倉の代書屋が主人公の物語。

『ツバキ文具店』と『キラキラ共和国』から時が経ち、大好きな作品だけど続編が出ると思っていなかったので、ある日実家で新聞をめくっていたら「QPちゃん」の文字を見つけて驚いた。なんと続編が連載されていたのだった。それから単行本が発売するのを心待ちにしていて、2023年11月についに本屋に並ぶと、張り切ってレジに持っていき有隣堂コラボカバーをかけてもらった。

前の2作品を読み返してから読むか迷ったけど、結局我慢できずにそのまま読んだ。作品世界も何年も進んでいるので、私の懐かしさと時の経過が一致してちょうどよかったかもしれない。ページをめくると、いきなりツバキ文具店からのお知らせの手紙から始まっていて、久々に代書仕事を再開するとの文面に、読者にも久々に会ってくれてありがとうと言ってくれている気がした。

3人の家族が5人になっていて、かつて主人公の鳩子が先代と2人で、その後はひとりで暮らしてきたツバキ文具店が賑やかになっていた。結婚する前、仕事に向き合い先代に向き合いながら、好きなお店を巡ったり、丁寧に時間を紡いできた鳩子とは、一緒に鎌倉を歩いているような気持ちだった。そんな紙の上の鎌倉散歩は心地よく、彼女の幸せを自分の幸せのように感じることができたものだった。そんな彼女がお母さんになり、バタバタと過ごしているのを見ると独身と一家の母がいかに違うかがよく分かる。それでも、等身大の人間として悩んだり一日一日をもがきながら生きる様子は昔の鳩子と同じで、再び彼女の心に寄り添うことができた。

先ほど書いたQPちゃんは前の作品に出てきたキーパーソンで、幼いQPちゃんと主人公の文通の様子にとても心があたたかくなったのを覚えている。そのQPちゃんが最新作では中学生になり、反抗期を迎えていて驚いた。あの可愛らしかったQPちゃんが反抗期!と親戚のおばさんのような気持ちになった。

前の2作品で存在感が大きかった先代は、鳩子に家族ができたことで存在感が薄れるかと思いきや新たな秘密が発覚し、むしろその影に新たな色彩を纏っている。既にこの世にいない先代であるが、鳩子がその秘密を知ってショックを受けるところから、より強い信頼を結ぶところまで、胸の奥をぎゅっと掴まれるような気がしながら読んだ。血を分けた家族であっても通じ合えないことはたくさんあり、血がつながっていなくても家族になれるとはよく言われることだが、いずれにしても家族だからこそ見せない姿やなかなかぶつけられない思いがあったりするものなのだろう。母娘の愛、時を超え世代を超えて心を通わせる姿に、心に陽が差すような気持ちになった。そして、親孝行は相手がこの世を去ってからでもできるというようなことが書かれていたのが印象的だった。生きているうちにたくさん親孝行できたら理想だけど、それが全てではない。それに気づけて、詰めていた息を吐き出せたというか、少し生きるのが楽になった感じがする。

この作品は日常が淡々と描かれ、普通の「生活」がそこにあって、まるでエッセイを読んでいるように錯覚する。代書屋に来る人たちが抱える悩みは現実世界でも多くの人が持っていそうなありふれたもので、そこに真剣に向き合うことで「あなただけじゃないんだよ」と励ましてくれているようだ。そして、主人公が代書の仕事をするときは、その文面が活字で書かれるのではなく、その手紙そのものが本に載る形になる。作者の原稿をもとに作成(あるいは再現というべきか)されてこの作品の一部を成すその手紙たちは、本物の手紙を読んでいるようで、これもまたリアリティを加速させている。物語世界が湯気を上げて立ち上ってくるような魅力がある。

私たちは毎日を生きるのに精一杯で、度々生きる意味を見失う。その中で読書は現実逃避に最適で、ファンタジーやミステリや外国文学は現実から遠くに離れることができるワクワクや楽しさがあるが、ツバキ文具店シリーズの場合は逆で、日々生きることにフォーカスしているからこそ、明日も生きる勇気をくれる。私も登場人物たちを応援したくなるし、応援されているような気持ちになる。私は小説を読み始めると止められなくなるが、この作品はむしろゆっくりゆっくり読みたいと思えて、寝る前に少しずつ読んでじっくり味わった。じんわりと愛と幸せを分けてくれたこの作品に感謝している。登場人物たちがこの物語の後も元気に生きていることを願っている。そして鎌倉をまた訪れたい。


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