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自分を取り戻す。

俗物的な渦の中で過ごした後は、
そのまま自分の部屋に入る気になれない。

自分の軸を取り戻す時間が必要だと、
帰る道すがら思った。

思考と感情が、
目まぐるしいのだ。

嫌な感情を打ち消すように思考が働く。
俗物的なものへの怒りなのか悲しみなのか
その時はわかっていなかったけれど、
とにかくネガティブな感情を
“起きてないもの”にしようとしていることには
うっすらと気が付いていた。

“別に何も感じてない”

やたらとそう思おうとしている自分に。

でも、目はずっと冴え、
脳は活発に動いている。

世間一般的な“普通”なのか、
仲間内だけの“普通”なのかわからないけど、
とにかく刹那的でしかない“当たり前”に
嫌気が差した。

それをまるで当たり前かのように
受け止めているように見せている自分も。

公園とか屋上とか、
とにかく屋外で1人になれる場所を探した。
けれど帰路の途中にそんなものはない。

仕方なく自宅マンションに帰り、
手を洗って、
まっすぐにベランダに出る。

しばらくそこで座り込んだ。
風に身体をあてて、
何かを吹き飛ばすように。
今日はそこまで寒くない。

雲の動きを眺めながら、
自分の中がどうなっているのかを
ただ感じる。

私の真実は何なのか。
何にそんなに心を揺れ動かされているのか。
何が気に入らなくて、
それは何故なのか。

自分の中に起きていることを、
ないものにしようとするのではなく、
ただ流してしまうのでもなく、
抑え込むのでもなく、
ただただ感じて、
自分がわかってあげること。

別に、どこかに発散するわけでもない。
誰かに伝えるわけでもない。

ただ、自分がわかってあげることで、
だいぶ自分の中は落ち着いて来たし、
自分が自分を理解することで、
それだけでなんて安心するのだろう。

このよくわからない心情や
脳内のぐちゃぐちゃを、
自分でもわからないままわかろうとせずに
誰かわかってもらうことばかり考えてたと、
今更ながらに思う。

自分が自分をわかってやることが、
本当に自分の安心に繋がるのだと、
知識では昔から学んで知ってはいたものの、
初めて実感を伴ってわかった夜だった。

そう思うと、
不快でしかなかったあの俗物的な時間も、
自分自身の気付きへの鍵でしか
なかったのかもしれない。

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