駅まで5分!はじまりの場所 #はじめて借りたあの部屋
この言葉を見ただけで、記憶がよみがえって、心がぶわぁっと震えた。その部屋を離れて10年近く経っているのに、私はあの部屋を今でも鮮明に思い出すことができる。
本当に本当に大好きで、たまらない、素敵な部屋だったんだ。
はじめての一人暮らし。
私の東京生活、はじまりの場所だ。
それまでは実家で暮らしていたし、住む費用を考える必要もなくて、家探しはすごく甘い考えだったと思う。
家賃の相場も知らないし、どれぐらい費用がかるかなんてよくわかっていなかった。だからまずは調べるところから始めてみた。
東京での仕事が決まっていないのに、部屋探しのネットで、
好き勝手自分の理想を入力して、物件を眺めていた。
家賃の目安は給料の3分の1と言われているけれど、そんなの無視。
とりあえず、家賃の上限を10万円以下に設定した。
最寄駅からの距離は5分以内がいい。
新築が理想だけど、とりあえず築年数浅めで、
バストイレ別で、南向きの部屋がいいなぁ、
オートロックは必須にして、宅配ボックスほしいな、、
…と、こんな感じでチェックを入れ、検索を繰り返し、
出会いました、運命の部屋!
新築だったので、同じ画像、同じ条件の部屋がたくさん出てくる。
何度も何度も同じような物件を見ていると、
まるでサブリミナル効果。
ここにしたらいいよ、と言われているよう。
ただ、当初考えていた予算はオーバー。
考え方が甘いことを思い知らされる。
好条件の物件は家賃が高いのだ。あと、山手線の内側も。
実際に仕事が決まると、いよいよ本格的に家が必要になった。
気になる物件をいくつかピックアップし、ネット上で問い合わせをし、店舗に行くことに。
不動産屋さんに行ったことがある人はわかるかもしれないけれど、エリアや予算を伝えたら、ネット上では紹介されていない物件も出てくる。
そして大抵、予算よりも上の物件が多く紹介される。
机いっぱいに広げられた、印刷された部屋、部屋、部屋…
その中に、私が気になっていた物件があった。
新築のマンション。予算オーバーで諦めたものだ。
高い…。
でも一番気になる…。
悩みに悩んだ結果、部屋を内覧させてもらうことに。
結果、内覧はその1件しかしなかったけれど、十分だった。
新しい匂い。
何もない、まっさらの部屋に光がさしていて、
自分がそこで生活する姿が想像できた。
初めて来た気がしなかった。
家賃は管理費・共益費込みで8万4千円。
正直、費用は想定よりも高い。
でも、、諦めきれなかった。そこがよかった。
大卒2年目、その頃の給料は約20万円で、
1か月の手取り額は約16万円。
8万4千円といえば、給料の半分だ。
でも、この部屋は最高だった。
駅から徒歩5分。新築、バストイレ別、南向き、
2階以上、角部屋、オートロック、宅配ボックス利用可。
エアコン完備、システムキッチン、二口コンロ、
廊下の扉の中には洗濯機置き場。
独立したおしゃれな洗面台。
しかも、インターネットつきマンション!
給料の半分を占めようとも、
私はこの部屋に決めた。ここしかない!
職場まで30分以内。最高じゃないか。
周りは、高いだの、好条件を求めすぎだの、
わーわー言ってきたけど、
心が揺らぐことはなかった。
私は、住環境に妥協したくなかったし、
自分が仕事から帰ってきて、落ち着ける場所、
快適な環境をイメージしたら、その場所は理想の場所だった。
お金を払う価値がある、そう思った。
実際住み始めてからも、満足の連続だった。
遅くに帰宅しても、駅から徒歩5分。
帰り道も明るく、疲れている体にとって、
通勤時間は短いほど嬉しいものだったし、
帰宅してすぐにお風呂に入り、
湯船でくつろげるのは最高だった。
キッチンも一人暮らしには十分で、
二つのコンロで複数の料理を作りながら、
片手でビールを飲む、なんて、
楽しいことをしていた。
調理するスペースが少し狭かったけれど、許容範囲だ。
週末は、快適な暮らしのための資材の調達と、
自分の空腹を満たす、安い食材探しのため、
自転車でどこまでだって走った。
スマホは持ってないし、あるのはガラケーのみ。
パケット代を気にして、地図なんてみるはずもなく、
勘と、道にある地図、標識にお世話になりつつ、ただ走る。
今日はどこまでいけるかな、なんて、
ちょっとした冒険気分も味わった。
子供の頃、学区外を飛び出したあの感覚に似てる。
季節が移り変わり、少しずつ荷物が増えていき、
炬燵と布団しかなかった、真っ白だった部屋に、
モノが増え、色が増えていき、
自分の理想の部屋作りは、日に日に完成していった。
友達を呼べる余裕もでき、
毎週のように友達を招待しては、もてなし、
楽しい時間を過ごした。
家飲みは低コストで満足感もあるのに、節約になる。
居心地のいい環境づくりと、アクセスのしやすさもあってか、家に行きたいと言ってもらえるのも嬉しかったし、
楽しい思い出と共に部屋の記憶も一緒によみがえり、
今でも、あの部屋よかったよね、と言ってもらえる。
仕事で疲れ、辛いことがあり泣いた日もあったけれど、
お風呂でシャワーと一緒に涙を流したら、
涙とお湯の境目なんてわからなくて流れてスッキリしたし、
自分の快適な環境、最高の部屋が癒してくれた。
ちなみにこの部屋、眺望も最高だった。
高層階だし、周りにも高い建物は一つもなく、
カーテンをあけたままにしても、
視線を感じるのは烏くらい。
日当たりも最高だから、よく日向ぼっこもした。
デメリットとして伝えられた騒音も、
しっかりとした防音対策で気にならなかった。
電車の音も気にならない。むしろウェルカムだ!
なぜなら私は電車好き!
ベランダから電車が見えるなんて、素敵だった。
しかも!新幹線も見えるのだ。
新幹線が大好きな私にはたまらない景色。
ベランダに出て、何時間だって眺めていられた。
1度だけ、夜中にふと線路を見ると、
ライトが線路上についてて、
光の道みたいに見えて綺麗な時があった。
あれは点検だったのか。
イルミネーションみたいで、
本当に素敵な風景で、ずっと見ていたいと思ったほど。
天体観測も趣味のひとつで、流星群があるときは、
よくベランダにいることもあった。
12月も流星群が見れるチャンスがあり、
その時は、ベランダに新聞紙をひき、
厚着をして毛布で体を包み、夜空を見上げて、
しばらく星を見ていたこともあった。
贅沢な時間。
東京でも星を見ることができたのだ。
プラネタリウムに行く必要もないくらい、癒された。
今思うと、おしりの下が新聞紙というところが、残念ポイントだ。過去の私に教えてあげたい、ダンボールハウス作ったらよかったのに、って。ダンボールって暖かい。
契約を2度更新するほど、愛していたあの部屋の生活も、
永遠には続かなかった。ついに別れる日がきた。
結婚だ。
本当は、離れたくなかった。ずっとその場所で生きるんだと思っていたし、全く不満はなく、満たされていた。
だから、のちに夫となる彼に「もし別れた場合、この部屋には戻れないんだよねぇ、どうしたらいいの、生きていけない。」
これから結婚するのに、別れる前提で話をするな、と思うかもしれないけれど、私は真剣にそんな風に話していた記憶がある。
彼に説得され、部屋と永遠の別れをする心の整理がつき、
いよいよ引っ越しとなったけれど、嫌だという気持ちもあって、中々引っ越し作業は進まなかった。
でも、約束の日は迫っていた。
彼や家族に助けてもらいながら荷造りし、
引っ越し業者さんの手を借り、荷物が次々と運び出されると、部屋には何もなくなった。
床の白さが目立つ、真っ白の部屋になったその場所は、
自分の部屋ではないみたいだった。
立会人の方と約束をした退去日。
もう見ることができない景色をたくさん残したくて
夢中でカメラで写真を撮った。
そしてありがとうと、何度も繰り返した。
本当にあの部屋には、感謝しかない。
私の理想の居場所だったのだ、はじめて借りたあの部屋は。
鍵を渡し、立会人の人と部屋で別れたあと、
最後に部屋の前、マンション前で、
彼に写真を撮ってもらった。
部屋とマンションとわたし。
もう戻ることができないと思うと、涙でいっぱいだった。
あの部屋と別れて、もうすぐ10年。
今でも懐かしくて、時々近くを通る。
もう住むことはないけれど、私のはじまりの場所。
今はどんな人が住んでいるのか、気になるけれど、
知りたくはない。
勝手だけど、
自分だけの大切な場所だと、
今でも思っていたいからかもしれない。
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