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【07】404PMC:銃社会日本探偵録 後編「英雄の条件:男子高校生警護依頼」01

前話

 東京都国守区。自衛隊が国防軍へ再編された折、日本は少し変革の時を迎えた。変革と言っても銃規制が緩和されたとかカジノ特区ができたとかそのくらいのことなのだが。ともかく、国の何かひとつが変わるということは、他の何かも変わらざるをえないということなのである。
 東京都の行政特区が二十三区であるなどと言えば、今どき小学生に笑われてしまう。国防軍再編とカジノ特区設立により東京都の行政特区は整理され、今では二十五区になっている。まあ、住んでいる人間からすれば税金を納める場所と小選挙区が変わったくらいのもので、それ以外はいつも通りの生活なのだった。
 俺が上京してからこっち住み続けている清瀬市はいつの間にか国守区という行政特区になっていた。国守区には国防陸軍の海外派遣部隊を編成、練兵するための国守基地があり、それに伴う再編だという。俺の住んでいるところは基地からもやや遠いから別段、どうという変化ではない。第二の地元と言っていいほどに住んではいるが、愛郷心など持ち合わせないタイプの人種なので。
 仕事が休みだったので、俺は昼からバイクを駆ってスーパーへ買い物に出かけることにした。いつもは朝早くから夜遅くまで働き詰めなので、スーパーで買い物をする、というごく当たり前のことすらなかなかできない。ここしばらくは新型感冒が流行ってそのせいで店じまいも早いことだし。
 バイクとかっこつけて言ってみたものの、俺の乗っているのは十年来の相棒であるスーパーカブ110である。緑と白の色合いがどことなく年寄り臭い気もするが、スーパーカブが変に気取っても意味がないからこれでいい。ブランドにはそのブランドらしさというものがあるのだ。スクーターでは味気ないが本格的なミッションバイクは面倒がある、という俺みたいなものぐさにはしっくりくるバイクだ。
 スーパーを目指す途中、車道を警察に囲まれながら歩く一団を見つけた。少し遠巻きにしつつ脇を通っていく。彼らは横断幕やプラカードを掲げ、拡声器で盛んに何かを叫んでいた。拡声器の質が悪いのか音がガリガリと響いて何を言っているのか聞き取れないが、横断幕に掲げられた文句から彼らの主張は理解できた。
『今こそ樺太を取り戻すべし』
『樺太は日本の固有の領土』
『ロシアの侵略主義と戦え』
「……最近多いな」
 ロシアのクリミア半島侵略が二〇一四年の出来事。それ以来、ロシアに対する脅威論は日々強くなっている。東欧連合あたりから難民――なのか移民なのか正確なところは分からないが、とにかく人が流れてきていることも影響しているだろう。
 ロシアとの樺太での戦争も秒読みだと、ある社会学者がSNSで発信して叩かれていたな。戦いたいのか戦いたくないのかどっちなのか分からない。しかし……あまり差はないのかもしれない。今すぐ戦争を始めようと始めまいと、ロシアの経済制裁の影響は日本にも届いている。……いや、さすがに日本から戦端を切ったらまずいか。日本まで経済制裁を食らいかねない。
 今の政局を握っている極右政党的にはロシアが樺太で何か問題を起こしてくれたらな、というところか。戦争はいつだって始める大義名分が難しい。まあロシアはクリミアが独立を望んでいるとか突然言い出したんだが。独立を望んでいるのにロシアの軍隊が入ってくるのは受け入れるのかとか、疑問は尽きない。
 スーパーにつく。駐輪場にカブを留め、店に入った。この辺りでは一番大きな駅前の量販店で、下は生鮮食品から上は雑貨まで一通り扱っている。こういう店が立地のいいところにあると便利で助かる。
 買い物の目的は食料だが、せっかくの休日に必要最低限の買い物だけというのは味気ない。まずエスカレーターで四階まで上がって、本屋を冷かしてみることにした。たいした広さではないが、さすがに都内だけあって最低限の品ぞろえはしている。俺の地元だとこうはいかないからな。東京に住んでいることのメリットのひとつだ。
 雑誌コーナーを眺める。ここ十年で極右論壇系の雑誌は増えた。デザインセンスもクソもない、文字だらけの表紙が特徴だからその手の雑誌はすぐ目につく。花田だか山田だか知らないが、編集責任者が自分の名前を雑誌につけるってどうなんだ。どうしてかこの手の連中、自己顕示欲強いよな。
 極右系の雑誌に興味はないのだが、俺の見たい文芸雑誌の棚に置いてあるからどうしても目につく。適当に普通の雑誌を手に取ってめくる。最近は映画館よりも動画配信サービスで独占配信をしている作品も多く、そうした事情に関連した動画配信サービスについての記事が多く書かれていた。俺は人が多いのは苦手だから映画館で見なくて済むならありがたい。だから別段、映画館で映画を上映しなくなっていることはどうでもよかった。大スクリーンでの映画体験に意味があるのは理解できるが、映画一本に二千円はなあ。半分の額で動画配信サービスひとつと契約して映画見放題だぞ。スクリーンでの映画体験を捨ててもおつりがくる。
 雑誌のページをペラペラめくると、韓国ドラマの特集が組まれているのが目に入る。韓国ドラマと言えば恋愛ものというのは過去の話。今やエンタメは韓国が席巻している。韓国発のデスゲームものは面白かったな。まさか全世界でもトップクラスの視聴数をはじき出すとは思わなかったが。
 とはいえ、まだまだ韓国ドラマは恋愛ものも根強い人気があるらしい。どうして韓国のドラマは恋愛ものが強いんだろう。単に俺の偏見だろうか。そんなことを思いながら見ていると、韓国軍を題材にしたドラマの項目が目についた。
 韓国軍の闇を描いたドラマ。軍からの脱走兵を追跡する二人組の兵士の活躍。自国のドラマで自国軍の暗部を描く手腕には脱帽……。まあ日本じゃ無理だろうな。中東派遣された国防軍のドキュメンタリー撮ろうとしたチームがテレビ局から左遷されてたし。
 このドラマは帰ったら見てみようと思いながら雑誌を戻し、次に単行本のコーナーを見る。単行本はどうしても高いから、俺は買うならもっぱら文庫本派だった。それでも単行本のコーナーを見てしまう。
「これは……」
 平積みにされた本の中に、一冊だけぽつんと置かれているのが目に入った。これは、独ソ戦で戦う少女狙撃兵を主人公にした小説だ。いかにも戦争ものらしく見えるが、推理小説系の賞を受賞していたので印象に残っている。つい最近の本屋大賞も受賞していたはずだ。かなり話題になった作品だが、昨今の情勢から「ロシアを美化している」と与党の政治家に糾弾され、それ以来重版がかからなくなった。どこの本屋でも入手できなくなってメルカリでは転売されているものだが、こんなところに置いてあるとは。
 こういう出会いがあるから本屋をめぐるのは、止められないのだ。奪い取るように本を手にして、レジに向かった。
 思わぬ買い物をしたが、許容範囲内だ。単行本一冊はそれなりに値が張るが、まったく買えないほど余裕のない生活はしていない。年金と奨学金を払わなくていいなら本を買うのに覚悟はまったくいらないんだがな。
 本の入った紙袋を手に下の階へ降りる。目的の食料調達である。都内はどんな店を開くにも狭く、このスーパーもそれは例外ではない。普通ならワンフロアに生鮮食品から日用品まで並んでいるところだが、この店は二階層に分かれている。レジは一階と地下一階どちらでも清算できるというシステムだ。初めに来たときは少し戸惑ったが、慣れればどうということでもない。
 買い物かごを手に、必要なものを入れていく。食パン、マーガリン、即席麺、インスタントの味噌汁。頭の中でざっと計算して、あっという間に総額が千円を超えた。明らかに値上がりしている。ここ数か月で全部の商品が十円くらい上がっているのか。これ以上の値上がりは勘弁してほしいところだが、これから先の情勢によってはどうなるか分からない。
 この調子だと戦争が起きたら配給制、というのも笑い話ではなくなりそうだ。
 鮮魚コーナーを通り抜ける。魚は料理するのが面倒なので、生魚は買わない。最近はレトルトパウチで質のいいものがあるから、手間もかからないし保存も利くのでそっちを買っている。一人暮らしの食事で一番厄介なのは食料を腐らせないことだったりする。
 それにしても……鮮魚コーナーの棚はスカスカだ。ロシアや東欧から魚介類が入ってこなくなった影響だろう。ロシアは経済制裁の影響もあるが、どのみち戦争している国から物資を輸入するのは難しい。鮭の値段が上がって初めて日本人はロシアと東欧の問題に関心を持った、なんて言われている。実際値上がりで済んでいるならまだいい方だ。サケフレークの瓶は三本セットで売っているのを以前はよく見たが、今は一瓶だけのものしか見ないし、それもずいぶん小さくなった気がする。
 さて、後何が必要だったかな……。スマホを開いてメモを確認しようとしたところで、LINEにメッセージが入っているのに気づいた。
「レオンからだ」
 何か用件でもあっただろうかと思ってメッセージを開く。そこには山のようにあほほど野菜炒めを丼の上に載せたラーメンの画像が張り出されており、「今日の登頂予定」と書かれていた。
 何やってんだあのバカ。仕事をしろ。
 既読スルーすることにした。返信する言葉も思いつかない。
 で、メモを確認すると牛乳を買い忘れていることに気づく。方向転換して乳製品のコーナーへ向かう。
 と、そこで。
「このクソ汚ねえロシア人が! 何の用だ!」
 目的の方向から怒号が聞こえてきた。まったく、何の騒ぎだ?
 乳製品コーナーには二人いた。ひとりは中年の男で、怒号の主らしかった。小脇にはプラカードを挟んでいるが、その内容はさっきバイクで通り過ぎた集団のものと同じであった。なるほど右寄りのお人だったか。
 そんな普通の日本人に絡まれているもうひとりは、まだ幼いおかっぱ頭の少女である。目鼻がくっきりとした顔立ちで、髪色こそ黒いがすぐに日本人でないことは分かる。じゃあ怒号の指摘の通り彼女がロシア人なのかと言われると判別がつかない。それに彼女がロシア人かどうかは、この状況においてはさしたる意味があるとも思えなかった。
 中年男性、少女に絡むの図である。男の方が酔っぱらいでも度し難い状況だが、どうやら素面らしい。むしろ面倒かもしれない。
 買い物客たちは遠巻きに様子を見ている。俺もそうしたいのは山々だが、非正規雇用とはいえ就いている職によって負わされている責任を考えると、無視もできないだろう。しかし、俺自身が仲裁に入ると話がややこしくなりかねないし……ここは従業員を呼んで対応してもらうのがいい……。
 そう思ってさっとあたりを見回していると、絡んでいる中年男の肩を叩いた者がいた。
「ああっ!? なんだおま、え……」
 中年男の勢いはみるみると萎んでいく。そりゃそうだろう。なにせ彼の肩を叩いたのは、背の丈二メートル近い大男なのだから。頭にかぶった灰色の毛糸の帽子はチャーミングだが、丸いサングラスが堅気らしさを吹き飛ばしている。どこかのマフィアのひとりですと紹介されれば「でしょうね」と相槌を打つ風貌だ。
「……ちっ」
 怒鳴っていた中年男は気勢を削がれ、そのまま居心地悪そうに去っていった。ふむ……銃が飛び出す騒ぎにならなくてよかった。
 大男は少女の手をつなぐと、そのまま歩いていった。ひょっとしたら親子なのかもしれない。遠巻きに見ていた客たちも自分の買い物に戻っていく。騒動は通り雨のように過ぎていったようだ。
 それならそれでよし。俺は牛乳を買い物カゴに入れ、レジに向かった。
 それが東京での、ある日の出来事だった。

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