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友達10年を超えて、少しの別れ。

私には10年を超えて付き合いを続ける友人たちがいます。地元を離れて上京したときも、住む場所が遠く離れたときも、変わらず友達のままメッセージをしたり通話したり、遊び続けてきました。けれども今、27歳を迎えて、新しい付き合い方を探していく必要性を感じました。

自分の意見をもつ"かっこいい友達"たち

私は、私の友達が好きです。

学生時代に知り合い、毎日くだらないことを話して笑ったり、下校時に道草をして公園で漫画やアニメの話や授業やテストの話をしていても、学校行事やクラスでは自分がやるべきことを進んでやって、皆で「いいものを作ろう」とする、そんな人たちです。大学生や社会人になってからも、社会で起こる理不尽なことや環境問題など、様々なことに目を向けて自分の意見を持つようなカッコイイ友達たちです。私自身も、自分が女性ということもあって、昨今の大学入試において性差で入学基準を変えるような事件や社会における男女の雇用条件の不平等さなど関心を向けておりますが、そういった視点・思考は友達から受けた影響が大きいと感じます。

お酒を飲みながら、お茶をしながら、こういった社会に起こる問題をどう考えるか、自分たちが何をしていくべきかという話をすることは、大学生の私にとってはとても興味深く、また誇らしいことでした。

けれどもいま、社会人になって5年経ったこのタイミングで、少し息苦しさを感じています。

意見で「戦う」ことが、自分にとって健全か

上記でも述べたように、社会の理不尽を考えどう改善していくべきかを考えることは誇らしいことです。しかし、一方で私はその誇らしいことに対して、「疲れ」を感じているのも事実です。

自分の意見を持ち議論することは、確かに正しいし、素晴らしいことだと思います。けれどもかつてと圧倒的に違うのは、それぞれの生活が変わっていって、同じものに対する考え方が各々異なってきた、という点です。これは至極当たり前のことで、同じ地域に住んで学校に通い同じコンテンツを楽しんでいるのだから、意見は似通ってきます。しかし、時が経って住む場所が変わり所属するコミュニティが変わり、趣味や遊びが広がるにつれて、感じ方も見方も変化していくものです。そして、同じ社会問題でもそれぞれの意見が変わっていきました。

意見が異なれば、それぞれの意見を述べてお互いの考えの相違点や問題点を述べ合って、そして自分の考えの良さを主張する…いわば「ディベート」のような状態になります。ディベート自体は悪くないし、何かを決めるときに異なる意見を戦わせて論理的にどちらがより良い選択かを話し合うことは有意義です。けれども問題は、そのディベートが私たちのする会話の大半になってしまったことでした。

どんなものにおいても「戦う」という姿勢を保つことは、肉体ないし精神に負荷をかけます。そして今、私の中に「はたして、友達との時間に負荷をかけ続けることが健全なのか」という疑問が浮かんでいます。

かつての私たちのおしゃべりは、意見への共感や同調が多かったし、同じ趣味があって同じコンテンツを見ていたこともあり、くだらない雑談も多かった。しかし今は、趣味も変わっていき別のものをお互い追っていてコンテンツも被っているものがほとんどありません。雑談も、会社でのことなどを話しますが、お互いのついてる職種や勤務形態が大きく異なる点もあり、いまいち盛り上がらない。そして共通の話題として社会問題が上がり、議論になる。議論を戦わせて、夜が終わる。

その日、彼女たちに会って私がしたかったのは、戦いうことだったのでしょうか。負荷をかけたかったのでしょうか。

最近、自分の中で「友達に会いたいけど、会うと疲れるしどうしよう」という葛藤が生まれていました。

27歳のいま、彼女たちと向き合う

私はきっと、もっとくだらない会社の愚痴や新しく始めた趣味の話、恋愛や結婚の話、これからの将来の話をライトにして、「わかる」「そうだよね」って言いあいたかったんだと思います。

けれども生活が変わり価値観が変わり、お互いの愚痴や趣味、恋愛や結婚の話をしても共感しあうことができなくなっている。それは疑いようのない事実です。これまでは気が付かないふりをして、今までの延長線上で歩いてきました。けれども、この事実を受け止めて、私たちはまたお互いへの向き合い方や接し方を新しくしていかなければいけない時がきています。

友達であることが、イコール定期的にあってお酒を飲むことではない。SNSで「いいね」をするだけでも、たまに悩んでそうなら声をかけるだけでも、はたまた誕生日にプレゼントを贈るだけでも、別にお互いが友達だと思い続けているなら友達だと。そう信じて、少し今までよりも遠い距離から微笑みかける、そんな付き合い方を探していきたい。

「会うと疲れるのなら、会わないまま友達で居続ければいい。生きていけばまた何かが交わって会いたくなったり、そうでなくても、ふとお互いに会いたくなる瞬間がうまれるはず」

またそうなったときに、前みたいにカラッと笑って杯を交わして、くだらない雑談や悩みを言い合っていけばいい。
そう思ったとき、心のつかえが取れて、少し息がしやすくなったような気がします。

最後に

みなさんも同じように、これまでの友達付き合いに疑問を感じることはあるでしょうか?きっとあるでしょうし、それぞれの解決方法は違うのでしょう。ひとつ言えるのは、「彼・彼女が大事だけれど世界のすべてではない」ということ。家族だって会社だって、全部そう。今の関係が変わったり、少し遠くに行っても消そうとしなければ残り続けるはず。いまのままだと自分が損なわれる・害されるような関係は切ってしまうほうがいいと思いますが、そうでないのなら長いこの先でまた交わることを願いながら少し離れて、そっと大事にとっておくのもいいのではないでしょうか。

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