「聞いて聞いて」がない
真ん中っ子
兄弟・姉妹構成と性格の関連については、星座とか血液型よりもリアルな育ちの環境に影響されるものなので現実的な気がします。
長子だと責任感が強いとか面倒見がいいとか、末っ子だと甘え上手とか世渡り上手とか、一人っ子だと喧嘩しない平和主義とか、それらしき特徴ありますよね。
わたしは真ん中っ子です。
真ん中っ子はしっかりしなきゃとあんまり背負うこともなく、末っ子がいるので親に甘えることもなく、たぶんそれなりに空気を読むのは得意で、自由人な傾向がみられるんじゃないかと思います。
親に「聞いて聞いて」をしないんですよね。
今日学校でこんなことがあったよ、○○ちゃんって◆◆なんだって~みたいなことをしゃべる習慣はなかったです。
もちろん全然しゃべらないわけではないけど、知ってほしい、聞いてほしいという欲求が強くないので、
本当は話したいけど上手く言えない…ということでもないです。
物心がついた頃にはそんなものだ、と割り切って身についていた感覚です。
話したいことがない
聞いて聞いて、の習慣がないと、人と話したいことがないんですよね。
楽しいことだけじゃなくて、ちょっと嫌なことがあった時や悩んだ時に、友人にちょっと電話で話聞いてほしい、ということもしないです。
若いころは人並みの女子として長電話をしていた時代もありましたが、しゃべりたい内容があるからしゃべっていたわけではなく、しゃべるということを楽しんでいる感じです。特に大した話はしません。
大学を卒業してしばらくは大学の友人とご飯を食べに行くこともありましたが、だんだん会っても話すことがないと思い始め、何にもないと会いづらくなりました。こうやってゆるやかに疎遠になってしまうんですね…。
ただ就職したり、結婚して子育てしたり、そういう同世代の友人と会っても、毎日論文読んでるだけの院生が提供できる話題って無いんです。
相手の話を聞くことはできます。
ただ、共有できるテーマではないことを広げるのって難しい。
学生時代の強さって、共有できる話題が豊富だったことですよね。
授業だったり学校の行事だったり先生だったり、お互いに重なる知識が多いと、他愛もない話が絶えない。
話したいことを増やしたい
ようはnoteの毎日投稿って難しいなって思っている今日この頃なんです。
研究の話ならああだこうだ考えるんですが、それはそれとして置いといて、それとは別に外に向けて話せることがあまりに少ない。
インプットの偏りもあると思います。
といっても、ただ自分が知ってる知識をしゃべって聞かせることと、会話が楽しいこともまた違いますよね。
私は聞いている側が楽しいことをしゃべりたいのかもしれません。
あ、いけません。
楽しいnoteを書きたいと言っているようなものなので、これではハードルが上がってしまう。
たぶん日常のささやかな気づきを深められるとか、本当にどうでもいいことについて真剣に語るとか、何もないところから話をつむぐ力を育てたいですね。
つまらないということがなくなりそうです。
この人と一緒にいると飽きないと思われたいです。
なぜハードルを作ってしまうのか…
でもそう思ってるから、今の自分と会ってもつまらないだろうなと感じて、人と会えなくなってしまう。
話せるようになりたいし、人と会えるようになりたいですね。
書くことないなと既に挫折しそうになってきてますが、根気強くnoteの毎日投稿がんばります。
お読みくださりありがとうございました。
こちら博士論文を書き上げるために、がんばっております。
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あかちゃん
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