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「これはエレキいうんじゃ、ベンチャーズ。かっこえかろう。」 -不良と呼ばれていた、かもしれない僕ら

 昭和41(1966)年に来日を果たしたビートルズや、同時期に人気を博していたベンチャーズ、さらに「キング・オブ・ロックンロール」たるエルヴィス・プレスリー。彼らの抱えるエレキギターの音色、さらには‘演奏しながら歌う’というスタイルに、多くの若者が衝撃を受けました。ご存じの通りその衝撃が、その後の日本でのグループサウンズ(GS)ブームやフォークブームにつながっていきます。
 今回は、新居浜や西条でビートルズなどに影響を受けてギターを手にした、当時の少年少女たちのエピソードです。

 音楽の世界にどーんと入ったのはフォークミュージックだけど、小学生の頃から中学生の頃に聞いたのは、グループサウンズ。小学生のときはGSが流行ったんですよ。タイガースとかスパイダースとか。その二つが人気が高くて、タイガース派とスパイダース派がいて、自分はそんなに夢中になったわけではないんですけど、それを話題にしないと、友だちについていけないというか。そのころのアイドルというかね。そういうGSから入ってますよね。それから姉の影響でカーペンターズとか、ビートルズとか。ちょっとフォーク寄りのポップスみたいなね。そういうのを聞いたりしてましたね。中学の時に初めてエレキギターを買ったのかなあ、友だちのお兄ちゃんから安く。だから、フォークも弾きつつ、エレキも弾いてましたね。で、高校に入ったらベンチャーズとか。

 こう語って下さったのは、西条市で音楽スタジオを経営する男性です。こだわりの機材を揃え、子どもたちを相手にギターレッスンなども行うなど「見えないところに徹して、縁の下の力持ちでいいんですよ」と語る、いまも西条の音楽を支えているお一人。音楽人生の始まりは小学校の時のGSブーム。その後、プロになることも意識するなど、演奏活動にも力を入れていました。
 

 中学生の後半くらいからもう、プロになりたいというのを思ってて。中学生のときは弾き語りですよね。夏のイベントとか、お祭りとかで、弾き語りしてましたよね。そのころは吉田拓郎とかがものすごく流行ってて、弾き語りで吉田拓郎を歌うっていうのは主流な文化でしたよ。特別なことじゃない感じ。
 バンドも組んでたし、弾き語りもやってたし。拓郎とか陽水とか泉谷しげる、そんな人たちの人気がどっと出始めた頃なんですけど、仲井戸麗市さんって知ってます?その人が「古井戸」というのをやってて、それにめちゃくちゃハマって。友達と。アコースティック2台なんですよ。いまでいうと「ゆず」みたいな。でも「ゆず」は健康的じゃないですか。そうじゃなくてどよーんとした、そんな感じのデュオの弾き語りのバンド。そのカバーをずっとやってたの。その「古井戸」のカバーをやってたころには、ほかの高校の文化祭にゲストで呼ばれたり。で、おちゃらけでサインを色紙に書いたり。そんなのを高校の時にやってましたね。

 この男性が学生だったころから時代を遡って、彼らの源流たるビートルズが日本を席巻していた頃。「ビートルズを聞いているだけで、不良とみなされた」という逸話もあるなど、ロックを聞いたり、それに影響を受けて音楽を始めたりすることが‘不良’的だと見なされることもあったようですが…

 そういうのは、もうちょっと上の世代の話ですね。自分が中学生のころは「キャロル」とかをやってるやつらは、めっちゃ不良ばっかりで。中学生のときにそんな先輩を見てて、ああ、ちょっと怖い先輩がバンドやってるなあと思ってたんだけど。バンドを見たのはそれが初めてかもしれない。先輩方がやってるのを見て。
 フォークをやってる学生なんてのは、おとなしめやね。普通ですよね。ただ、音楽活動をすること自体が、派手、珍しいというか。だから、ジャンル的にはおとなしいのをやってるけど、ちょっと変わってる、というか。そんな風に見られましたよね。普通のおとなしい子ではない、というね。

 このようにビートルズやベンチャーズ、プレスリーのエレキサウンドに刺激を受けたのはこの方だけではありません。これから紹介するもうお一人は、ベンチャーズが入口でした。

 ギター始めたのは、ベンチャーズなんよね。というのはね、上のいとこがおってね。そのいとこが中学校の頃に、こっちに帰ってきて。「お前、こんなん知っとるか」というて、ラジカセでね、テケテケテケテケ、と『パイプライン』を聞かせてくれて。「なにこれ?」言うたら「これはエレキいうんじゃ、ベンチャーズ。かっこえかろう。」いうて。「おお、かっこええなあ。」というて。『青春デンデケデケデケ』のようなね。

 最初に紹介した方と違い、この方は『青春デンデケデケデケ』よろしく、ベンチャーズから典型的に影響を受け、エレキサウンドの演奏をチョイス。周囲の目は、少し厳しかったようです。

 それからバンド作って。一つ上の友達でドラム持っとるやつがおって、そいつの家の2階で、どんちゃんやりよった。で、もちろん苦情がくるんよね。完全に不良よね。うるさい、いうて。でも、するとこないしね。だいいち、楽譜もないし、もちろんyoutubeもないし。だから、耳コピよ。どのへんで弾きよんだろう、という感じで。どのへんで、どういう風に弾くんだろうと。だから、耳がよくなったね。 

 ドラムをガンガン叩く。アンプもガンガン鳴らす。どうしても、周囲から厳しい目に晒される。それでも彼らの青春は、びっくりするほど充実していました。

 まあ、モテたよね。
 高校の時に、先輩がバンドつくっとったんよ。昔新居浜にね、近鉄観光センターというところがあって。僕はそこのプールサイドでバイトをしよったんよね。ほんで、ちょうど夏休みで電話かかってきて「ちょっと歌を歌えるやつがおらんから、出てきてやってくれ」と言われて、出ていって。当時GSが流行っとったから、タイガースとかビートルズをそこのプールサイドで演りよったら、女の子がぞろぞろついてきて。「サインしてください」と。「えー、サインなんかできんよ」いうて。それでも「名前と住所だけ書いてください」とか言われて、でバイト終わったらファンレターが来とったり。

 その当時、下宿しとったんよ。クラブのベースの人と。その人が世話してくれて。その人の家の別宅みたいなところで、バンドが寝泊まりしてたの。バイトが終わったら、朝と昼と2ステージあったんだけど、終わったら女の子が家までついてきて「トイレ貸してください」とか言ってきて。「まじか」と思って。

 GSブーム真っ最中の夏休み。期間限定の下宿とバイト生活。ファンが下宿までついてくるというのは、いま客観的に考えるとかなり怖い話ですが、言ってしまえばそれもフォークブームやGSブームの賜物。新居浜や西条の若者たちは、時に危ない橋を渡りながら、GSブーム、フォークブームを謳歌していました。

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