茶会記はまとめません|一期一会の精神

茶事のお稽古で、茶会の記録、ログである茶会記に参加者として名前を書きました。
料紙という紙に書くのですが、そのときの紙は見た目は習字用の半紙のようでした。

これまでの茶会記も見せていただき、先生が「私の宝物!」とおっしゃっていました。

なるほど。ならもっと保存しやすいほうがいいんじゃないかしら?
芳名録みたいな製本されたものに開催した順に記していけば、残しやすいし、見やすいし、宝物感もでるんじゃないかしら?

そんなことを思っていたところに、ご朱印帳作成のワークショップがあったので、先生をお誘いしました。
しかしながら、茶会記は書き方、型が決まっていて、製本されたものに記すものではないんだということを教えていただきました。
1枚ぺらに書いた後に、まとめて製本するなら、まだいいのかもしれませんが、茶会記ごとに1枚にまとめるもののようです。

1冊にまとめたほうが管理しやすいと思うので、なんでだろと思ったのですが、1回、1回の茶会を大切にすることの現われでしょうか?一期一会の精神なのかな。
製本されているとついつい前回とのつながりで茶会をとらえてしまったりするのかな。

さて、この茶会記、古いものもたくさん残っています。利休さんの開いた茶会の記録も残っていますよ!

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天文24年(1555)正月六日
卯正月六日朝 千宗易会 達 好 弥三
一ゐるり つり物
一床 香炉、四方盆二、後ニ珠光茶碗ニ茶タツ
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出典:「利休の茶会」筒井紘一

千宗易というのは利休のことです。
…もっと解説できたらいいのですが、力及ばず。

(断りを入れるまでもなく、上記一切は個人的な見解です。
さらにいうと、お稽古を続ける中で、考えもまた変わっていくような気がします。)

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