AIイラストは「生命への侮辱」?:創作のための時事勉強会11
※注意
本記事は時事的問題について、後で振り返るためにメディアの取材や周囲の反応を備忘録的にまとめたものです。その性質上、まとめた記事に誤情報や不鮮明な記述が散見される場合があります。閲覧の際にはその点をご留意ください。
概要
発端
AI利用とハリウッド
個人見解
魂の表現
芸術や表現という行為はそれ自体が趣味性の強いものだと言える。冷凍食品に「温かみがない」と言うのはばかげているような感じがするが、趣味性の強い芸術鑑賞において「AIによらない人の手による作品を見たい」と思うことは普通の感情である。
というか冷凍食品を忌避することに関しても、食事の趣味性を考えればそれ自体は不自然ではないのだが。この場合問題なのは自分で食事を用意するでもなくその他家事をするでもないくせに手間のかかる調理法だけを「認める」ような態度である。
つまるところ今回ハリウッドで起きたストライキに関するAI関連の話題のひとつは、資本家が労働をすることなく利益を享受する一方で、AIの多作性と速度を称揚しそれと対等な勝負を人力に求めていることにも由来するだろう。まさに何もしないくせに冷凍食品に毒づく関白夫が資本家の位置という感じ。
生命に対する侮辱
デル・トロ氏が引用した宮崎駿の発言は、ドワンゴ川上がAIに人間が想像できない動きを学習させることで気持ち悪い動作を再現させようとしたことに対する発言だったようだ。
より詳細な当時の指摘は以下に書かれていた。
当時の状況や背景を正確に追うのは難しいのであくまで私見だが、川上の行為でおそらく大きな問題を孕んだのは、人工知能を通してこの奇怪な描写を行ったことではないかと思う。
川上はこの奇怪な描写に対して自身の思索や創造に対する責任を負いづらいようになっている。それこそ人工知能を通したからだ。人工知能が学習した内容によって出力したものだから、そこに自身の責任は発生しない。だから「あの...これってほとんど実験なので、世の中に見せてどうこうというものじゃないんです」という釈明にならない釈明が出てくるのだろう。
宮崎駿が知人の障碍者男性を連想し引き合いに出したことこそ差別だと指摘する向きもあるようだが、これは裏返せば、この表現を出した場合、どういう連想から誰を傷つけることになるかという思慮が行き届いたということである。
また川上に対する宮崎駿の認識として以下のような指摘がある。
「歯止めを持ってない」という指摘は非常に重要だと私は考えている。現にAIによる創作の問題は著作権や乱造もあるが、ディープフェイクの問題もあり、いずれも法整備が追い付いていない中で社会的な問題を解決する要素とは倫理や論理による「歯止め」に他ならないからだ。
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