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#8-01 『旅のラゴス』を読んだはなし

8月になりました。

先日の記事で、「次はこれを読みます」と宣言した『旅のラゴス』を読み終えました。


制限されるようになってから、めっきり外出が減りましたが、いつまで経っても旅に出られる目処は立たない今日この頃。

主人公の波瀾万丈な旅路のなかでの、さまざまな街での出来事が淡々と語られていく本書ですが、見たことも聞いたことも無いような、そこでの「当たり前」と出会う様は、わたしたちの生きる現実世界の有り様と同じです。

まだ知らない何かを求めて、わたしも旅に出ました。


2年前のゴールデンウィーク、10連休を利用して、単身でニューヨークに渡りました。どうしても、1人で旅に出てみたかったあの頃の気持ちが、未だに鮮明に思い出されます。

社会人2年目の春、「新人」という呼称から解き放たれた途端の不安や、「先輩」になるんだという青い誇らしさから、不意に自分自身の足で立って生きていきたいという思いがむくむくと膨れ上がってきました。

自由の国、ダイバーシティの街に飛び込んで、自分が何者なのかをはっきり捉えてみたかったのです。



わかったのは、わたしが何者であるかはわたしに決められることだということ。わたしだけが決められ、わたしだけがわたしに磨きをかけられるということ。

それから、わたしという人間は途方もなくちっぽけなので、「こうなろうか!」とあれこれ考えて尻込みして、失敗したってしょうがないということ。

もっといえば、失敗したときに、思っていたより人はやさしくしてくれるということ。

「そんなの日本にいて普段の生活をしていたってわかるじゃん!」という声が聞こえてきそうですが、あの頃のわたしにとっては、自分で行動して、わたしを知る人が誰もいないところで、誰にも頼らずに理解することが、何よりも尊いことのように思えました。


『旅のラゴス』でも、主人公は、未だ誰も得ぬ知恵を自分のものにするために旅に出ます。行く先々で身分や立場を変える主人公を、多くの人が助けてくれます。

自分が何者であるかは「先輩」とか「会社員」とか、肩書きや立ち位置で決まるのではなく、もっと根源的な、人間的な魅力によって定まるものなのだと、ラゴスさんが思い出させてくれました。

心の赴くままに旅に出られる日がまた来たなら、こんどはわたしを磨くために、まだ見ぬわたしの形を掴むために、旅に出ようと思います。


ラゴスさんのように、愛する人のために、全て投げ打って旅に出られる日が来るのは、ずっとずっと先になりそうです。

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