50歳になってもファルコンに乗るために

何故noteを始めようと思ったかというと勿論1番は書くことが好き、好きなことをやろう、やってみないでどうする、みたいな新年新月のホップステップジャンプの三段活用があったのだけど
もう一つ、自分の読書力や記憶力、集中力の劣化のスピードが著しく、自分でもこれはヤバイと思った危機感からのリハビリ、筋トレ的な意味もある。

これはnoteにお住まいになる大方のお若い方には、全く身に覚えのないことだろう。が、人生の折り返しを過ぎる頃から、本当に鶏のように3歩歩くうちに何をしようとしていたか忘れてしまう事が起きるのだ!!

グーグル先生に聞こうと思っても、何を調べようと思っていたのかが思い出せない。流石のグーグル先生もお手上げだ。面白いことを話そうと思っても、起承転結の転あたりでオチに至るキーワードが突如出てこなくなり、沈黙してしまう。
ゴメン、オチが出てこない、話が落ちないと笑って言う時の悲しさったらない。

本を読んでいても、ロシア文学の四段組みたいな重厚長大な奴はもう手にとる気にもなれない。短く改行する文章に慣れすぎてしまったのか…
少しは昔に読んどいてよかった。お若い方には、とにかく筋力体力のあるうちにどんな本でも良いのでたくさんたくさん読んでおくことを強くお勧めする。

スマホでザッピングする癖もまた、長く一つのことにじっくり腰を落ち着けて取り組む力を、じわじわと奪ってきたのではないだろうか。半ば修行のように、目が宙を泳ぎそうになるのを、海に錨を下ろすように本に縛り付けて、改めて新書から始めて読むようにしている。物語のような想像力を必要とするものよりも、ビジネス書やライフハック的な役立つ情報や科学的な事実について書かれているものについて読んでいる方が頭が楽なのは、仕事脳になってしまっているのかなあとも思う。

何もしなければ筋力が落ちるのは自然の摂理。
大好きなものだから無くしたくない。
だから私は、書いて読むことにする。
結論も三段論法。お後が宜しいようで。


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