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『おはよう』をつげるネコ【ショートショート】【#153】

「やあ、おはよう」

 そう言ってリビングの窓から入ってきたのは1匹の黒いネコだ。しゃべったのももちろんこのネコ。でも私以外の誰ひとり彼がしゃべっているのを聞いたことはないから、もしかしたら私が勝手にしゃべっていると思っているだけなのかもしれない。
 そんな彼がこの高台の家にやってくるようになってから、もう半年くらいになる。

 うちで真っ先に家を出るのは父だ。通勤に2時間近くかかるため、6時半くらいには1人バタバタと家を出ていく。次に家を出るのは母。こちらは通勤は1時間と少しくらい。7時前には家を出る。どちらもマイホームという夢をかなえた結果、対価として長い通勤時間を支払う格好になった。
 では私はというと、うちから中学までは目と鼻の先だ。学校はうちがあるこの高台にあり、他の子は毎日のように長い坂をのぼって登校してくる。ありがたいことにゆっくり歩いても5分もかからない距離なのだ。
 結果、こうして両親が仕事に出かけたあと、毎日のように1時間くらい、私は家で1人の時間を堪能することができるのだった。

 「彼」が訪ねてくるのはいつも決まって両親が出かけたあと。家に私1人だけになったタイミング。隣の家との塀にのり、リビングの窓を爪でカリカリと引っかく。それが彼が来た合図だ。
 私がそっと窓を開けると、いつものように「おはよう」と言ってするりと家にあがりこむ。エサをねだるでもなく、軒を借りるわけでもなく、私となんとなくおしゃべりをして、私が学校に行く時間には一緒に出ていく。
 私たちは、そんな2人だけの奇妙な時間を毎日のように過ごしていた。

 最初に家に入りこんできてしまったときはとてもとても焦った。私はネコを飼ったことがなかったし、そもそも生き物が苦手なのだ。その上、入ってきたそのネコは流暢に日本語をしゃべりだしたのだから、私の胸中をさっしてほしい。
 私の他には誰もいない。私ひとりで何とかしなくてはならない。頭の中はいろんな思いが湧きあがって一向にまとまらなかった。しかし彼はそんなこちらの状況などこれっぽっちも気にすることなく、悠然と私に話しかけてきた。

「名はなんと言う?」
「年はいくつだ?」
「学校というのは楽しいのか?」

 最初は驚いたけれど、礼儀正しく、言葉をしゃべることが出来るならそれほど危険じゃないんだろう。見た目は普通の黒いネコなんだし。そんな感じで一度気を許してからは、そんなこともあるだろうと受け入れ、普通におしゃべりをするようになった。

 性別はオス。名前は特に決まっていないということだったから、勝手に「クロ」と呼ぶことにした。最初は居心地が悪そうにしていたけれど、すぐに受け入れたみたいだった。クロは私のことを「キミ」と呼ぶ。そんな呼び方をされたことはなかったから、なんだか気恥ずかしくて、ちょっと嬉しかった。

 昨日学校であったこと。今日学校でやること。友達のことや家族のこと。クロにはなんでも話すことができた。聞き手として優秀だったのかもしれない。利害関係のない第3者という立場であったことが良かったのかもしれない。いつもまだまだ話したいことがあるのに、すぐに家を出なければいけない時間になってしまって、毎日もどかしかった。
 「また明日ね」と言ってふたりで一緒にバタバタと家を出る。学校は嫌いじゃないけれど、クロとのこの時間がずっと続けばいいのに、といつも思っていた。

 クロは、両親の仕事が休みで、家に居る日にはやってこない。だから、どこかからのぞいていて私しかいないことを確認してからくるのかもしれない。いつしか私はカリカリと窓が引っ掛かれることを心待ちにするようになっていた。


 その日、窓を通って顔を出したクロはすぐに私に聞いてきた。「どうかしたのか?」と。確かにその日、私は"どうかしていた"。両親には何も聞かれなかったから、見た目上は平静をたもてているものだとばかり思っていた。それが一発で見抜かれてしまうなんて……驚くというよりも、クロの観察力の鋭さに感心してしまった。

「昨日ね、友達とケンカしちゃったんだ」
「ほう、仲が良い友達なのか?」
「うん……一番の友達なの。でもすごいつまんないことで、なんか言い争いみたいになっちゃって……。正直、言いすぎたなーって思うんだけど。席となりだから学校に行けば顔合わせないわけにもいかないし。どうしたらいいのかわかんなくて。もう今日は休んじゃおうかなって……」
「――ふむ。確かにつらいときに無理に学校に行く必要はないだろう。学校に行くのは選択肢のひとつにすぎない。ましてや1日程度休むことを気にとがめる必要などないだろう。しかし……」
「しかし?」
「けんかをした次の日に休んでしまうというのは、キミとその友達との間に戻ることのできない大きな溝を作ってしまうことにはならないだろうか?」
「それは、そうかもしれないけど……。でももし顔合わせちゃったら、――というか絶対顔は合わせちゃうわけだし、そうしたらなんて言えばいいのかわかんないんだもん」

 私は鎖骨のあたりの髪の毛を指でくるくるともて遊びながら答える。そう、私だってこのままケンカして、疎遠になってしまったままでいいとは思っていない。でもどうしたらいいのかわからないのだ。

「キミは難しく考えすぎている」
「どういうこと?」
「キミは友達とケンカをした。それは自分が言いすぎたと思っている。そうだろう?」
「うん」
「そして、その友達と仲直りをしたいと思っている」
「うん」
「であればそのままそれを伝えればいい。言いすぎたと謝り、仲直りがしたいと伝えればいいんだ。難しいことは考えてはいけない。どんな反応があるかは友達次第だが、それはキミが気にすることじゃない。キミにできることはキミのことだけだから」
「……そんなことで大丈夫なの?」
「無責任に聞こえるかもしれないが、大丈夫かどうかというのは私にはわからない。しかし他人はどこまで行っても他人だ。察する努力は必要だけれど、勝手にわかった気になってはいけない。大事なのは自分の気持ちに素直になること。そして、それをきちんとぶつけることだ。言ってしまえば告白と同じだな」
「……告白ってそんなっ」
「なんだ。キミには好きな男性はいないのかい?」
「えーいやそりゃ、いなくは、ないけど……」
「であればついでに覚えておくといい。言葉にしない思いは伝わらない。人間はネコと違って言葉でしか意思の疎通ができないからな」
「えっ! ネコってテレパシーみたいなのがあるってこと?」
「そんなに立派なものではない。ただ人間のように言葉だけに頼っているわけではないということだ」
「そっかー……」

 さっきまで沼地に腰まで突っこんでいるような気分だったけれど、クロと話している間にいつのまにか水たまりに立っているくらいの気分になってきた。確かに相手がどう思っているかなんて気にしだしても始まらない。すべては自分がどうしたいのか。それをぶつけてみてからだ。

「さて、ちょうとキミの友達がやってきたようだよ」
「えっほんと?」

 窓から下をのぞき込むと、坂の下の方に友達がいるのが見えた。心なしか重い足どりで坂をのぼってきているように見える。

「ホントだ! クロ、ありがと! ちょっと元気出たかも! お礼はまた明日します! 私、行ってくる!」

 カバンをつかみ、私は勢いよくドアを開ける。朝日を背中に浴びながら、勢いよく友達のもとへ走り出した。大事なのは自分の気持ちだ。「がんばりたまえ」後ろからかすかに聞こえたクロの声が、私の背中を押してくれた。



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