ウエルベック「服従」、あるいは中年インテリの捨て難き頑迷さ

服従 5.5/10
図書館本。2015年。
作者のM.ウエルベック氏は70近い小説家。フランス人、男性。
なかなかクセが強い。
50がらみの文学部教授が主人公。
全体的に暗くシニカルで、セックスと美食の話しかしない。そして一貫して女性蔑視的。

アウトラインはJ.M.クッツェーの「恥辱(1999)」を思わせる。
独身貴族を謳歌してキャンパス内でガールハントを続ける大学教員が、ポストを追われ転落する。
地位を危うくしたことをきっかけに自身の行いの空虚さや、独身男が将来味わう悲惨さに気づき、中年なりにいろいろ頑張っていく。

両作の決定的な違いは、「恥辱」では誠実な改心が描かれる点にある。
詳細は伏せるが、それこそ恥辱的な、頭を殴られるような一撃を食らうことで、主人公は女性を、社会を、人生をなめ腐っていたこれまでの人生を捨て、転回を果たす。

対して服従だが…
表題の服従とは、棄教を指す。本作は政治SFで、フランスの次の総選挙でイスラム系の政党が第1党となってしまった世界が描かれている。情勢は激変し、無神論者である主人公は教授職を追われた挙句、「イスラム教に改宗するなら破格の待遇で再雇用する」とスカウトを受ける。
イスラム教への生理的嫌悪感と実利の誘惑とのあいだで揺れ動く描写はリアリティがあり、とても良かった。

日本の現況に置き換えると、中国資本が近いだろうか。
イスラム圏同様中国は人口増加、経済成長が著しく、19-20世紀に最盛期を誇ったフランスや日本といった諸先進国を追い落とさんとしている。
中国資本を背景に持つ政党が今後、国内の市政や県政を握るような状況は今後起こりうるかもしれない。
中国的な儒教への改宗まではまず求められず、誘致による経済効果やメリットも間違いなく大きい。
ただそういった理屈の説明がいくらなされようと、彼らの参政や入植に対しての忌避感、拒否感情が現状では支配的だと思われる。

話がそれたが、「服従」においては主人公の腐った性根はそのまま据え置かれる。
絶望的なまでの女性軽視、労働者階級との対話を拒否するインテリ仕草は基本的に改善されることがない。
このあたりはもう目くじらを立てず、このオヤジ的頑迷さもウエルベック作品の魅力だとして楽しんでしまった方が幸福だと思われる。

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