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あの場所で、もう一度【掌編小説】
「やっぱり付き合うのはやめましょう」
そんなLINEを送ったのは、彼からの告白を受けいれてから、わずかに3日後のことだった。
◇◇◇◇◇
お互いに音楽が好きで、初めて出会ったのもフェスの会場だった。事前にSNSでつながっていたから、何となく人となりは想像していて、悪い人ではなさそうだったけれど、いい年して漫画やアニメが好き。率直に言えば、「キモオタ」と言われるような根暗な人が来るのではないかと勝手に思っていた。今から思えば、この勝手なマイナスイメージがギャップになったのだ。
現れた人は、背が高く、小奇麗な恰好をしていて、よくしゃべる。「キモオタ」などと考えていたのは、まったくの見当はずれ。その上、そのうすい顔は私のツボにガッチリはまっていた。おかげで必要以上に緊張してしまったようで、最初に会ったとき2人で乾杯して飲んだビールの味を、私は全くおぼえていない。
私にはもう1年以上彼氏がいないし、向こうはどうやら私に好意があるようだ。何度かご飯やライブにいくうちに気心も知れる。9月の残暑が残るこの時期。遠からず彼の方から告白され、私が告白を受け入れたのがつい3日前のこと。
――そして、やっぱりなかったことにしようと思って、彼に連絡したのが、まさに今日というわけだ。
◇◇◇◇◇
……嫌いじゃなかった。というよりも、私も好きだった。さっき「キモオタ」なんて言ったけれど、私だって漫画も読めば、アニメも見る。はっきり言って同じ穴のムジナだ。暴力はふるいそうにないし、無職じゃない。タバコは吸わなくて、お酒もほどほど。条件だけを見ても、こんな出会いが降ってくることなんてもうないと思った。……それは、本当にそう思った。
でも一つだけ大きな問題があったのだ。それが――年齢だ。
私と彼の間には、7歳という大きな年齢差があったのだ。
私はすでに30代後半。彼はそんな私の7つも歳下なのだ。そもそも私は前の彼氏と別れたときに、もう恋愛も結婚もいいや、と一度あきらめた人間だった。一人暮らしを解消し、年老いた両親のめんどうをみるために実家に帰ったのもまだ先日のこと。そこを終の住処とするために、床の張替えだってやった。浮かれた気持ちのまま、彼の告白を受け入れてしまったとはいえ、心の中はまだ揺れ動いていたといっていいだろう。
幸か不幸か、告白を受けたその翌日から3日間、大阪で会社の研修があり、そのおかげでもう一度じっくり考える時間を持つことができた。告白の回答をする前に悩めばよかったのに……とは言わないでほしい。誰だって面と向かってしまうと、勢いと熱意にコロッといくことはあるだろう。
研修には仲の良い後輩も一緒に参加するので、相談する時間はいくらでもある。初日はバタバタのままそのまま終わってしまったが、2日目は2人で飲みに行って、そこで早速、私は今の状況を聞いてもらうことにした。
◇◇◇◇◇
「いやそれは騙されてるんじゃないですか? もしくは、遊ばれているとか」
後輩は最初から否定的だった。彼女は竹をわったような性格をしている上に、私の過去の男性遍歴も熟知しており、怪しい男に引っかかりがちなことをよく知っている。彼女いわく、私は外面が良すぎるらしい。実際、いい顔をしすぎて、変な男につかまり、最終的にストーカーされたことが2回もある。今でもSNSには名前や顔は絶対に出したくない。
彼女の言葉が正しいかどうかはともかく、私が心の中で思っていた不安を後押ししてくれる意見であることは確かだった。最初から疑ってかかるのは彼にとって酷かもしれないけれど、単にいい年したおばさんをもて遊ぼうとしているだけじゃないだろうか。そんな不安がぬぐえなかったのだ。一度、受け入れた告白を反故にしてしまおうか……そう、真剣に考える程度には、その7歳という年齢差は大きいものだったのだ。
私は彼女の意見をじっくり聞き、一晩自分でちゃんと考えて、心を決める。――やっぱりやめよう。きっといいことにはならない。また傷つくだけだ。これまでの恋愛がどれも楽しくなかったわけじゃない。でも、いろんなものを半ばあきらめたこの段階で、もう一度恋愛するには障害が多すぎる。おとなしくしているべきだ。……もう、傷つくのはイヤなのだから。
そう思って、私は彼に連絡をいれた。
◇◇◇◇◇
彼はあわてていた。そりゃあそうだろう。好きな人に告白し、受け入れてくれたと思いきや、たった3日でひっくり返されたのだから。私にしてみれば、中途半端に長引かせるよりも、ばっさりいった方がお互いのためだろう、という思いがあったけれど、そんなことは彼にしてみれば知ったことではあるまい。
でも、さすがに罪悪感を感じてしまい、彼の「研修が終わった次の日、結論はどうであれ一度ちゃんと会って話しましょう」という言葉を断ることは出来なかった。
後輩に言わせれば、「そんなの誰だってそう言うに決まってるじゃないですか。決めたんなら未練がましく会ったりせずに、ばっさりいきましょうよ」ということらしいが、世の中そんなに簡単にわり切れたら苦労はしない。心配してくれるんだろう、そういう後輩の気持ちもわかる。……わかるけれど、これが最後だから……と、研修の間、私は何度も自分に言い聞かせていた。
◇◇◇◇◇
「コンコン」。車のガラスをたたく音。……彼だ。ここは互いの家の中間くらいにあるコンビニの駐車場だ。心は決まっているのだから、どこかの飲食店に入って、がっつり話し合いなどはしたくない。最低限、顔くらいは合わせられる場所。そんな思いがコンビニの駐車場という中途半端な場所を選択させた。時間は夜の8時。日は落ちてるとはいえ、外はまだまだ暑かった。
「こっち入って……」
私は、彼を助手席に招きいれる。……さあ、ちゃんと終らせないと。きちんと断らないと。初めて会ったときや、告白をされた時とは、また別の緊張感が私をつつむ。
「やあ……こんばんわ」
彼は気まずい空気をまとったまま助手席に座った。ここは私から切り出さなければなるまい。そう腹に決めて私は話しはじめる。
「――あの……なんていうか、ごめんなさい」
「いや、ちょっと待って。まだあやまってほしくない。僕もまだ納得いってないし……ってゆうか、正直、理由も良くわからないし」
「それは……その、だって年が離れてるでしょ」
「そうだね」
「だから、なんていうかほら私だって、もういい年だから、若い子と遊びみたいに付き合うようなことはしたくないの。もう、そういうのはいいの……」
ひと呼吸おいてから、彼は話しはじめた。
「年が離れているのは、最初からわかってたことだし、そんなことは気にしないって言ったでしょ。それに、遊びとか……僕がそんなつもりじゃないってのも何度も説明したよね。僕だっていい年なわけだし、それこそきちんと結婚しようって気でもなきゃ『付き合ってほしい』なんて言えないよ」
「――だって、仮に結婚するとしたって、子供とかもうできないかもしれないし」
「そこは僕としてはたいして大切なポイントじゃないかな。子供は別に嫌いじゃないけど、いないならいないでいいと思ってるから。……そういうことは全部きちんと考えたうえで、ちゃんと君と付き合いたいって思ったから、そう言ったんだよ。結婚を前提に……って言ってもまったく構わない」
「そう……。でも、どうせ、男なんて、みんな最初はそんなこと言うんだから。誠実そうなこと言って、結局、他で浮気してたりするんだし……」
話しながら、どうしようもなく涙があふれてきた。悲しいわけじゃない。つらいわけでもない。これは、ただ目から水が流れるだけの生理現象だ。カバンからハンカチを出し、目頭をおさえる。
「今までの男がどうだったのかはわかんない。――わかんないけど、僕は違うよ。小心者で不器用だからさ。好きになった人を失うリスクを負ったまま他にいくような度胸がない。それに一度に2人も相手にできるほど器用じゃないしね」
「そんなの、なんの保証にもならないし……」
「――そうだね。保証なんてどこにもない。でも、それはなんだってそうでしょ。未来の保証なんてできるはずがないよ」
「だからイヤなの。もうイヤなの。きっとまた傷つくだけなんだから……もういいの」
彼は一瞬だけ、言葉につまったようだった。黙ったらこのまま終わってしまう。そんな気持ちも渦巻いているのだろう。いっそ諦めてしまおうか。そんな思いが心にないと言えば嘘だろう。それでも彼は言葉を続けた。
「もちろん未来に保証なんてないし、仮に結婚したってそんなのはなんの担保にもならない。でも、僕は君のことを好きで、これからもずっと大切したいと思っている。今、そう思ってることは間違いじゃない。だから……だから、君にはまずは今を……今だけを受け入れて欲しいんだ」
彼はところどころつっかえながら、ゆっくりと言葉をつむいでゆく。
「先のことなんて誰もわからないんだから、もし僕が思ってたのと全然違って、ちっともいい男じゃなかったら、その時は、僕のことなんて放り出せばいい。……知ってる? 統計的には世の中の夫婦の半分は離婚するんだよ。だから、いつどんな状態でも別れるって選択は起こっておかしくない。でも、その代わり……僕が、君のお眼鏡にかなうのうちは、どうか側にいさせて欲しい。だって、ほら……、僕のことが嫌いになったわけじゃないでしょ?」
「…………うん」
「未来は分からなくて、不安だからってことだよね」
「……うん」
「それなら大丈夫。だって君はこの先、もう何にもなくてもいいつもりで生きるんだって言ってたでしょ。仮に1、2ヶ月付き合ってみて、僕なんか全然ダメだったら、全部ナシにすればいい。君は元の生活に戻るだけだ。君は何も失わない。もちろん僕はそれなりに辛いけど……多分ストーカーになったりはしない、――これも未来の話だから断言はできないけどね」
「元の生活に戻るだけ……?」
「そう。せっかく床を張りかえた家が無くなるわけでもない。結婚詐欺じゃないから、お金をせびられるわけでもない。ダメだと思ったらその段階で逃げればいいんだよ。簡単でしょ?」
「それは、そうだけど……」
「何か気にかかる?」
「だって、そんなこと言う人に会ったことなかったから……」
「まあ、この辺は僕はわりとざっくばらんな考えの持ち主らしくてね。さっきも言ったように、半分が離婚してる世の中で、『保証』なんていう形だけを求めるのはナンセンスだよ。だから、ずっと死ぬまでお試しのつもりであっても構わない。永久保証を求めるつもりもないし、正直、求められても困る。でも……少なくとも今、僕は君のことを好きだ。だから付き合って欲しい。そして、できる限り、これからもずっと一緒にいてほしい。この気持ちに嘘はない。だから僕は、持てるすべてを使って努力するよ。保証はできない……でもその代わりに、僕は君を好きだっていうこの気持ちをいつでも、何度でも、更新し続けるから……」
彼のペースにのまれてしまったのだろうか。いつのまにか涙は止まっていた。自分が捕らわれていた不安は一体なんだったんだろう。私はそんな気持ちになっていた。確かに、未来に保証を求めるなんてナンセンスだ。大事なのは、今。今の気持ちだ。
「……お試しでも、いいんだよね」
「もちろん。1年更新でいいよ。あ、何なら半年でもいい……ひと月じゃちょっと短いかな、間をとって3ヶ月でどう?」
「何それ……」
思わずちょっと笑ってしまった。未来のことはわからない。でもこのフラットな彼となら、なんとなくうまくやっていけるような気がした。
私は、彼と付き合うことにした。
◇◇◇◇◇
そこから約1年。
自分が思っていたより何倍もスムーズに事は進んで、彼とは結婚することになった。最初は何度かケンカもしたけれど、どれも私の不安が大きくなって耐えられなくなったときに、彼に当たってしまったことが原因のように思う。でもそのたびに彼は相変わらずのテンションで私をさとし、抱きしめてくれた。何の保証もくれないけれど、そのことがむしろ私を安心させた。
そして今日。
私たちは2人で婚姻届けを出しに行く。今日は休日だけれど、今日という日にしたのはちゃんと理由がある。ちょうど一年前、私は彼と初めて出会い、あのフェスで乾杯したのだ。祝日なので毎年お休みだし、毎年変わらずその日にフェスが行われるのだ。これほど最適な日があるだろうか。
間違いがないか慎重に確認し、窓口に提出する。受付のお兄さんは「おめでとうございます」と声をかけてくれる。とりあえず問題はないようだけれど、正式に確認が済むのは休み明けになるらしい。手続きがひと通り終わった私たちに彼は問いかけた。「今日はこれからどこか行かれるんですか?」と。
格好を見れば一目両全だ。私たちは二人ともつば広の帽子をかぶり、バンドTシャツに短パン、スニーカーのいでたち。私ははにかみながら彼の質問に答えた。
「彼……えっと、――夫と、初めて出会ったフェスが今日ありまして……。去年もそこで乾杯したんですけど、今年は『夫婦』で乾杯しようって……」
(fin)
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【前日談】
上の作品だけ読んでも完結できるように書きましたが、こちらが前日談になります。もしよければこちらもどうぞ。
「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)