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スポーツが苦手な私



 私はスポーツが苦手です。単に反射神経が鈍いというのが主な理由ですが、競技中の他者との心理的な駆け引きがとても苦手なのです。



 たとえば、バレーボール。自分の役割や持ち場が決まっているので、「球、こっち来るな来るな」と念じることに終始していて、苦痛でしかありません。いざ球が来たら、これは私のボールか隣の人のボールか咄嗟に見極められず、戸惑いながらとりあえず手など上げてみますが、私の足元に落ちたボールと私をみんなが見るその目に非難とも憐憫ともつかない圧を感じて、いたたまれなくなるのです。ボールに手を触れることができても、とんでもない方向にやってしまい、結局謝ることに変わりありません。



 それから、テニスやバドミントンや卓球。楽しく調子を合わせてラリーを続けていた相手が、いきなり私を出し抜こうとスマッシュをかけてくる時の、裏切られた感。そして、それよりもっと困るのは、スマッシュが失敗に終わった時の、なんとも言えない気まずさ。相手の剥き出しの攻撃性を見てしまったような気がするのです。また、それに失敗して悔しがったりバツが悪そうにしてる相手の顔を、見てはいけないものを見てしまったようで、むしろ「ドンマイ」と言ってあげた方がいいような気がしてきます。球(シャトル)を拾いながら、よくわからない笑みなど投げかけてしまう、あのぎこちない空気が本当に嫌です。




 以前、この話を人にしたら、なんのことを言っているのかサッパリ分からない、という顔をされたり、「スポーツにそんな邪念は要らない」と悲しい顔をされたりしたので、人には話さない方が良いのだろうと思います。





 観戦も、なぜか「私が見ると負ける」というジンクスが自分の中に出来上がってしまい、応援していればしているほど見たくありません。今年WBCで侍JAPANが勝ったのも、私が見なかったからだと思ってます。見なくて本当に良かったです。


 スポーツに限らず、鬼ごっこのような、身体能力を競うような遊びも苦手です。追いかけられるのは恐怖で、いっそすぐ捕まってしまいたいと思います。でも、自分が鬼になったとたんみんなが蜘蛛の子を散らしたように自分から逃げて行く、あの孤独な感じはもっと悲しくなります。遊びだと分かっていても、拒絶され続けると泣きたくなります。追いかけられるのも追いかけるのも、何がそんなに楽しいのだろうと思います。


 そんな私ですが、アスリートのインタビューを見たり読んだりするのが大好きです。極度にストイックなトレーニングと精神的なプレッシャーを乗り越えてきた人の言う事には、特別な説得力があります。子供が思春期の頃、叱咤激励の必要がある時は、自分が何を言っても馬耳東風なので、偉大なアスリートの言葉を借りていました。日頃テレビを見たり記事を読んだりしていて心を動かされる言葉に出会うと、いつか使おうと、メモしておくのです。


 たとえば、7、8年前にイチロー選手が、そりゃ無理だろう!という盗塁を成功させた時。小学生男子が鬼ごっこをするかのように身をよじって、タッチを避けながらベースに滑り込みました。いったんアウトの判定が出たものの、イチロー選手の抗議でビデオ判定され、セーフに覆ったのです。その後のインタビューでイチロー選手が言った言葉。



「諦めたら絶対に無理だからね。気持ちが切れたら、終わりだから」


 普通なら、やってみようと考えもしないであろう状況。諦めたら可能性もゼロだから、やってみる。有言実行で結果を残しているイチロー選手だからこそ言える言葉です。


 オリンピックは格言の宝庫です。2018年平壌オリンピックで金メダルを取ったスピードスケートの小平奈緒選手が、「スケートの魅力は?」というインタビューに答えた言葉。


「氷に呼びかけると応えが戻って来る。一方的に押し付けるような声がけをしても、返ってこない」



 うちの子は二人とも音楽家なのですが、楽器にも通じることなのではないかと思い、ついメモりました。アスリートでもアーティストでも職人でもない私には、思いつきもしない言葉です。



 また、これは選手の言葉ではないのですが、同じく平壌オリンピックからのメモ。フィギュアスケートの中継で、アメリカ人のコメンテーターが羽生結弦選手について言っていた言葉。



     He is so charismatic and the way he skates is so authentic to who he is as a person.
(彼には高いカリスマ性があり、彼の滑りには、自分に対して嘘がない)



 シビアな音楽業界で子供たちが自分を見失わずに生きていくために、カリスマ性は努力でどうにもならないとしても、True to who you are as a person 、つまり、自分に嘘のないように演奏する、というのはできることではないかと。



 最近、Netflixで『The Days』という、福島原発事故を記録に忠実に描いたドラマを見ました。これを見ていて、ひとつ分かったことがあったのです。




 私は今まで、就職活動などで体育会系の人材が求められる風潮がどうも解せませんでした。典型的な文化系人間としては、やっかみもありますが、体育会系の全体主義的な傾向を民主主義的ではないと疎んでいたようなところがありました。しかし、2011年3月11日、福島第一原発でまさにその体育会系の不屈の精神と団結力がなければ、もっと恐ろしいことになっただろうと思うのです。軟弱な文化系の私がもしあの現場にいたら、使い物にならないどころか、逃げ出していたのではないかと。あの現場にいた人たちが私みたいな人ばかりだったらと思うと、恐ろしいです。


 不屈の精神力を持つ人に、頭が下がります。

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