曖昧なものに対する耐性

何となく感じている事を、明確に言語化されるとスッキリする。そんな経験は誰にもあると思う。
そして、私の最近のスッキリ体験は先日テレビでいっていたこれ。

「『曖昧なモノに対する耐性』がある方が、幸せである事が多い」

という説だ。

『曖昧なモノに対する耐性』

というのはつまり、物事を白か黒かハッキリさせることにこだわらない。良いとも悪いとも言い切れないけど、「まぁ、それで良いや」と受け入れることが出来る能力のことらしい。

そして、そんな「曖昧さを受け入れる能力が高い人ほど、幸せであることが多い」のだそうです。

「白黒ハッキリつけずに、曖昧は曖昧なままにしておく」というのがストレスな人は多いだろうし、私の相方なんかも割とこのタイプだと思う。
そして、そんな相方を横目に、私なんかは「そんなのどっちでもいいじゃん」と、涅槃像の余裕をかます日々なのだ。

お陰で私、「決断」とか「決定」とか早いです。

ズバッといきます。必要十分を満たしていればあとは、野となれ山となれ。
その心は「どっちでもいいじゃん」と、思っているわけなので、必ずしも褒められたものではありませんけれどね(笑

でも多分、そうやってあまり頭使わないで、のほほんと過ごせている方が、たしかに幸せなんだろうなぁ……と、上の説を聞いた時、思ったのでした。

ただ、正確に言うと私は「何色にも色付けされていない」のはストレスだったりします。

「よくわからないもの」は「よくわからないから放置推奨」とか、「今は悩んでも仕方がないから、意図的に触れない」とか。
自分が納得できていれば、そんないい加減な色分けでいいのですが、とにかく「色が付いていないこと」がストレスなのは確かなのです。

どこかに片づけておきたい。とりあえず見た目が片付いていれば落ち着く……あっ!これ実生活と同じだ!(笑 
私、片づけるのは早いんですけど、後から中を見ると、いつもグチャグチャだったりするんですよね……反省。

やっぱりもうちょっと真面目になろう(笑

高田純次さんに憧れる人は、大抵こういう「曖昧さ」や「いい加減さ」に憧れているのでしょう。実態はどうあれ、幸せそうに見えますもんね高田純次さん。

そういう意味では私も、もっと「良い加減に、いい加減」になりたいものです。
ちなみにここでは、「丁度いい」という意味の『良い加減』と、大雑把である『いい加減』が掛けてあって、古来から伝わると掛詞的な面白さがありまして……

……年取ると節操が無くなって本当にイヤですね(笑

今日も、いい加減な事を言っている私を、曖昧な心で許してくださる皆様に感謝して、今日のnote終わりにさせていただきます(笑


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「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)