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TABIPPOを卒業しました!

お久しぶりです。アカネです。

題の通り、2022年をもってTABIPPOのインターン生を卒業しました!

まだいたのか、って思う方もいるかもしれませんが(笑)本当に長らくお世話になりました。最初にTABIPPOに関わったのは2018年5月、私が大学1年生になってすぐ。前年度に福岡で活動していた従姉の影響で知った学生支部の説明会へ行ったことが始まりでした(会場はスマイルアース、懐かしい)。あれから4年半、とても長い時間が経ったことを改めて感じます。

4年半、数えきれない、書ききれない程の思い出を作ることができました。仲間たちと海外に行ったり、イベントを作ることに夢中になったり。コロナ禍でイベントの開催が危うくなったり、自由な旅が制限されてやりたいことができなくなったり。地方の自治体の方や旅行会社の方、観光庁の方など、さまざまな形で観光に携わる人とお話しをすることも多く、観光業界の想いに胸を打たれたこともありました。全てが大切な思い出です。

関わりはじめた頃はまだ未成年でした。富山という地方の、選択肢の少ない環境下で過ごしていた私はとても狭い視野と価値観で、世界に対してとてつもない不安やモヤモヤする気持ちを抱えながら生きていました。でも何故か当時から「本当の豊かさってなんだっけ」「将来幸せに生きるために今本当に学ぶことってなんだろう」と何度も考えていた気がします。

今回は私が旅にこだわった理由を自分なりに考えつつ、つらつらと書いた文章になっています。フォトライブラリも挟みながらなので少し長くなり読みにくいところもありますが、もしよかったら飛ばし飛ばしでも、最後までお付き合いください。

※年末ですし、久しぶりの方もお馴染みの方も、このnoteの感想や最近の報告など…この機会にたくさんメッセージいただけると嬉しいです!では!


TABIPPOの思い出①学生支部時代

間違いなく自分の世界が広がると思って入った学生支部。活動時間以外でも遊んでくれる先輩が多くて、東京から北海道までドライブしたり、タイのコムローイに行ったり。どんどん広がる世界と、開放的で楽しい旅にのめり込んでいく自分がいました。

でも活動に関しては、1年目は全然ダメダメでした。学生支部は1年の最後にイベントを作るのですが、最後まで主体的には動けずじまいでやっぱりなんとなく悔しさが残ったというのが本音です。

当時1年生ながら、ひとつのチームのリーダーを任されて、でも自分が気にしていたのは肩書きや年齢。今となっては本当にしょうもないなと思うのですが、自分って元々めちゃめちゃ頑固で、プライドが高くて、完璧主義で「自分にできること」と「自分にできないこと」を頭の中で区切ってしまっていたんです。それを、全力でぶつかってぶち壊してくれた仲間たち。この1年があったおかげで過去の自分を受け入れることができて、仲間を頼ることを覚えて、本当に生きやすくなった気がします。

悔しさをそのままにしておけず、学生支部2年目へ。そんな2年目でなんとなく意識していたのは「想像を超えていくこと」。もっと楽しいことを。もっとワクワクすることを自分で作るんだ。なんて意識でいたらまさかの名古屋と東京の2拠点生活が始まりました。というのも東京に住みながら名古屋の副代表も務めるっていう…今考えたらなんでそんなことしたんだろうって思うくらいの突飛なことではあるけれど、やっぱり良い経験でした。

たくさんの人に迷惑をかけながら、全国ないし2支部の成功のために時間とお金をかけて1年間悔いが残らないように奔走した、その夢中になった経験こそが自分の人生の宝物なのかもなって今は考えたりします。お金も余裕もなかったけれど、その結果見れた満席の会場と、立ち見の人でいっぱいになった会場ロビー。このイベントを自分たちが作り上げたと思ったら想像以上に感動してしまって、涙が止まりませんでした。

終演後に舞台袖から「イベント良かったねー!」と話している会場内の来場者たちを見て、ああこの感動空間を作るために自分たちは頑張ってたんだなって、自分の仲間を誇りに思ったことが忘れられません。

そんな感じで、1年目よりも2年目が楽しかったのはやっぱり楽しいことをどんどん生み出していくために自発的に動いていたからかもしれません。学生80人でハワイに行って合宿することを企画したり、全然知らない土地・名古屋で日々を過ごしたり、外部の人と一緒にゼロからイベントを作ったり。元々の知り合いに「あかね楽しそうだね!」って声をかけられるようになったのもこの頃からでしたし、自分に限界を作らない思考ができるようになったのもここら辺からです。それと、2年目は大好きでお世話になった社員さんから社員賞ももらえて嬉しかったです。

学生支部時代はただただ旅をして、一生大切にしたい仲間がたくさんできて、本当にワクワクの毎日で、めちゃくちゃ楽しかった!の感想に尽きます。学んだことはこちらのnoteをご覧ください。もう2年前か。


フォトライブラリ

1年目・初めての合宿。
先輩たちに囲まれて楽しそうなわたし(懐かし)
北海道から東京へドライブの途中のひとコマ(懐かし)
各々が何かと異彩放ってて改めておもしろい画
当時旅にハマるキッカケだった2018年コムローイ。
出会って初日のRに誘われて即決。フッ軽最高
2年目・今度は慕われる立場として。
その自覚は正直途中からやっとこさって感じだったけど。
学生80人でハワイ合宿。
企画大変だったけどやっぱり楽しかった思い出No.1はこれだな〜
国内旅もたくさんして無事47都道府県を制覇しました。
これは香川県父母ヶ浜でのひとコマ
1年の活動を締めくくるイベント。苦悩はやっぱり自分の糧になったな

TABIPPOの思い出②メディアインターン時代

人生が動くきっかけは突然に。アラシ(TABIPPO社員)とこうたろう(学生支部の友達)と熱海へ遊びに行ったとき、メディアのインターンを募集していることを知りました。「とりあえず応募してみれば?」「一旦ね!そうする〜」みたいな、とても気軽な感じで応募した気がします。

ものすごい倍率だったと聞きましたが、そうして始まったメディアインターン。社内のもっと大きなリソースを利用して、そして何より大好きなメディアっていう媒体で若者に旅を広められる!とワクワクしていましたが、この時期からコロナウイルスが本格化し始めて、なんとなく社内もあたふたしていたのを覚えています。海外取材も行けるかも?なんて期待すら抱いていたけれど、海外への旅はしばらく行けなさそうだし、旅を広める会社の方針もちょっと変わりそう。そんな話を上司としていて、そっかあ、となんとなくやるせない気持ちになっていました。

そして月日の経過とともに国内への移動が少しずつ復活していく中で、いよいよ「TABIPPO編集部インターン」としてさまざまな自治体や観光協会などが関わる案件に携わることが増えていきました。わたしの地元・富山県にもTABIPPOの名前で携わる機会もあり、なんだか誇らしく感じていました。

中でも忘れられないことがあります。宮古島観光協会さんの取材のために、社員さんと宮古島旅行へ行ったときのこと。それは私にとって コロナ禍に入って以来初の遠出旅だったのですが、これまで当たり前のように存在した"旅"が世界から消えてなくなってしまったと思ってしまったくらいには人がいなくて、お店が閉まってしまっていて。

島の観光復興について「苦しいけど、やるしかないんです。ここからまた頑張りどきですねえ、一緒に頑張りましょう。」そう話してくれた観光協会の方々の想いは本当に痛いくらいに真っ直ぐで、自分がいつも満足に旅や観光をできているのは人の想いがあってこそなんだと気付かされました。私、人の想いや感情に生かされてるんだな。

そしてそれは、微々たる力ながら旅に関わる自分の使命ってなんだろうと考えさせられた言葉でした。色々と考えた結果、私の元々のインターンとしての使命は、私と同世代くらいの若い人に旅に興味を持ってもらうこと。それすなわち、広い世界を知ってもらい、価値観を広げて、自分の好きな場所やもの・人を増やしてもらうことだという、学生支部からの原点に立ち返ることになりました。いつしか旅が自分の心の拠り所になったり、自分の故郷に想いを馳せる瞬間に繋がったり。私は、旅を広めることこそが、自分達が暮らすこの世界をより良くしようと思う人を増やせる手段だと思ったんです。

「旅で世界を、もっと素敵に。」というのがTABIPPOの理念ではありますが、きっと私はTABIPPOで、今よりもっと素敵で、感情豊かに生きられる世界を作りたかったんです。時折どこかやるせなくなってしまうこの社会を、ついうつむいて歩いてしまうこの街を、誰もの人生を、"旅"で彩れたらって。私が旅を通して彩りをもらえたように、旅をきっかけに世界って本当に変わるんじゃないかって、思ったんです。

そんな気持ちで、社内での2年間を走り抜きました。もっとあんなことしてたら、こんなふうに動けてたら。ウダウダと考えてしまう気持ちは止まりませんが、思い返せば思い返すだけ、本当に良い2年間だったと思うことができます。

フォトライブラリ+関連記事紹介

温かいTABIPPO社内の新年会でのひとコマ。2022年かな
今ではお馴染みになった乗鞍。
思いっきりリトリートを感じた取材でした

*このときの記事


当時学生支部時代の友達の繋がりで栃木県・下野市の取材へ
地域の人に寄り添う素敵な自治体の想いを感じることができました

*このときの記事


富山県と一緒に、富山の観光を考えたときの写真。
ローカルプレイヤーの存在の大きさや
地元に想いを馳せる大切さを感じていました

▼このときの記事


茨城県笠間市と栃木県益子町の「かさましこ」地域の取材旅行
日本にはまだまだ面白いところがたくさんあるって実感した

▼このときの記事


▼その他案件などで関わった記事


最後の最後にハワイのモニターツアーへ
ハワイがどんどん大切な場所になっていく。。

▼ハワイのモニターツアーに関連する記事はこちら


私にとっての「旅」と、私が旅を広めたかったもう1つの理由

さて、ここで少し自分の過去の話をするのですが、中学生の頃までの私は”良い子になろうとしていた子”だったな、と思います。

褒められるために、認められるために、怒られないために。そしてそのための良い点数、良い成績、良い振る舞い。でもこれを続けていると、自分の人生に納得感を伴うことや、自己決定の方法をだんだんと忘れていったうえに「人生しんどいかも、」なんて思うようになっていました。普段は明るく振る舞いながらもなんとなく心の中は鬱状態で、ただ日々を消費していた気がします。

そしてより勉強に追い込まれた高校時代。県内一番の進学校に進学して、日々の勉強についていくことで必死でした。本当は大好きな音楽をやりたくて、でも勉強のために我慢しなくちゃ。自分の本当の気持ちに蓋をして、別に好きでもない”やるべきこと”に向き合い続ける、しんどくて目眩がするような毎日。

より良い大学に進学することこそが正義とされる文化の中で、より良いキャリアを目指す同級生たちと キャリアよりも”幸せ”や”自由な働き方”を望んでいた自分はなんとなく考え方が違うんだろうなと思いながら、学校という集団から逸脱する勇気はもちろんなくて。生まれ育ったのが田舎で、あまり仕事や人生を楽しんでいる大人に会う機会も少なかったこともあり、疲れきった顔の社会人を想像しながら受験のための勉強をしていたように思います。

そんな日々の中、高校生の海外研修のメンバーに選んでもらう機会がありました。その1ヶ月弱の米国生活で感じたのは勉学の自由さ、そして「世界って今自分が見ているものよりもっと自由なんじゃないか」という気持ち。そこから「机上の勉強以上に大切な学びは絶対にある」という考えが自分の中に確立されて、その思いが少しずつ自分を突き動かしていくようになりました(今でもこの気持ちは自分の根本になっています)。

そうして大学生になり上京してTABIPPOに出会った私は上述の通り、旅人界隈に出会い、やっと世界の自由さの一端を実感しました。

旅人の自由な価値観や、軽やかな生き方、すこし無茶な未来への決断力。それらの強さは当時の自分にはなくて、でもそういえば自分はずっと、その強さが欲しかった。他人を気にせず自分で未来を選ぶ、自分がワクワクする方向だけを見て未来を描く強さが。旅は今の場所から”逃げる”ことで、それは弱さだって、わたしが旅界隈にいる事をそんな風に言っていた人もいたようでした。でも弱さって誰もが持てるものじゃない。わたしにとってはその弱さこそが”強さ”で、自分の足でこの広い地球を何にも囚われる事なく進む旅人界隈の友人・先輩たちの生き方が、上京当時の自分には本当にかっこよく感じたんです。

そして今。過去憧れたカッコいい人たちにすこし近付けた自分は過去の何倍も心が強くて、生きることが楽しくて。世界ってこんなに素敵だったんだって、自由で広くてなんでもできるんだって、感じることができています。

きっと私はTABIPPOで、今よりもっと素敵で、感情豊かに生きられる世界を作りたかったんです。時折どこかやるせなくなってしまうこの社会を、ついうつむいて歩いてしまうこの街を、誰もの人生を、"旅"で彩れたらって。私が旅を通して彩りをもらえたように、旅をきっかけに世界って本当に変わるんじゃないかって、思ったんです。

偉そうに上ではこんなことを書きましたが、私がずっと旅を広めていたのは、自分のような「元・ただの女の子」がこんなにワクワクした感覚になれる”旅”っていうものを同年代のみんなに知ってほしかったから、ただそれだけだったのかもしれません。旅のイベントを開催するときも、記事を書くときも、わたしは自然と高校時代のことを頭の中に思い浮かべていた気がします。過去の自分へ、同級生へ。世界って広いんだよ、もっと自由に生きてもだいじょうぶだよ。あまりにも幼稚な、ひとすじの想い。でもシンプルで、気付けば自分の中の軸になっていました。

わたしにとって旅は一生の中でのかけがえのない経験で、自分の自由の象徴でもあります。別に「旅をしながら働くノマドワーカー」になりたいわけではないけれど、旅しながらでも仕事頑張っちゃお〜みたいな発想の自由さが許される、心がリラックスした状態で居られる環境に身を置けるようになりたい。そして自分だけじゃなくて、それが当たり前の社会になれば。日本の社会人になることが楽しみだと、大人になりたいと思う子供たちが増えてくれたらと、そんな気持ちもあったりしました。

高校時代のわたし
楽しそうな笑顔に安心するけど、葛藤もあったなと思う
とくに仲が良い、同じ98年代の旅界隈のともだち。キャリアの話をすることもあって、それぞれ学校・学部・夢・職業・バックグラウンドが全部違うから価値観は多様で面白い。みんなのおかげで自分は自分の人生を頑張ろって思えてる気すらする

今後の話とかまとめとか

TABIPPOが好きです。TABIPPOの理念や想いだけでなく、集まる人たちの人柄や、TABIPPOがつくり出すものも。だからこそ、今回卒業にあたって「TABIPPO編集部の」という肩書きがなくなることが私にとっての1番のワクワクであるはずが、正直1番の怖さでした。このnoteを書いていて改めて良い会社にお世話になったなと思いましたし、こんなことってなかなかないと思います。本当に素敵な会社です。

でも逆に、良い意味で、囚われていたかもしれません。正直1年前くらいからこの環境や肩書きが自分のコンフォートゾーンに入ってしまっているな、みたいな感覚はあったのですが、この居心地の良さに慣れて甘えてしまっていた気がします。もっとクリエイティブに。もっと枠に囚われない、自由な自分に。これからは肩書きがないからこそできる、等身大の自分の発信に挑戦したいな!と今は思っています。

最後のSlack

そして来春からはついに就職することになりました!就活アンチだった宇於崎も結局か〜なんて言われそうですが、簡単にいうと「自分は一旦このままじゃだめだ」と無力さを痛感した出来事があったことと、自分に成長の余地がまだまだあると思えた出来事があったことが主な理由です。しばらく旅はおやすみかもしれませんが、ここからは頑張る時間。未来の自分のためにも力をモリモリつけられたらなと思っております。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。TABIPPOを通して出会えた全ての方、経験できたことに対して本当に感謝でいっぱいです!

とりあえず、TABIPPOを卒業してもわたしはわたしです!これからも身軽に自由に旅をして、はたらいて、世の中が面白くなるワクワクをもっと生み出していけたらな!と思っています。一緒に面白いことしましょう(お仕事もお待ちしております)。

というわけでみなさま、今後ともよろしくお願いします!

学生最後の旅はカタールW杯&憧れのヨーロッパへ。某禍を耐えたことを実感したからか、もしくは自分が大人に近づいているからか、なんだかこの旅は一層感慨深かったんだよな
用事でギリギリ写りそびれたのが悔やまれる
社内忘年会の集合写真。愛です!

ありがとうございます。励みになります。