自分のお母さんに自分でなる
ここ2週間ずっと調子が悪くて、ここ3日くらいになってやっと上昇してきた感じがある。
低気圧や季節の変わり目という外の自然のせいだとわかっていても、自分の日頃の行いを省みてしまう。(小麦粉ふすまのパンケーキを食べちゃったからかなあ、夜のスマホのせいかなあ、糖質取り過ぎていたかなあ、、)
体がだるいだけならまだよくて、メンタルにくるのが本当に辛い。
根源的なモチベーションが削がれるから。
もう元気にならなくてもよくない?
むしろこれが普通なんじゃない?
どうせ何もできないじゃない?
誰にも必要とされていないんじゃない?
これらとの戦いが辛い。
ただでさえ身体が弱っているのに、世界から見放されたような絶望感を、理性でなだめないといけない。
そうでもしないと自分を見放して必要なケアを放棄しそうになる。
できるだけ客観的に見て論理的に考えて、
「今の私は少々パニックで、正常な頭の思考できていないから、とにかく身体を温めてアミノ酸を飲んで気持ちのいい音楽を聴かせよう。」
「今までの自分の人に対する態度や礼儀は悪くなかったはずだし、人並みに色々経験して勉強もしてきたから、体調さえ良ければきっと誰かの役に立てるはずだ、誰かに必要だと思ってもらえるはずだ。」
と。
余談ですが2つ目の「」の「誰かに必要とされたい」という願望が私は昔からとても強くて、これはどうやら蟹座の人の特徴でもあるみたいです。
今まで気にしてこなかったけれど、占いに背中を押されることが増えてきた。
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こんな感じで鬱々とした時間を、例えば寝たいのに眠れない23時から2時までとかを、何日も過ごしてきたから、今後どうしたら生きやすいのかなとかを真剣に考えて、
さっさと結婚したいな思った。
20歳で婚活に意識が行くとは夢にも思わなかったけれど、惚れた腫れたはいいから、
私は安心したいです。(切実)
母性を持て余しているし、人のためにご飯作りたいし、家事を苦に感じないから、早く家庭を持ちたいや。
あともう一つ今回のダメ期の長考の収穫で、メンタルケアのかかりつけの専門家を探すと決めた。
自立するとは一人で立つのではなく、寄りかかり方をたくさんの方向に分散して立つこと、頼り先を複数持つことだそうだ。
月一のバイタルケアの病院の他に、愚痴や悩みを吐き出せる場所、弱みを見せられる場所を探す。
学校はどうしても気を張ってしまうし、友達とはできるだけ楽しい時間しか共有したくない。
一番いいのは、同じ病気の人と友達になれることだ。
サプリとか食事のあるあるネタで盛り上がりたい。
愚痴を、聞かせる相手への細かい説明なしに、思う通りに言いたい。
罪悪感を少しでも軽くしたい。
仲間を探しています。
とりあえず持て余した母性を自分に向けて、実際の母とは別の、自分のお母さんに、自分でなる。
五穀米を混ぜたご飯が本当にいい香りに炊けて、一つかみの塩を溶かしたお風呂が温かくて、疲れた足腰にオイルマッサージをして、今晩はちゃんと愛を注げたね。そう、自分に愛を注ぐのだ。
お読みいただきありがとうございます。今日も生きます。