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商いのススメ 〜人生を充実したものにするための近道〜

「私、もうこの工場を閉めようと思うんですよ」
 
梅雨の匂いが少しずつ漂ってきている山の中のベンチで、缶コーヒーを飲みながら、彼はぽつりと言った。
 
ああ、ついに、この時が来てしまった。
たぶん、もう何を言っても、この人は考えを変えないだろう。
頑固で、口数は少ないけれど、物事の本質だけは、しっかり見抜く力を持っている。
 
そして、たぶんその決断は正しい。
 
今まで、どれだけのお金と労力をつぎ込んできたと思っているんですか。
ここで働く大勢の人たちの雇用のために、どれだけ身を粉にしてがんばってきたと思っているんですか。
 
でも、その言葉は、ぐっと飲み込まれたままで、口に出すことはできなかった。
 
何も言い返せない自分が腹立たしくもあり、そして情けなかった。
 
北東北にある、その地域での仕事に引き合わせてくれたのは、笑顔が人懐っこい同郷の顧客だった。私の以前の経歴を知って、販売プロモーションが苦手なその工場を紹介してくれたのだ。
 
当時、独立したばかりで、なにかしらの成果を欲していた私は、すぐにその工場に向かい詳しい話を聞いた。
工場のオーナーは、口数は少なく、一見何を考えているか分からない風貌ではあるのだが、はるばる遠方から来た若造を温かく迎えてくれ、名物のうどんをご馳走してくれた。
 
もともと、勝手知った業界で、仕事にも精通していたため、事業協力の話はとんとん拍子ですすみ、プロジェクトは順調に進みだすことになる。
 
オーナーも、雇用を守れることを非常に喜んでくれた。
 
ただ、私は、あこがれの「社会企業家」になれることに酔っていた。
起業したからには、地域貢献や雇用促進といった社会の役にたてるような仕事をしたいと考えていたのだが、表面的な良いとこ取りばかりに気を取られ、ビジネスの根本的な問題を直視していなかった。
 
そして、そんなよこしまな考えを見抜かれていたかのように、事業は混迷を極めることになる。
ノウハウなど何もない所から新しいブランドを立ち上げるのは、当然ながら手間がかかった。初年度などは、一年間を通して販売する予定だった商品の原材料を、2ヶ月で使い切ってしまった。もちろん、残りの10ヶ月の売上はゼロ。
 
また、その後数年にわたって、その原材料である植物の生育状況が芳しくなく、一年を通して販売できたためしが無かった。そして、その売上ロスを補えるような有効な措置もとることができなかった。
 
当然、販売できなければ、売上はたたない。
仕方なく、自分の会社で借入をし、別事業を新たに始めるも、ここでも「社会企業家」欲を発揮してしまい、雇用の維持を優先するあまり、売上の回収が後手にまわる。
 
そう、ビジネスの根本的な問題とは、利益はあげ続けなければならないという事。
いくら売り上げがあっても、それ以上に経費がかかれば、利益はマイナスとなり、会社は存続できない。当たり前と言ってしまえば、それまでだけど、走っている本人はなかなかこれに気付けない。
 
オーナーから、工場の閉鎖を言い渡されたのは、事業を始めてから、9年目の初夏のことだった。もともと、過疎化が進む村で、中心になって工場を支える人材が不足していたこともあったのだが、何より経費がかかりすぎていた。
 
当然、商品の供給ができなくなるので、売上も激減。工場の雇用を守れないばかりか、自社の雇用も維持できなくなる。社会企業家が聞いてあきれる。
 
結局、「我」にこだわっていたのだと思う。
社会貢献とか、働く人たちの充実感といった自分の理想にばかり酔いしれ、肝心の相手である「顧客」に向き合っていなかった。だから、売上もたたないし、利益にもつながらない。
 
商売というのは、「我」を亡くすための修行だと思う。
 
自分のああなりたい、こうなりたいという「我」を消して、まず自分達を必要としてくれる「顧客」のことだけを考える。すると、期せずして多くの人に求められるようになり、また感謝されるようになる。そして「顧客」からだけでなく、様々な人から必要とされる存在になるのだ。
 
理想やモチベーションは確かに大切だが、必要なのは相手の事を考え続けること。そこに、「商い」と共通する人生を生きる上での重要なヒントが隠されているのではと思う。
 
ただ、商売は、「我」や欲を消しながら、利益を上げねばならないという、とても高度な修行ではあるのだけれど。
 
昔、鏡をきれいに磨くと、運がよくなるというおまじないを聞いたことがある。曰く、鏡に自分がきれいに映るために、そこに映りこむ、汚れである「我」を消すのだそうだ。
すると、「かがみ」の「我(が)」が抜け、「神(かみ)」が現れる。自分の中の「神」に相対することで、身をきれいにし、より人生を充実して生きる事ができるのだそうだ。
 
ちょっとスピリチュアルな話になってしまったが、「我」を消すことで「神」があらわれるなんて、無宗教の私が、なんだか妙に腑に落ちてしまった。
 
今は、この高度な人生の修行に果敢に取り組んでいる真っ最中だ。まだまだ、「我」を消すまでにはいたっていないけれど、以前に比べて顧客の顔はだいぶ見えるようになってきたと思う。
 
そして分かったことがある。
お客様は「神」さまって、本当のことなんだという事が。



追記:
これは、とあるライティングのセミナーの課題として書いたものを加筆・修正したものです。当時は、「書く」ということは、自分の身を削って、心の中にあるドロドロしたものを出しきらないと、意味がないんじゃないかと思っていました。
この記事も、当時の自分を客観的に省みるために、はずかしながら自分の情けない面も含めて、ドロドロを出し切ったつもりだったのですが、今から読み返すとなんだか中途半端だなぁと、まだまだ反省です。
でも、この記事を書いたことで、自分が本当にやるべき仕事が、おぼろげながら見えてきたことは収穫でした。
「商いのススメ」は、私の後半人生のテーマになりそうです。

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