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「察してほしい」は人生を不幸にする

こんにちは!

今回は、大人になっても「察してほしい」という振る舞いをし続けることは人生を不幸にするというお話をします。

言葉にしなくても「大丈夫?」と心配してもらえたり、「何か手伝おうか?」とサポートしてもらえる状況は、とてもラクです。

しかし、この状況に甘えていると短期的にも長期的にもおおきなデメリットがあり、あとでおおきなしっぺ返しをくらう可能性を潜んでいるのです。

「察してほしい」は怠惰の証(あかし)

「察してほしい」という振る舞いをすることは、怠惰の証(あかし)です。

本来、自分の考えや感情を整理し、それを言葉にして相手に適切に伝えることは大人のマナーです。義務や仕事だともいえます。「察してほしい」という振る舞いは、この義務や仕事を「サボる」行為であり、「怠惰」な行為に該当するのです。

察してもらおうとすることは、本当は自分がやるべきことを周囲にいる他人に押し付けている行為なのです。

「察してほしい」の代償(短期編)

「察してもらう」をくり返すと、だんだんとコミュニケーションが下手になります。

なぜなら察してもらうことで自分がやるべき「言語化」や「伝える」という努力を省けるからです。これはコミュニケーションスキルの重要な要素であり、この肝心のスキルが鈍ることでコミュニケーションが下手になるのです。

こちらが何も言わなくても察してもらえる状況はとてもラクなので一見「得」をしているように思えるかもしれません。しかし実はそれをくり返すことでコミュニケーションスキルが低下するというおおきな「損」をしてしまっているのです。

これは「察してもらう」ことの短期的な視点でのデメリットです。

「察してほしい」の代償(短期編)

「察してもらう」には、長期的な視点でのデメリットもあります。

それは周囲から人が離れていくことです。

「察してもらう」ということは、相手にコミュニケーションコストをはらってもらっていることを意味します。ここで言うコストとは、感情や主張を言語化する手間のコストだったり、適切なタイミングや状況で話をする時間コストです。「察してもらう」は、本来は自分が手間や時間をかけるべきことを、相手に代わりにやってもらっているということなのです。

「察してもらう」ことでコミュニケーションコストを相手にはらってもらっていることをくり返していれば、あなたに接する人はだんだんと疲れてきます。その結果、あなたのまわりから人が離れていってしまうのです。

「察してもらう」ことでラクをすることは、おおきな代償を払うことにつながってしまうのです。

さいごに

「察してほしい」という振る舞いは、短期的にも長期的にも代償を伴います。

「察してほしい」という行為は周囲への「甘え」であり、本来自分がやるべきことを「サボる」という「怠惰」な行為です。そして己の怠惰により周囲にコミュニケーションコストを払わせるという迷惑行為を繰り返す人のまわりからは、だんだんと人は離れていきます。

その結果、人生の満足度や幸福度は低下します。よい人間関係を保つことは、社会的な幸福をもららしますが、「察してもらう」をくり返し周囲から人がいなくなれば、その幸福を得ることができなくなるからです。

人生を楽しく心地よいものにしていくという観点において、「察してもらう」という行為は悪手なのです。

人生をウェルビーイングにしていきたいなら、サボらず、怠けず、自分の気持ちや主張は言語化していくことが大切です。

相手に「察してもらう」ことを期待せず、言葉でしっかりと伝えることで、お互いが納得し合い、より良いコミュニケーションを築いていきましょう!
きっとその先にはウェルビーイングな毎日が待っています。

応援しております♪

今回は以上です。

今日という日が、あなたにとって最高の一日になりますように。
それでは、Have a great day !!!


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