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新居浜に「ステレオ」の音が響いた日 -『サウンドアートNOANOA』自慢の音響機材たち

 親父がね、東京に行ったらこんな店の名前があったぞ、と言うたのが、「ノアノア」だったんよ。「それなに?」と聞いたら「タヒチ語よ。」と言うて。「甘い甘い!」とか「おいしい、ごちそうさま!」という感じ。50年以上前からそれで。パーラーで7年やっとるから。これを始める前に、母屋のあった交差点のところで、フルーツパーラーをやってたの。

 こう語るのは、老舗喫茶店『サウンドアートNOANOA』のマスター・塩崎さん。かつては、今の店舗から少し南東の前田交差点あたりにあった母屋を店舗にしており、いま店舗のある新居浜市新田町に移転したのは50年以上も前。開店から半世紀以上経った今でも厨房に立ち続ける、パワフルなマスターです。
 そんな塩崎さんの‘もう一つの顔’と言うべきか‘本当の顔’と言うべきか、なのが「音響エンジニア」としての顔。今回は、そんな塩崎さんとノアノアのエピソードです。

 兄貴が住友に出入りしてて、電気技師と知り合ったの。それで教えてもらって、独学で覚えて、兄貴がステレオシステムを作り出したの。それで、作っては鳴らしよったんよ。こんな音が出せるんだ、と聞いてほしいわけよ。作った側は、やっぱり聞いてほしいわけ。下水管のヒューム管、コンクリートでできたあんな丸いやつを、エンクロージャーのかわりにしたりね。テレビ壊して部品とりよった、いうて。親父が金かけて買ったテレビを「あれ、テレビがない!」というて探したら、兄貴がばらしよったの。トランジスタをとりよった。
 さっき写真があったやろ。そこに、音を聞きに人が集まりよったんよ。あの写真は昭和24-25年ごろだろうか。みんな、音の魅力が分からんかったわけ。聞いた瞬間に、聞いたことの無い音楽なわけ。もう爆音で、何が起こったんだろう、と。交差点の真ん中で、自転車を支えたままで、10人そこらがぽかーんと聞きよったんよ。

 展示写真は、記憶によると昭和24-25(1949-1950)年頃に撮影されたもの。場所は、いまの新居浜市前田交差点。往来を行くボンネットバスや「車は左 人は右」という標語が歴史を感じさせます。
 そんな時代に大音量で鳴り響いた、自作のステレオからの音色。「進駐軍向けのラジオを四六時中聞いていた」ということもあり、‘サッチモ’ことルイ・アームストロングなどのジャズ音楽を好んでいた塩崎さん。昭和20年代前半、蓄音機やラジオが主流の時代に、ステレオセットから大音量でジャズ。一般市民にとっては、使っている機材・音量・音楽ジャンル、すべてが新鮮な経験。「交差点の真ん中で、ぽかーんと聞きよった」にも納得です。

「音楽を思いきり鳴らしたいな」という欲が出て、自分でどんな店舗がいいか考えて。四国のいろんなところを見に行って。高知にあったの、ジャズ喫茶が。 

 こうして現在の場所に移り、喫茶店、ジャズのレコードショップ、レコードのリスニングルーム、練習スタジオなどを併設する店舗となったノアノア。いい音を聞く・届けるために、機材にもとことん、こだわりました。

 そのときに、JBL43シリーズのオーディオセットと、レコードショップ用の音楽システムと、1階の喫茶店のシステムと、3セット揃えたの。どうしても聞きたい人は、ここでレコードを買ってくれた人は、ここで聞かせてあげてたの。だけど、いっぺんここで聞いたら、家で帰って聞いたらぜんぜん水準が違うから、レコードが家で聞けなくなるからここでは聞かん、というね。
 これ、実際に聞いて買ったんじゃないんよ。松山の「洲之内テレビ」いうてね、愛大の近くにあるやつ。そこが上一万にあるときにね、オーディオルームがあったんよ。そのときにいろんなメーカーのを聞いて、アンプも、いろんなのを聞いた中から。あそこは全部聞かせてくれるんよ。遠慮なしに鳴らしてくれるんよ。でも、納得するのがないから「このスピーカーとこのスピーカーの、間くらいのがないんか」と聞いたら、「いま生産されて、岡山くらいまで来とる1セットがあるから」と言われたから、「かまんのやったら、それをすぐ引っ張ってきて」と言うたのが、これなんよ。
 この店ができる2か月くらい前かな、エイジングする為に(洲之内テレビで)ガンガン鳴らしてもらってたら、松山の若い人がそれを聞いて「洲之内テレビですごいのが鳴りよる」と噂になって。その後にここに運んできてガンガン鳴らしてたら、「松山でもこれに似たやつが鳴ってるのを聞いたことがある」と言われて、「ああ、それはこれよ」と言うたりね。
 やっぱり、音楽好きな人が寄って来るでしょ。トランぺッターで安孫子浩さんとかね、そういうのも来たことがあるし。ほんでこれを聞いて「お前らは贅沢すぎる。こんな環境で、生以上のええ音で聞いて勉強できるんだから、お前らは贅沢だ、ちゃんと練習せえ」とアマチュアの子らに言うたりね。

 このように語るこだわりの機材が、松山の「洲之内テレビ」で購入したというJBL製スピーカー「4343」シリーズ。発売当初の価格で約60万円、いまの価格に単純に換算すると倍以上。一般庶民にはとても手が出ない逸品です。

 なんでも私の場合は、気に入ったものは道具として使いたい。ダメになるまで使いたい。そんな感じなんよ。

 プロも驚く‘贅沢’な環境を、市内の音楽愛好家たちに惜しみなく開放した塩崎さん。このような記憶を熱く語ってくれた「ノアノア」2階の秘密基地のようなスタジオには他にも、たくさんの人のたくさんの思い出が、音もなく充満しているようでした。

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