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『竜とそばかすの姫』を観たはなし②

一つ前の記事から続けて読んでくださっている方、ありがとうございます。

そうでない方、はじめまして。久しぶりに映画を観たので、忘れてしまわないうちに記録しておこうという、シンプルかつ自己中心的な記事です。いっぱいネタバレすると思うので、嫌な方はやめてください。むしろ、ここまでありがとうございます。

①では、主人公とその周りの人たちとの関係について思うところを書いたので、②では映画を構成する設定や効果のことに触れてみようと思います。


Uの世界

これまでもインターネットを舞台にした作品を手がけてこられた細田監督のが、今回のテーマに選んだのは、巨大な仮想世界。

その、Uのテーマは

現実はやり直せない。しかし、Uならやり直せる。もう1人のあなたを生きよう。

とされていて、なんてこれまた魅力的な響きでしょうか。

Uの世界が当たり前のものとして受け入れられている映画の世界から、インターネットがわたしたちの人生に大きく干渉しはじめていることを、考えずにはいられません。


現実ではどうでしょうか。
インターネットの世界で、やりなおしはきくでしょうか。


逆な気がします。


現実はやり直せない。
しかし、インターネット上で起こったことは、もっとやり直せない。インターネットの力で、すでに起こった現実を変えることもできない。


主人公のすずは、Uの存在によって救われた人間の1人です。仮想世界での自分の存在が、現実世界での自分に、息の仕方を思い出させてくれる…そんな経験をすることになりました。

一方で彼女は初めから、Uの世界にお母さんの存在を求めませんでした。もう現実を変えられないことを受け入れていて、変えられるのは自分だけだと気づいていたからなのかもしれません。

「すっごい普通の子じゃん」という台詞に象徴されるように、だれでも、どこにいても、世界と繋がって自分を発信できる時代になりました。

インターネット上で成功を収めて、生計を立てることもできるいま、私たちはやっぱりどこかで、インターネットは“これから”を変えるための手段で、過去をやり直したり書き換えたりする手段ではないと、割り切っているような気がします。

正義を振りかざす人

Uの世界には、ジャスティスと呼ばれる自警集団が存在しています。自分たちこそが正義であると謳い、多くのスポンサーにバックアップされた彼らは、竜を悪とみなし、素性を暴くことでUの世界から排除しようとします。

わたしたちの周りにあるSNSを中心としたネット社会にも、近頃「〇〇警察」と呼ばれる人たちが現れました。正義の側に立って、少しでもその価値観から外れるものに対しては、神経質なまでに執拗に攻撃をする人たちが、残念ながら存在しています。


正論は紛れもなく正しいのですが、それを振りかざして他者を攻撃することは正しくない。
有川浩さんの『図書館戦争』のなかにも、「正論を武器にすることは正しくない」という描写がありました。


顔の見えないコミュニケーションが当たり前になった世の中で、わたしたちは改めて、正しさを測り直す必要があるのかもしれません。

ディズニーと『竜とそばかすの姫』

物語の中盤から、ディズニーの映画『美女と野獣』のオマージュとなる場面が、ふんだんに散りばめられていました。


主人公のキャラクターデザインに始まり、名付けから設定に至るまで、緻密に画策されたその一つ一つに脱帽しました。

村では冴えない女の子として生きている、お父さん想いのベルが、少しずつ野獣の心を溶かしてゆく…周囲の人々から誤解され攻撃を受ける野獣の、ほんとうの心を自分だけが知っている…

ディズニーだいすき、特に美女と野獣だいすき、のわたしにとってはたまらない演出でした。ありがとうございました。

一方で、どうしても、いつも気になるのは、野獣は疑う余地もなく、かつて嫌な奴だったという事実です。どんなに改心したとはいえ、いまも彼自身にそのパーソナリティが1ミリでもあるかもしれないことに、どこまでももやもやします。

個人的にこういった人のことを、天沢聖司な人とカテゴライズしています。
※天沢聖司を知らない方はこちら↓


どんな事情があっても、どんなに傷ついていたとしても、すずに救われて改心したとしても、恵には紛れもなく人を傷つけたという前科があります。わたしにとっては天沢聖司であることに変わりはありません。

わたしがいま、「恵よかったね」と心から言えない気がするのは、きっとこの辺りが理由なのだと思います。

皆さんはどうですか。竜を、恵を、許せますか?

音楽と『竜とそばかすの姫』

冒頭で流れる、King Gnuの常田さん率いるmillennium paradeの「Uのテーマ」が流れますが、あまりの世界観に絶句しました。すごすぎる。

インターネットの世界という、目に見えそうで見えない世界を現像することは、できそうでできないことではないでしょうか。「世界」をイメージさせる音楽に初めて出会いました。


ストーリーの序盤から、すずが何度も口ずさむ歌の歌詞では、「歌よ導いて」というフレーズが印象的でした。お母さんとの唯一の繋がりであった歌に、導いて欲しい先はどこにあったでしょうか。

初めはきっと「確かな自分」や「明日の人生」だったはずが、Uの世界での出来事を通して、少しずつ「龍のところへ連れていって」と変わっていく過程に、すずの心が世界へ開き、自分を通して他者を捉える視点へ、前向きに変化していったことを感じました。


ちょっとだけムリクリですが、今回すずの親友のヒロちゃん役にはYOASOBIの幾多りらさんが声優さんを務められています。

すずの歌声がUの世界の人々に共鳴し、大合唱となるシーンで、YOASOBIの『群青』がフラッシュバックしました。

知らず知らず隠してた本当の声を響かせてよほら
見ないふりしていても確かにそこにある

(あれこれ、すっごいすずに重なる気がする…)なんて思いつつ、ポップコーンを齧ったのですが、気のせいですよね。きっと。

このあとは

AZたちがベルの周りにどんどん集まって、もこもこもこもこ!と積乱雲のように膨らんでいくシーンで、
「あれ、なんかこれすごく見たことがある…」と思いながら眺めていました。

映画を観終えて、本屋さんに立ち寄って、その既視感の正体に出会いました。

この表紙でした。

どうですか。そっくりじゃないですか。

何かのご縁だと思うので、このあとはこれを読もうと思います。読み終えたらまた、お話しさせてください。




おしまい。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

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