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秋空にとけた砂糖【ショートショート】【#3】

メガネとシャツが似合う彼は紅茶が好きで、専門店を探して通うくらいには紅茶党。甘いものも好んで食べるから「女子みたい」とよく馬鹿されていた。そんな人と付き合ってもう2年になる。

最初のデートが紅茶のお店なら、最後のデートも紅茶のお店。そんな今日の心つもりはまだ彼には伝えていない。

朝は余裕を持って起きることができた。

ちゃんと時間より前について待ち構えていることがスジだと思って前日から構えていたのだ。でもそこからが進まない。何をするのにも億劫で、化粧も恰好も決まらなくて。普段より重力が何倍も重くなったように感じる。気乗りしないときはいつでもそうなのだ。

自分で時間も場所も指定しておいて、遅れるなんてそりゃあないよ、という思いだけにすがってやっと家を出た。ここで「放り出さなかった私を誉めてくれ」などと言い出したら、さすがにどの方向からもバッシングされそうだからそれは心に秘めておかないと。そんないろんな雑念と対話している間に店にはついたけれど、すでに指定した時間より少し遅れていた。

何度も来たこの店は彼のお気に入り。

ひとしきり庭先を抜けた先に店がある。秋口は庭にある木々の枯葉で足元がしきつめられ、喝采か恨み言かわからないけれどにぎやかだ。トイレから店員さんまで隙なくオシャレで、都会にあったら間違いなく人気店だろう。

大きなドアノブに手を掛け、ゆっくりとドアを引き開ける。広がる隙間から一番奥の席に彼が座っているのが見えた。今日もメガネにシャツ。すでに手元には紅茶が置かれている。一体いつからそこにいたんだろう。ここからじゃわからないけれど、きっともう冷めてるんじゃないかな。

そんなところが好きだった時も、あったな。

悩んだすえ紅茶はニルギリにした。

クセが少なくておとなしい。そのまま私を表しているような紅茶。でも本当は自分を隠していただけなんだと思う。新しく好きな人が出来たわけじゃない。わかりやすくどこか幻滅したわけでもない。小さなすれ違いの芽を、見て見ぬ振りをしてきてしまったことが一番の原因だろうか。
お互いにそこから目をそらし続け、ただ大きくまがまがしく育っていくのをずっと背中で感じていた。そのまま飼いならせなくなってもそれは自業自得というものに他ならない。

「ほんとは私、紅茶が苦手だったの」

一言ではとても言い表せない心の渦潮から出たのはそんな言葉だった。別れの理由としてはあまりにも軽々しい言葉。もちろんそんなことが理由じゃないことは私も、そして彼も重々知っている。女の子はみんな甘いものと紅茶が好きと思ったら大間違いだよ。そんな軽口も添えたりして。

しばらく紅茶は飲みたくないな。

だってほらほんとは紅茶なんて好きじゃないし。喉の乾きを癒すのであれば味もそっけもない水で十分。自然に詳しくなった紅茶の知識も、小洒落た紅茶専門店も、あなたのために身につけたもの。だから紅茶との別れがあなたのと別れ。砂糖と同じようにあなたとの関係もとけてなくなったの。

ほろ苦い紅茶はもういらないの。



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「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)