子供と日記とテクニック
週末ごとに子供が「日記を書く」という宿題をもってかえってくる。
そして彼はここ数週間、毎週のように「書くことがない~」と言って泣きさけんでいる。
断っておくと「書くことがない」というのは正確ではない。
べつに指定があるわけでも、クオリティを求められるわけでもない。書く題材はだいたい毎回なにかしらある。なわとびをしたとか、本を買ってもらったとか。他愛ないながらも、テーマ自体は彼自身で見つけてくることができている。
しかし、肝心の書く内容がさっぱり出てこないようだ。
わたしも読書感想文のたぐいは苦手だったので気持ちはわかる。しかし仮にもライターという仕事の端くれをやっている今となってはなんでもええやん思いついたこと書けば。と思ってしまう自分もいる。
分量だって、わずかに150文字程度。ほぼほぼ1ツイート程度。寝ながらだって書ける。むしろ文字数制限が気になるレベルだ。
――が、彼の悩みは真剣だ。
テーマはあっても、そのあとをつむぐ言葉が出てこない。それゆえここ数週間、わたしは彼の横について、ああでもないこうでもないとちゃちゃを入れているのだ。
横について見ていると、ふらりと頭をよぎる考えがある。
文章……というよりか、「アウトプット」というのは結局、テクニックなのだろうか。つまり経験につちかわれた方法論を身につけているからこそ、それをこなすことができているのだろうか、と。
そうだとすれば、わたしが彼に対してやるべきなのはアウトプットのためのテクニックを授けることだ。つまり「なにを、どう書けば、もっとも読み手に伝わるのか」。それに尽きる。
ざっくばらんに言えば、「なにを書けば恰好がつくか」ということだ。
もちろん高度なものを求められているわけではないし、そんなものわたしに求められても困る。しかし小学校一年生の書く文章よりはまともな文章をかける自信はある。おおまかに文字数をコントロールすることもできる。要求水準に対して答えるには十分だろう。
そんなわけでフローチャートとまで行かないれど、伝わるために必要な項目を、簡単なリストのようにして提示したら、彼が頭をかかえて泣きさけぶこともなくなるんじゃないか。それによってわたしが毎週ストレスにさらされることもなくなるんじゃないだろうか。
そんなよこしまなのか、そうじゃないのか自問したくなる思いをここ数週間かかえている。
「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)