見出し画像

写真集『浅田家』を読むこと

今月より赤々舎はnoteを始めさせて頂きます。月に1度、2ヶ月に一度など、その時々に、小社刊行物にまつわる様々なお話をお届けしていければと思っています。
初投稿は、写真集『浅田家』について!
<初出 2019年11月1日付 京都新聞>、小社代表、姫野によるテキストです。

浅田家04

『浅田家』というユニークな写真集がある。映画化され、2020年に全国公開の予定だ。二宮和也さんと妻夫木聡さんの共演も大きな話題を呼んでいる。写真家の人生を映画にすることはあっても、1冊の写真集を映画化することは珍しい。写真集という存在が、ふといつもと異なる角度で浮かび上がったようなニュースだった。

 日本の写真集は、世界的にも特異な位置にある。1960年代、70年代は、まさに写真集の黄金期だった。当時は写真展示の機会が少なく、写真集こそが発表の形態であり、内容と造本が絡み合いながら、作品世界を形成していた。写真集はカタログではなく、それ自体が作品であり、作家の核心というべき存在となった。強い存在感を放つそれらは、今なお多くの憧憬を集める。

 私たちが写真集制作のために写真を構成するとき、床や壁を使う。作家、編集者、デザイナー、それぞれが手を動かし、言葉を発し、目に見えないものを形作るような時間が訪れる。

写真を直線に並べていくが、写真集が内在する構成は直線的ではない。筋やストーリーとは異なるもの。写真集には謎や問いかけがあるが、その解は必要でないとも思う。だから、循環的だったり、目に見えない関わりやざわめきを探している。

 写真集を「読む」という言葉は、どこか象徴的だ。写真は情報として私たちに一方的に見られる対象から、わからなさという弾力を孕んだ存在となり、ただ向き合ってくる。限定された意味の向こうに連れ出してくれる。そのときに起きるエネルギーのやりとりを、「読む」という言葉は湛えている。

 さて写真集『浅田家』。一風変わった家族写真のシリーズだ。写真学校生だった浅田政志の制作を助けるため、両親と兄も作品づくりに巻き込まれた。消防士、ラーメン屋、選挙カーなどさまざまな場面設定を家族4人で演じ、撮影時の思い出のシーンも再現した。この写真を携えた浅田さんが、私の小さな事務所を訪れたとき、思わず笑ったり涙ぐんだりしたのを思い出す。

 家族写真を本に編もうとした時、写真を前に並べて考えた。それぞれの写真から覗く家族の関係性、撮影のときの出来事、そしてこんな写真を撮るに至るまでの時間。奮闘する4人の写真を通して私が触れていたのは、自分自身でもあり、無数の誰かの記憶だったともいえる。

 写真集という大きな問いの器。やがて未知の身体や記憶と交わり、この度は映画にもなろうとしている。本が伝える行方は、既に私の手を離れてあかるい。

                               (姫野希美)

写真集はこちらから

浅田家01

映画「浅田家!」
2020年10月2日(金)公開予定

原案:浅田政志『浅田家』、『アルバムのチカラ』(赤々舎刊)
監督:中野量太
キャスト:二宮和也 妻夫木聡 他
配給:東宝


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?