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給食の黙食廃止。黙々の世界が奪うもの。

おはようございます。
黙食と書きたくても、黙々と食事を組み合わせないと一発では変換できない黙食。25日からやっと解除になりました。

入学した頃から黙食だった子どもたちは最初は当分戸惑うだろうなぁ。
長女の中学は黙食継続中です。
黙食が解除されたら、思春期の子どもたちの人間関係に影響がありそう。

子どもにとって2年は長いよ。
友達とおしゃべりできるのを楽しめる子もいれば、最初は戸惑ったりその変化がしんどい子もいるだろうな。

 ちなみに下の子達の小学校はもう誰も黙食なんてしておらず、換気しつつ食事してます。
ボランティアで学校に行くときに時々一緒に食べるのですが、
子どもたちの活発な会話が聞けて楽しい限りです。
席も自由。
ベランダに出て食べたり、自分の席で食べたり、友達と食べたり。

子どもたちの様子を見ていると、私が子どもの頃に思っていたのだけではない視点や優先順位があることに気がつきます。

例えばいつも同じ子と食べるのを好む子もいれば、
食べたい場所で選んでその時近くにいた子と食べる子もいます。
早く食べ終わって遊びたいから、誰とどこで食べるなんて一ミリも考えてなくて自席ですごいスピードで食べる子もいます。
自席で食べたいが一番で、その時近くの席を選んだ子と食べる子もいます。
もちろん一人で食べる子もいます。

2階のベランダでお弁当を食べていた子がお箸を落としたら先に遊んでいた子が拾ってきてくれたり。
いつも落としては誰か拾って〜〜と自分で行動しない子には
「自分で拾っておいでよ。」と言ってみたり。
誰かがついていってくれたり。
お弁当を忘れた子にはみんなが少しずつおかずを提供して立派なお弁当ができたり。色んなドラマが生まれます。

先生はそこにほぼ関与しません。
何か訴えがあれば対応しますが、学年が上がるごとにその回数は減っていきます。

また、食べるときに何を重視するかは、6年間を通してその時々で変わっていきます。
ずっと一人で食べる子が一人、同じ子が同じ子と、というわけではないのです。

気持ちの揺れ動き、価値観の変化、受容、心の成長。
もちろん、日々話し合いや自己決定とその結果を自分が受容する環境があることが大きいのですが、

互いを知るということなしに互いの尊重はない。

というのを強く感じる一幕です。

公立中学に進学したお友達のお子さんが、
「教室移動も廊下に並んでから行くし、休み時間は次の授業の準備だし、お昼ご飯は黙食。掃除も黙々掃除。自由な会話をする時間がほぼなくて数ヶ月経ってもどの子がどういう子なのか全然分からない。ありえないよね」と言っていたのがとても印象に残っています。

授業中自由に話し合う時間が頻繁にあるわけでもない。大人の管理下で必要な知識を習得し、ルール下で行動することに特化した生活。世の中のことも以前のように新聞やテレビを見るのではなく自分で興味があるものを見に行く世代。

そういう環境下で大半の時間を過ごす人間が、他者に興味を持ち、自分のペースを乱す存在に寛容になりえるのでしょうか。

もちろん、コロナ&インフルエンザのW感染のリスクなどこれからまた状況は変わってくでしょう。ただ海外の様子を見ていると4回目摂取を全世代に呼びかけている国は少数派になりつつあります。(反ワクチンといった主義はない)

あと、黙食が100%だめという話ではないことも追記させていただきます。狭い点の話ではなく、ゼロコロナを推し進める隣国の歪みが急激に表に出ているように、リスクとリターンのバランスが著しく崩れるとどうなるのか。暴動を起こせればいいけれど、常識や軸を培う世代にはどんな影響が出るのか。

個人的には、刻々と変わる状況に合わせて、どちらにも臨機応変に変えられる、現状に即した状況を作り出す大人の姿を子どもたちには見てもらいたいなと思います。

そういう意味でも、互いを知り世界を広げていくには全く足りはしないけれど、黙食が解除された(ただし学校が解除するかは決める)というのはとても嬉しいニュースでした。

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