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5時間授業の日はうれしかった

学生時代の時間割

ふと思い出したんですけど、
学生の頃の時間割って、6時間の日と5時間の日があって、
5時間の曜日は結構うれしかったです。

まあ高校はもっと授業時間多かったんですけど、
もはや高校までいくと日々の予習や課題に追われて、一喜一憂もあまりなくなっていたような…。

小中までは、時間割に当たりの曜日と大変な曜日があった気がします。
5教科以外の授業好きですね、やっぱり。
家庭科の調理実習とか一大イベントです。
まあ体育なんかは、やる内容によっては楽しみだったり、憂鬱だったりしたかな…。マラソンが嫌でしたね。うん。
あと、冬の体育は単純に寒いです。

与えられることに対して、日々感情が揺れるあの感覚、
大人になるとないな~と思います。

あと、給食。あれもメニュー大事ですよね。
シンプルにデザートがあるとうれしい。
ゼリーとかムースとかプリンとか、そういう小さなカップがどれだけの幸福度をもたらすことか。

食べたかったらコンビニで買えばいいという年齢になると、
あの小さなカップの絶大な幸福感を忘れてしまう。

あえて不自由になる

大人は基本的に自由です。
もちろん定時に会社に出勤して決められた仕事をこなす日々ではありますし、時間が決まっている予定はたくさんあります。
でも学生の日々にあった、プチワクワクとか、プチ憂鬱みたいな感覚とはなんか違う。
辞めようと思えば辞められるし、自分で選択してやっている感覚の方が強いからですかね。

自分の意思でやりたいことを決められるところを、あえて我慢して、
やっと休める~!とか、やっと食べられる~!みたいな状況をもっと作った方がいいのかなという気がしてきました。
大人も、やっと寝られる~!ぐらいはあるかもしれません。
それもまた至福の瞬間。

専門的なことは全くわかりませんが、
あえて生活に制限をかけてみることで、脳の幸せホルモンを有効に分泌させられたらいいな。


幸せだった子供時代

もちろん悩んだこと辛かったこともありますが、
振り返ってみて、子どもの頃ってなんか幸せだったよなって思います。

決められた時間割で、教室に押し込められて、窮屈な学校生活、みたいな見方もできるかもしれません。
でもそれがいいんです。ある程度は。
決まっている枠組みの中で一生懸命やることをこなす。
当然うまくいったりいかなかったりする。
それでもどうにかこうにか卒業までたどりつく。

大人の3年間もそういう生き方をしてみてもいい気がします。
とりあえず与えられたことに全力で取り組む。たまに失敗もする。
いつもいつでも要領よく運ばなくてもいい。

自分の人生を別に完璧な作品に仕上げる必要はない。
失敗しないように気を付けすぎている。
嫌なことを避けすぎている。
全然だめな日もあっていい。

不格好な、あの日々が確かに楽しかったことを忘れないでいきたいです。


お読みくださりありがとうございました!

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あかちゃん

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