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辛さとの対話

ヒルクライムやレース、トレーニングの終盤に感じるあの辛さ。

今のパワーでいけるのか、下げるべきか - 

持久系競技は疲労感と向き合い続け、その辛さにどう折り合いをつけられるかがパフォーマンスを決める一つの要因です。

様々な論文を俯瞰する限りパフォーマンスがメンタルによって頭打ちになっていることに疑いはなく、生理学などフィジカルな面と並行してメンタルな側面について知ることは大変有用です。

今回の記事では持久系競技特有の「辛さ」について理解を深め、辛さとどう向き合い、対処していけるのかをご紹介していきます。

是非、最後まで読み進めてみてください。

今回の記事は文体を再び「です、ます」調に戻しています。最近の「である」調の記事を中心にお読みくださっている方は少し違和感があるかもしれませんが、ご容赦ください。



脚の辛さ

ある辛さを超えると、もうこれ以上はもたない。パワーを落とすしかない。。そう感じる脚の辛さ、きっと皆さんにもあるはずです。

まずはこの「脚の辛さ」について興味深い結果を発表している研究チームの論文をご紹介していきましょう。

その研究では5kmタイムトライアルを疲労状態の異なった3つの条件で実施しています。

  • W-up後にスタート(結果:平均7分18秒)

  • FTP強度で10分漕いでから4分後にスタート(結果:平均7分30秒)

  • VO2max強度で10分漕いでから4分後にスタート(結果:平均7分48秒)

参考1 スタート時の出力は統一されている

結果はもちろんW-up後にスタートする条件が最も良い結果となっていますが、注目すべき点はどの条件のトライ後においても筋電図によって評価された生理学的な筋の労度合いが同じであったという結果です。(下図)

参考1

3つの条件間ではスタート前の筋の疲労状態が異なっている(上図の左側のグラフ)にも関わらず、ゴール後の筋疲労の度合い(上図の右側のグラフ)は同程度でした。つまり、選手たちは何らかの感覚情報を元に筋の疲労リミットを超えないようにペーシングしていると考えられます。

この結果を受け、続けて行われた研究では筋の痛みや辛さの感覚を抑制した場合にどのような結果になるのかを同様の5kmタイムトライアルにて検証が行われました。条件は以下の3つ。

  • 筋の辛さ、痛みなどの感覚を抑制(フェンタニル投与)

  • プラセボ(生理食塩水)

  • 通常の条件

その結果、フェンタニル(鎮痛)条件ではスタート直後からかなり高いパワーが発揮されていますが、後半失速しています。(下図)

参考2

後半、フェンタニル(鎮痛)条件では失速していますが、これは筋肉自体の疲労に起因するものです。脳から筋肉へ向けて送られる「収縮しろ!」というシグナルの強さは同じくらい、つまり本人の努力感は同等ですが、筋肉自体が疲労していて弱いパワー発揮に留まっています。

いくら筋の辛さや痛みが抑制されているとはいえ、筋肉自体の能力以上の出力は発揮できません。鎮痛作用によって過剰なペース配分となってしまっています。

タイムトライアル終了後に10m先の休憩所まで歩く課題では、フェンタニル(鎮痛)条件において多くの選手が一人では歩くことすらままならないほど脚が疲労していたようです。(他の条件では歩けている)。

ゴール後の筋疲労度合いの測定からも、フェンタニル条件では強い筋疲労が伺えます。(下図)

参考2

以上2つの研究から、次のようなことが伺えます。

  • 人それぞれに筋の生理学的な疲労リミットの設定値があり、筋の痛みや辛さなどの感覚を頼りにその疲労リミットを超えないようペーシングが行われている

  • 筋の辛さや痛みの感覚が麻痺すると筋がどれくらい疲労しているかがモニタリングできなくなる

  • 筋の疲労リミットの設定値には、まだ余力がある

  • 以上から、筋の生理学的な限界はメンタルの限界の先にあり、辛さの限界値(メンタル)はパフォーマンスを規定する

ドーピング薬として多くの鎮痛剤が指定されているのも辛さや痛みの緩和によってメンタルバリアが外れ、パフォーマンスが高まることがあるためで、過去のプロロードレースでは痛み止めを終盤に摂取することが常態化されていたほど。(参考3)

ドーピングは論外としても、筋疲労の上限にはまだ余力があって、メンタルバリアを越えられればパフォーマンスが改善するかもしれないという事実は興味深いところです。

具体的な改善方法は後ほど考えていくとして、もう少しパフォーマンスと疲労感についての論文をご紹介していきましょう。



疲労困憊は、本当に疲労困憊か?

FTP強度(1時間維持できる最大のパワー)で巡行している状況をイメージしてみてください。ちょうど1時間が経過し、もう疲労感も限界です。

このとき、メンタル的な「疲労感」は限界を迎えています。では、筋肉や肺、心臓などの各組織の生理学的な機能は限界を迎えているのでしょうか?

このことを調査した研究では、FTP強度に相当するパワーで巡行し疲労困憊で脚を止めた時点でも、血中乳酸濃度や心拍数、体温や酸素摂取量などあらゆる生理学的なパラメータは限界を迎えている訳ではないことが示されています。(参考4)

この結果からは筋の疲労リミットと同様に体の各組織についてもリミットが設定されていることが伺えます。

息苦しさや心拍など主観的に捉えられるものもあれば、深部体温のように主観では感知できない無意識なものもあり、それらの情報が統合されて最終的に「辛さ」が表象され脚を止めるに至ります。


続いての研究ではVO2max強度で脚が止まるまで漕いでもらい、そのすぐ後に全力で5秒間漕いでもらう検証を行った論文があります。

その論文では全力5秒間のトライで発揮された出力度合に応じて報酬がもらえるという設定で、被験者がどれくらい出力できるのかを検証。その結果、疲労困憊で脚を止めた後にも関わらず、全ての選手が巡行時出力の2倍以上ものパワーを発揮できていました。

参考5

(以下の記事でこの論文をご紹介しています。)

以上これらの研究からも、辛いと感じている状況でも体は生理学的な限界には達しておらず、メンタルバリアを越えられればその先に進めることが伺えます。

言い換えればパフォーマンスアップにとってメンタルの問題は避けて通れないとも言えます。

では、現在のメンタルの限界値を越えることは簡単なことなのでしょうか?

私にはどうもそのようには思えません。

というのも、「体は限界を迎えていない、まだ追い込める」と理性で納得するのは簡単です。しかし脳の高次の調節がなされた結果であるメンタルバリアは、理性に「限界」を強く訴えかけてきます。

理性が課長だとしたらメンタルバリアは社長であり、上司の命令が最優先されるイメージでしょうか。課長が異を唱えたところで、社長が納得しなければ方針を変えることはできません。

しかし、対話によってその方針を少しづつでも改善することは可能かもしれない、とも考えられます。

以下、そのような方法をいくつかご紹介していきましょう。



メンタルバリアとの対話

これからご紹介する内容はこれまで読んできた心理学や脳科学に関する論文、書籍の内容が元になっています。

現在のメンタルバリアを理解して、少しでもその先に進んでいくための方策を3つの視点からご紹介してみます。


深く向き合う - 感覚の粒度

脳、認知科学の書籍では感覚それ自身に深く向き合うことで心理的な課題をクリアできることが紹介されています。(参考6)

たとえば不快な感情について、それをきめ細かく識別する能力を持つ人(たとえば20種類の「ひどい気分」を識別できる人)はストレスのマネジメントに優れ、社会生活において正しい行動を選択する可能性が高いと報告されています。

ここでのポイントは、関心のある感情や感覚をきめ細やかにラベリングできることで行動が改善されうるということです。

運動中の感覚に置き換えれば、出力パワーを弱めてしまいそうな「辛い」状況で感じている感覚をきめ細やかにラベリングすることがそれにあたります。

例えば主観的運動強度(RPE, 0:easy - 10:super hard)を使って、脚を止めてしまった状況を振り返ってみましょう。

脚の辛さ、呼吸の辛さ、心拍の辛さ、全体的な辛さ、など様々な感覚を数値に置き換えてみます。

そのような作業を繰り返し実施していくと、ご自身が脚を止めたくなる状況に共通点が浮かびあがってくるはずです。その共通の要因を、更にきめ細やかに評価します。

私の場合、脚の辛さが圧倒的に脚を止める原因として共通しています。そこで私は脚を止めてしまう辛さの感覚に「脚の辛さRPE9」とラベリングしました。

この感覚は、ランプテスト(FTP推定のテスト)やVO2max系のトレーニングを行うと高頻度で訪れます。そこで週に一度VO2maxトレーニングを行う中で「脚の辛さRPE9」の感覚が訪れてから、そこから持ち堪えられる時間を10秒づつ増やすことを1ヶ月(つまり4回)行ってみました。

そうすると、明らかに辛さリミットの高まりを感じることができました。

実施する以前まではRPE9になったら、もうそれ以上は踏み続けられないと感じてパワーが弱まっていましたが、そこからあと10秒だけ、20秒だけと何とか踏み込むことで意外と持ち堪えられることが分かってきます。

そして今では「RPE9の向こう側」というラベリングが可能となり、更なるチャレンジに挑んでいます(なかなかうまくはいきませんが)。

まとめると、「辛さ」をより細やかに評価、ラベリングし深く向き合うことで、突破口が見つけられる場合があるということです。

特定の感情や感覚を標識し、そこから先の地点を目指すことで新天地を開拓していきましょう。


注意をそらす- 様々なテクニック

先程とは真逆の方法として、「辛さ」から注意を逸らすことも心理学的なテクニックとして用いられています。たとえば、

  • 運動感覚に注意を向ける

  • セルフトークで鼓舞する

  • 他のことに注意を向ける

などがあります。

具体的な内容は以前にご紹介していますので、そちらのリンクを張っておきます。

<運動感覚に注意を向ける>

<セルフトークで鼓舞する>

<他のことに注意を向ける>


心のモジュール性を理解する

心理学の分野では、今まさに意識しているものは数ある候補の中で優勢になったものであると考える「心のモジュール」という理論があります。(参考7)

それによれば、無意識の領域では様々な種類の思考や感情などにまつわる情報処理が同時並行に進んでおり、意識に上がってくるものはその一部にすぎないことが脳の研究によって明らかになっています。

その一例として、視覚の意識についてのトロクスター効果というものがあります。下の図の+印に焦点を合わせ続けてみてください。

しばらくすると周りの薄い円が消えたり、どこかのタイミングでまた見えたりすると思います。周りの円に強く注意を払うと円は意識に留まりやすいですが、真ん中の+印に集中するほど円は意識の外に消えてしまいます。

脳が視覚情報を処理し、その瞬間瞬間で優勢な判断が知覚として意識される、このような現象をトロクスター効果と言います。

この現象のように感覚や思考も様々なものが同時進行で処理されており、意識は強調された一部のみを捉えていると考えられます。

たとえば皆さんはハードなトレーニング中、色んな心の声が聞こえてくることってありますか?私はしょっちゅうあります。

「脚辛いな、、そろそろ止めどきか。。」
「今日は疲れてるから、無理しなくてもいいんじゃない?」
「この強度をクリアできれば自信になる。あと少し頑張ろう」
「今日のペダリング、何か変じゃないか?」

などなど、瞬間瞬間で色々な心の声に耳を傾けている自分がいます。ネガティブな声もあればポジティブな声もありますが、心のモジュールという考え方ではこれらの聞こえてきた声は、多くの心の声の中の強調された一部にすぎないと考えます。

刻々と思考が移り変わっているように感じられるのは、その時々で強調される声が違うため。頑張れる日はポジティブな声を意識に留められる時間が長く、ダメな日はネガティブな声に圧倒され脚が止まります。

しかしどんな日にしろポジティブ、ネガティブな声どちらも心の中には確かにある。

そう理解することで、辛さへの対応は大きく変わります。

またネガティブな声に圧倒されないようにする訓練の一つとして瞑想が挙げられます。

私は瞑想について、書籍から学んだのみなので多くのことは分かりません。しかし心の成り立ちを学び瞑想的な訓練を行ってみることで、脚が辛い状況で浮かぶネガティブな心の声に折り合いをつけられることが増えました。

めっちゃ声の大きい観客やなと。

持久的な競技にどう応用していくかは皆さん次第ですが、瞑想などの方法論も役に立つのではないかなと感じています。

参考にした書籍を載せておきます。



おわりに

以上、辛さの感覚がどのようなもので、どう向き合っていくと良さそうなのかを解説してみました。

記事の中盤でもお伝えしたように、メンタルバリアはそう簡単に修正できるものではありません。過去のプロロードレースで蔓延していたドーピング問題は、プロでさえ越えられないメンタルの壁があることを物語っています。

一方でメンタルな側面と向き合うことは、ご自身について深く知る良い機会だとも捉えられます。持久系特有の辛さという感情や感覚に対処できる術を持ち合わせていることは、他の様々な実生活においてもきっと役に立つはず。

そして最後に一点、今回の記事が他人の努力を低く見積もるような方向に影響しないことを切に願っています。

他人に対して「自分に甘い」、「追い込みが足りない」と言うのは簡単です。しかし、本人がどれだけ自分自身をプッシュできているのかは本人でさえ正確には測れないことを今回の記事ではお伝えしたつもりです。

そのような言葉がけではなく、いかに目の前の壁を越えうるか?についての指南や対話が、指導やコーチングといわれるものかと思います。

この記事が皆さんの豊かなスポーツライフに役立ててもらえると幸いです。

今回も最後までお読みくださりありがとうございました。

また読みに来てください。


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参考文献

  1. Amann, M.(2008). Locomotor muscle fatigue modifies central motor drive in healthy humans and imposes a limitation to exercise performance. Journal of Physiology, 586(1), 161–173.

  2. Amann, M. (2009). Opioid-mediated muscle afferents inhibit central motor drive and limit peripheral muscle fatigue development in humans. Journal of Physiology, 587(1), 271–283.

  3. シークレット・レース. タイラー・ハミルトン. 小学館文庫

  4. Baron, B. (2008). Why does exercise terminate at the maximal lactate steady state intensity? British Journal of Sports Medicine, 42(10), 528–533.

  5. Marcora, S. (2010). The limit to exercise tolerance in humans: Mind over muscle? European Journal of Applied Physiology, 109(4), 763–770.

  6. 情動はこうしてつくられる. リサ・フェルドマン・バレット. 紀伊国屋書店

  7. なぜ今、仏教なのか. ロバート・ライト. 早川書房

  8. 意識と脳 - 思考はいかにコード化されるか. スタニスラス・ドゥアンヌ. 紀伊国屋書店


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